◆侵略から防衛への転換◆

 

 戸隠山に於いては、前回紹介した主要三殿の神のほか、火御子殿には栲幡千々姫が祀られている。彼女は高皇産霊神の娘であるから思兼命の姉か妹となり、手力男や表春の伯母か叔母である。また彼女は、瓊瓊杵尊の母だ。瓊瓊杵尊は木花之開耶姫との間に海彦(火照命)・山彦(彦火火出見尊)を儲け、山彦は豊玉媛と結婚し鵜茅不合葺命が生まれ、鵜茅不合葺命が豊玉姫の妹である玉依姫神との間に神武天皇を生んだ。

 因みに、海彦は阿多君(隼人)の祖、とされている。栲幡千々姫は神武天皇の曾祖父の母親であり、本人としての役割は織女であった。本地は八大童子だ。因みに嫁の木花之開耶姫は富士山と関わりが深いが、古事記では神阿多都比売とも呼ばれている。彼女の息子・火照命は、弟である彦火火出見尊が自分の釣り針を失ったことを詰り、如何しても返せと詰った。

 玉梓怨霊は八房となって里見義実に向かい、「伏姫と婚姻させるとの約束を守れ」と迫った。義実は冗談で軽口を叩いただけであるにも拘わらず。海彦/火照命は、山彦/彦火火出見尊に向かい「貸した釣り針を返せ」と迫った。大海原で失い回収は常識的に不可能であるにも拘わらず。両者は一見、正当な要求をしているが、常識的には履行不可能であって理不尽なものだ。しかし共に、不可能と思われた約束が果たされたとき、如何なったか。

 火照命の釣り針を失い途方に暮れた彦火火出見尊は、鰐に皮を剥かれた白兎のように浜辺をメソメソ泣いていたかは別として、とにかく浜辺を歩いていた。怪しい老人と出会った。怪しい老翁は彦火火出見尊を塩焼小屋に引きずり込み、「わ、儂の蒲の穂綿を擦り付ければのぉ……はぁはぁ」と迫ったか否かは知らないが、一説には老翁は思兼命だっとも云う。怪しい老翁は、彦火火出見尊を籠に押し込み海に放り込んだ。あわや一巻の終わりかと思われたが、亀ならぬ籠が彦火火出見尊を竜宮に連れて行った。彼は絶世の美少年だったので、井戸に映った姿を見て竜宮の女性達が大騒ぎしだした。竜宮の姫・豊玉姫は彦火火出見尊に向かって、「あ、あたしの蒲の穂綿にくるまりなさいっ……はぁはぁ」と迫ったか否かは知らないが、彼女は彼を陵辱した。流石に気が引けたのか父王が、彦火火出見尊に家宝である干満の玉を与えた。しかし悲劇は繰り返される。二人の間に生まれた鵜茅不合葺命は父親似の美少年だったのか、叔母であり乳母、鰐を正体とする玉依姫に犯され、神武天皇を儲けた。

 ところで、豊玉姫に与えられた干満の玉を使って彦火火出見尊は、兄である海彦を迫害する。手酷く苛められた海彦は遂に彦火火出見尊の奴隷となって服従を誓う。確かに釣り針を無くした落ち度は彦火火出見尊にあったが、図に乗り返せ戻せと無理難題を吹っ掛けた罪が海彦にはある。あるが、此処までする必要はないと思うのだけれども、山彦の子孫は長く犬扱いされ、朝廷儀礼時に犬の面を被り鳴き声を真似る屈辱的な奉仕を続けた(→▼日本書紀神代紀抄)。

 ……記紀で図に乗って必要以上に酷い仕打ちをしているのは彦火火出見尊の方なんだが、まぁ彼も海彦のせいで鰐だか鮫だかであった筈の豊玉姫と交合させられたのだから、腹いせ八つ当たりの類か。兄弟とも下劣な性格だっただけで、敗れた兄が犬扱いされる、まことにナサCanineこととなった。一方、姫との婚姻という理不尽な要求を突きつけた八房の子孫でもある犬士たちは、苗字に犬であることの痕跡を残しつつ、里見家を守護する。また八幡神を巡る伝説で神功皇后は、妹の肉体を竜宮王に差し出すことで、干満の玉を借り出すことに成功した。干満の玉を使って朝鮮半島軍を破り、王を犬扱いして服従を迫った。「お前は薄汚い犬よっ……はぁはぁ、じょっ女王様とお呼びっ」である。玉には犬が似合うらしい。と、此処までは既に述べてきたことのリフレインである。人皇初代・神武誕生に繋がる神話と、八幡神・応神に纏わる伝説と、共に竜宮の玉が登場し、敗者は犬扱いされる。

