南総里見八犬伝第九輯下帙中巻第十九簡端贅言

 

本伝は文化十一年甲戌年第一輯五巻を綴り創しより今茲天保八年丁酉年に■シンニョウに台/りて無慮二十四の春秋を歴たり。其間、作者の腹稿或は流行に拠り或は昨の我に■厭に食/て趣を易文を異にして体裁同じからざるもあるべし。そを何ぞといふに始は只通俗を旨として綴るに敢奇字を以せず。この故に行毎に仮名多くして真名寡し。六七輯に至りては拙文唐山なる俗語さへ抄し載て且意訓をもて彼義を知しむ。要なき所為に似たれども世に独学孤陋にて唐山の稗史小説を読まく欲する諸生あらば其筌蹄になれかしと思ふ作者の老婆親切なりけり。こ丶をもて行毎に真名多くなりて字の数さへ覚ず始に弥増たり。抑曲学にて要なき書を好みて多く綴りぬる余が如きゑせ(似而非/文は半表半裏の筆に成れり。そを知ざるにあらねども畢竟文字なき婦幼の弄びにすなる技にしあれば故りて風流たる草子物語は取て吾師に做すべくもあらず。又彼唐山なる稗官小説の大筆にして奇絶なるも、その文は模擬に要なし。然ばとて坊間に写本にて行はる丶軍記復讐録の類なるは俗の看官もすさめざるべく、余も素より綴まく欲せず。この故に吾文は枉て雅ならず又和にもあらず漢にもあらぬ駁雑杜撰の筆をもて漫に綴り創しより世人謬りて遐け棄ず。そが中に本伝は、いと甚う時好に称ひて憶ずも一百四五十回の長物語に做りにけり。

 

こは年来吾机案上の工夫にて憖に切磋琢磨せる自得の戯墨なるものから、かくの如くにあらざれば唐山なる稗説の趣を写すに由なし。然ばにや彼は文華の国なれば俗語といへども出処ありて悉字義に称へり。但正文と異なる所以はその用同じからざるよしあり。譬ば正文に慚愧といへば即恥る義なるを俗語には且忝しといふ義にも用ひたり。又工夫は考索思量の義なるを俗語には空虚閑暇の義とす。工は空の省文にて夫は助語なれば則空なり。こ丶をもて俗語の和訓は、その処によりて異同あり。然るを原を極めずして此間に抄録したる俗語をのみ見て取用れば大く義理に違ふことあり。筆の次にひとつ二ツいはん。水滸西遊などに在を於の如く像を如のごとく似のごとく、則を唯のごとく読するは、其文に法則あり、叨に用るにあらず。似を読て如とすなるは、似飛に涯り、則を読て唯のごとくすなるは不則一日に涯り像を読て如となせども如之といふには用ひず。況教の転じて叫に做れる(教は令なり)、尿の転じて鳥になれる(人を罵る時にいふ)、底の転じて地に做り又転じて的になれる、一朝に解尽すべくもあらず。

 

我大皇国は■シンニョウに貌/古の久しきより、をさをさ言魂を宗とし給ひて文字の制度はなかりしに応神天皇の御時に初て漢字を伝へしより後の世に至りては人の詞はさらなり源氏物語などにすら音訓うち任したる文あれば、なほ後々には和漢駁雑の文章の必いで来ぬべき勢ひなり(太平記などを見て思ふべし)。そを又一転して仮名文に唐山の俗語さへ諳記の随取用ひぬる余がゑせ文を国学及漢学の博士達、■ニンベンに尚/その眼に触る丶もあらば、この駁雑を嘲■口に遽のツクリ/ふて云云といはるべからん。遮莫唐山にて俗語もて綴れる書に正文あり方言あり、しからざれば用をなさず。又儒書方書仏教は、正文なるべき者なれども、そが中に俗語あるは二程全書朱子語類。俗語をもて綴りしは奇功新事、傷寒条弁、虚堂録、光明蔵の類なほあるべし。先輩既にこの弁あり。恁れば彼が文華なるも言魂の資を借ざれば文を成すに如意ならず。矧亦大皇国の文章は和漢雅俗今古の差別あり。然るを今文場に遊ぶ者孰かよく貫通せん。いとかたしとも難からずや。

 

意ふに古昔の草子物語、竹採・宇通保・源氏物語なども作者勉てその詞をあなぐり撰てもて綴れるにはあらざるべし。必是当時大宮人の常語方言さへそが随に載ためれど古言はおのづから鄙俗ならず且宮嬪の詞に雅俗うち任したるもあれど(海人藻芥及真淵の草結などを見て思ふべし)才子才女はその品殊にて且能文の所為なれば後世和文の山斗たり。恁れば昔の草子物語は此にも俗語もて綴れるを思ふべし。和漢その文異なれども情態をよく写し得てその趣を尽せる者俗語ならざれば成すこと難かる、彼我同く一揆なり。然ばとて今此間の俚言俗語の転訛侏離の甚だしきを、そが儘文になすべからず。余が駁雑の文あるは、この侏離鄙俗を遁れんとてなり。

 

しかるに近世建部綾足が西山物語及び本朝水滸伝(一名吉野物語)は、をさをさ古言もて綴るものから就中本朝水滸伝は、その趣浄瑠璃本とかいふものに似たる条ありて、今の俗語もまじりたれば木に竹を接たるやうにて且時好に称ざりけん、僅に二編にて果さざりけり(第二編は写本にて伝ふ)。又村田の翁が筑紫船物語は今古奇観第二十六なる蔡小妲忍辱報讐(拍案驚奇にも此と相似たる物語ありてその文同じからず。蓋別話なり)といふ一編を皇国の故事に翻案して古言もて綴れるなり。然しも能文の所為なれば必初学の為に資助になるよし多からむ。惜むべし、この翻案半分にて翁は簀を易にき。いかで門人に続出す者ありて原本の局を果せかしと吾一知音は呟けり。そも国学者流にて且和漢の稗史さへ愛る余力あればなり、とばかりにして俗の看官は、いまだその書を知らぬもあるか、行はる丶こと広からず。只勧懲を旨として書読む事を好ざりける世の婦幼にもよく読するは余が如きゑせふみにもあるべからん。

 

稗官野乗は鄙事なり。是を好とは思はねども本伝結局遠からねばいはで已んはさすがにて、こ丶にも筆を費して百年以後の知音を俟べく今より後の嘲■口に遽のツクリ/議論を解ばやとおもふばかりに丁酉の秋八月念六日東園黄白の木犀花馥郁たる南檐の下にしるす者は著作堂の癡老

 

蓑笠漁隠

 

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南総里見八犬伝第九輯下帙中巻第十九口絵

 

【小山大夫次郎朝重が三方に載せた枡に豆を入れ、豆撒きをしている。三方に見える枝は柊か。鬼が逃げている。左ページに続き、鬼の前に根生野飛雁太素頼・堅名衆司経稜・長城枕之介惴利が逃げている。矢二筋を持って座る結城判官成朝。絵の周りは雲。左のページには具足姿で鉄棒を持つ徳用。小さめの破れ傘をさす浄西。目が見えない筈だが困惑し軽蔑した視線で徳用を見ている。右のページから朝重に豆を投げられた根生野ら三人が逃げて来ている。絵の周りは蔦葉か】

 

将種自賢賞罰法天 賛成朝

 

将種は自ずから賢、賞罰は天に法る

 

小山大夫次郎朝重こやまたゆふじらうともしげ・結城判官成朝ゆふきはんくわんなりとも

 

おかめとも見えぬ仏を人とはばきえずやむねにあり明の月 賛浄西法師

 

瞽僧浄西めしいはうしじやうさい・兇僧徳用けうそうとくよう・かたく名しふ司・をさき枕之介・ねおひのひがん太

 

★試記:拝めども見えぬ仏を人問はば、消えずや胸に有明の月/目の不自由な浄西が「消えずや胸にあり、明の月/有明の月」。虚偽の表情や動作を見ない分だけ浄西は人の真実を能く理解していただろう。流布せる情報には、間違いや歪曲や願望や嘘が、余りにも多く含まれている。

ところで従来の八犬伝読みにも浄西法師に蝉丸の影を見る者がいる。蝉丸は、「本朝列仙伝」巻二に登場する。「蝉丸(扶桑隠逸伝鴨長明無名抄佐国目録百人一首抄/蝉丸ハイツレノ処ノ人ト云コトヲ知ズ。頭童ニシテ。カタチ僧ニ似タリ。草庵ヲ会坂ノ関ニ結ビテ。往来ノ人ニ食ヲコフ。能和歌ヲ詠ジテ。ミヅカラ楽ム。世ニ盲目ナリトイフハ。誤ナリ。コレヤコノ。行モカヘルモワカレテハ。シルモシラヌモ。相坂ノ関。トヨミシ歌ノ序ニイヘルハ。相坂ノ関ニテ。往来ノ人ヲ見テ。ヨメルトアレハ。盲目ニハアラズ。後ニ仙人トナリテ。行処ヲシラズ。関ノ明神是ナリ」。此からすれば、童子の如き僧侶であるから、影西の姿もチラつく

 

【采を手にして立つ隣尾伊近。裾に白波と千鳥模様。傍らに「六道山能化院教主寺本堂建…{立カ}」。勧進の幟か。袈裟に菊紋。絵の周りは法子もあり仏具か】

 