 

 隼人といえば、十八世紀から十九世紀前半にかけて活躍した考古学者で天皇陵オタク伴信友は比古婆衣で興味深い報告をしている(→▼)。

 大和国添上郡奈保山の女帝・元明天皇陵(現在では聖武帝の長男基皇子陵に比定)に残る「犬石」と呼ばれる三基の獣面人身像に就いての考察で、地元で像を「七匹狐」とも呼んでいること、方位が刻まれていること、立像と蹲踞像であることから、当初は東西南北にそれぞれ立像・蹲踞像一体ずつ計八体が置かれていたと推測、また、朝廷儀礼で隼人が犬面を着け吠声を真似て邪を払うことから、天皇陵の四隅を守護する隼人像だと断定する。天皇陵の四隅を守る八匹の犬、である。此の八犬が、立像・蹲踞像四組であることも面白い。立位と座位は、ペアが同一資格ではなく、主・従、陽・陰の関係にあると想定できる。

 女帝陵の東西南北それぞれを、主・従の関係にある二匹の犬/隼人が固めており、犬面人身像は狐にも見え犬と狐の親近性を実感させる(但し比古婆江の挿絵では鼠男にも見える)。伏姫います安房を守護する八犬士とイメージがダブる。

 因みに、此の「元明天皇御陵」の隼人像は七疋狐とも呼ばれていたが、文政三年現在の情報{遊京漫録}では、狐からの発想か、現地に稲荷神社まで建っていたらしい(→▼)。また、上記は八犬伝刊行開始後の情報だけど、蛇足ながら寛政年間の情報{好古小録}も挙げておく。既に「七疋狐」の正体が隼人像であると指摘している(→▼)。尤も、天皇陵を守護する獣面人身像だから、隼人の存在を知っている者からすれば、隼人にしか見えないだろうけども(→▼)。

 八犬伝終盤で安房国四隅に四天王が埋蔵された。犬士の八玉が眼として使われたが、組み合わせは、東が親兵衛と信乃、南が大角と小文吾、西が荘介と現八、北が毛野と道節である。此は筆者としては、かなりスンナリ受け容れられる組み合わせだ。

 例えば、親兵衛と信乃との密接な関係は諄いほど語ってきた。大角と小文吾は、ほかの犬士に裸体を晒す趣味のある者同士だ。荘介と現八は、共に幼馴染みで義兄弟でもある相手、信乃と小文吾を他の犬士に奪われ傷を舐め合う仲間である。終盤で毛野と道節が見せる微笑ましいジャレ合いは、筆者としては道節に殺意を覚えるものではあるけれども、仕方がないと諦めている。……というのは勿論(半分)冗談である。

 恐らく、八犬伝物語に叙述される犬士同士の関係に依って組み合わせが決まっているのではなく、逆に、此の組み合わせが厳然として設定されており、物語の中で犬士相互の絡み合いが導き出されていくのだろう。即ち、東の親兵衛と信乃は木と水であるから水生木、水気の信乃は親兵衛の仁(木気)を育む関係にある。また東が木気の方位なので、親兵衛が主であり信乃が従だ。金気の方位である西の荘介(金気)を主とし現八(土気)を従とする。これも土生金、相生関係だ。複雑なのは南北だ。火気の方位である南には火気の大角を主とし、従として小文吾(水気)が配されている。水克火と相克関係となる。逆に水気の方位である北には、水気の毛野を主とし、火気の道節を従として配す。これも同様に水克火である。南北で綺麗に関係が逆転している。対称である。此処でサブレベルの導入が必要だ。以前から筆者は、犬士を単に五行に配するだけでなく、それぞれの兄弟(えと)を問題にしてきた。犬士のうち五常に相当する仁義礼智信を木金火水土の兄(え)/陽としてきた。残る忠孝悌を火水水の弟(と)/陰と考えた。即ち南は火気の兄たる大角と水気の弟たる小文吾の組み合わせだ。兄が弟をイメージとしては上回るので、相殺して、火気が残る。所謂、単純な相克関係ではなく、水虚火侮、相侮の理が発動している。水気の方位・北は、水気の兄たる毛野と火気の弟たる道節だから、単純な相克関係でも水克火で問題はないけれども、水気の兄である毛野が順当に勝利する関係は、八犬伝でも道節が毛野に頭が上がらず対関東連合軍戦でも毛野に出し抜かれたり、他犬士が各方面軍として独自の裁量を任されているに対し、道節のみ毛野の直属として海戦に参加していることなどから、明らかに毛野が優位に立っている。抑も、洲崎沖海戦は、水の上で火を操る戦術を採っている。水気/毛野の掌で踊る火気/道節である。犬士同士だからって、相克の関係にあってはならぬワケもない。天皇陵を守る犬人/隼人像のように、各方位に主従・陰陽・兄弟の形で二人ずつが配されている。

 

 余談ついでに云えば、近世、神功皇后の朝鮮半島侵略は必ずしも肯定評価されてはいなかった。例えば水戸黄門は西山公随筆で、次のように云っている。

 

     ◆

○釈氏

……中略……

一 今世の僧最初より求法修行の為に出家するにはあらず。渡世の為に父兄のすゝめて出家せしむ。然ば如法戒行の人稀なる事理也。もし是を俄に正して戒律を以て責る時は全人なかるべし。飲酒男色皆持戒を背くといへ共久敷免し来れば皆是咎とせず。其宗門を知べき事、勤べき事を知て大法にはづれざるを出家と立て置べし。

……後略

     ◆

 

 水戸黄門は非常に口が悪く森羅万象すべてを批判していたが、絶世の美少年で徳川家光の愛人であり大酒飲みだったためか、僧侶の破戒も飲酒と男色行為だけは大目に見ている。まったく勝手なジイサンだったわけだが……あれ? いや、問題は其処ではなかった。神功皇后および朝鮮侵略に就いて水戸光圀の指摘は以下のようなものだ(→▼)。

 まず、八幡神は応神であるが神功皇后の胎中にあって朝鮮侵略を行ったため武神と崇められているけれども、赤ん坊どころか胎中にあって戦える筈がなく武神の資格は全くない。源氏は八幡神を氏神としているが、氏神は祖先が適格であり、経基王こそ祖神/氏神に相応しい。神功皇后の朝鮮侵略は、民衆を疲弊させる出兵であるため肯定し難く、且つ女だてらに兵に混じって行動することは礼に外れる。応神の兄に当たる二人の皇子を殺害したことは、応神を皇位に就けるための莫逆行為である。神功皇后は応神を妊娠十四カ月で生んだが、仲哀没後に武内宿祢を身近に置いていたことを考え併せれば、父親が本当は誰だったか疑惑を生ぜしむる現象だ。

 女性蔑視など立脚点に問題があるけれども、歴史的限界を考慮すれば、論理としては甚だ合理的である。さすがは肛門痔瘻……黄門侍郎である。単なる大酒飲みの男色家ではなかったようだ。儒教に立つ水戸光圀にとってみれば、民衆を疲弊させる大義名分のない対外侵略戦争など、すべきではないのだ。此の論理は、別に黄門様だけのものではなかった。山崎闇斎系の学者で十七世紀後半から十八世紀初頭に活躍した藤井蔵(懶斎)も、和漢太平広記で、神功皇后の侵略行動を「義悪乎在」としている(→▼)。

 まぁ懶斎は、神功皇后朝鮮侵略を義戦と称揚していた林羅山を嫌っていたようだし、結論は「徳川家康って偉い!」なんだが、引き立て役として神功皇后を持ち出し、日本を侵略する意図のなかった新羅を財産目当てに攻めることは悪であると指弾する。これこそ東洋の正論である。専守防衛の国是は、八犬伝に登場する安房里見家も採用していた。

 

 神功皇后の侵略を美化する感性は極めてナショナリスティック/我が儘であるが、侵略された側のナショナリズムから見れば皇后は悪者だろう。極めてナショナリスティック/我が儘であった水戸光圀が皇后を批判すること自体、寧ろ当然なんである。光圀は儒者であった。此が儒学の合理性である。国体の精華は、自尊愛国のため心の裡に抱く華であり、其の花束で他民族をブン殴るためのものではない。

 神功皇后の胎児・応神天皇が八幡神として祀られる一般的意味合いは、皇后の朝鮮半島侵略成功伝説に拠る。しかし八幡の申し子、源氏の嫡流、八犬伝の里見家は、逆に侵略の危機に直面する。順当に行けば、里見家は敗れ、それこそ侵略者たちにより犬のような屈辱的な目に遭わされる筈であった。差し当たって里見義通と親兵衛は、男色家・山内上杉顕定の夜の玩具にされねばならなかっただろう。が、敗北前から里見側には犬がいて、其の犬たちの働きで勝利する。犬は屈辱的な敗者ではなく、輝かしき勝者の姿であった。(お粗末様)

 

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