棄却顕職富貴聚身人間孝子釈氏忠臣 賛僧正影西

 

顕職を棄却し、富貴は身に聚まる。人間{じんかん}の孝子、釈氏の忠臣

 

権僧正影西ごんそうじようえいさい・渥美郡領隣尾伊近あつミのぐんりやうとなりをこれちか

 

【法螺貝を手に立つ今純友査勘太。鎧の上に白波模様の衣。片膝立ての海龍王修羅五郎は鎖の着込みらしいものの上に太い縦縞の衣。金箱を右脇に抱えている。絵の周りは波】

 

汝是西浜漏網魚豈知東海有余且

 

汝、是、西浜の網に漏れし魚。豈に東海の余且あるを知らん

 

今純友査勘太いますミともさかんた・海龍王修羅五郎かいりやうおうしゆらごらう

 

★夜郎自大、身の程知らずの悪党を評す

 

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第百二十六回

 

「仮捕使三路に兵を行る義兄弟両林に悪を懲す」

 

【根生野素頼が落馬している。大角が六尺棒を振り切っている。雑兵三人が驚いて逃げ出している。大角の頭上に素頼のものと思しい笠が飛んでいる。画面左上に現八が経稜・堅削を馬に乗せ牽いている】

 

大角一棒人馬を倒

 

もとより・大角

 

現八僧俗二虜を牽く

 

現八

 

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第百二十七回

 

「丶大庵の厄に親兵衛伴を喪ふ石菩薩の前に信乃応報を悟る」

 

【照文・代四郎が縛り上げられヽ大が錫杖を衝いて立っている。合間を縫って銃弾が惴利の組子たちを撃ち倒している。親兵衛は一人を踏み付け一人を頭上に差し上げ、一人に背後から組み付かれている。組み付いている雑兵にも銃弾が命中している模様。このあと川に馬ごと落ちた筈の惴利は落馬寸前】

 

天助人力窮厄を解く

 

はやとし・しん兵衛・てるふミ・代四郎・ちゆ大

 

【浄西が願主として建立した地蔵の前。信乃を挟撃しようとして出来介を鉄の鹿杖で撲殺してしまう。身をかわした信乃が二人の同士討ちを見つめている】

 

徳用謬て道人を棒殺す

 

信乃・とく用・てらをとこ

 

★浄西は里見季基の馬の轡取りだった十十八。自身も傷つきながら季基の屍を守り抜いた。荼毘に付し、遺骨に遺物を添えて密かに葬った。十十{とど}は、海馬{とど}の詰まり、という如く、結局の意味もある。昔は鯉が龍になる如く、鯔{ぼら}が最終形態として海馬にまで進化するとされていた。ただ、十六を「二八」と表記する八犬伝に於いて、十十は百を意味し得る。十十八なら、百八か。百八とすれば、百八を以て、何かが終わる、若しくは、何かの総数が百八であることを意味しているかもしれない。百八と言えば、役行者が伏姫に与えた数珠の玉数であった。また、十十八/浄西が登場した時分、すなわち結城大法会開催時には、仏教関係者が頻出する。浄西の息子影西をはじめ、凶僧徳用・堅削、未得、そして地蔵が化けて出た星額、名前はないが其の九弟子および犬士らの一行に徳用らの襲来を告げる謎の僧侶、名前だけ登場する師匠の宝珠……。

地蔵同士の師弟関係とは如何なものか判然とせぬが、九人の僧を引き連れて結城大法会に参加した師僧の名は、星額であった。また其の師匠は宝珠。星額は、地蔵の額にある白毫を地蔵星と呼び、地蔵が宝珠を持つことからの名付けであった。なお、「殊更なる大仏一体を季基主の墓表と定させ給ひし」とあるから、星額は、里見季基の墓標としての地蔵であった。

通常、地蔵は閻魔王を含む十王を引率する。十王は死者を裁く者であり、四十三回忌である。忌日は一般に当初は七日毎であり、初七日、二七{二×七=十四}日、三七{二十一}日、四七日、五七日、六七日、七七日/四十九日ときて、百カ日、一周忌、三回忌{満二年目}、七回忌であるが、あとはNを四以下の自然数として、十×N+三、十×N+七回忌が設定され、五十回忌、百回忌と続く。あとは五十年毎の遠忌であるから、遣りたければ二千六百五十年忌でも二千七百年忌でもすれば良い。死者は忌日毎に裁判を受ける。十王とは、三回忌までの裁判官だ。十三王となれば、裁判が十三回忌まで延長される。此の伝でいけば、四十三回忌とは十八回目の裁判だ。現代日本では殆どの案件が三審制の範疇であるが、十八審もしていたら当初の論点がズレていそうだ。しかし、審理を繰り返す間は、有罪が確定しない、即ち地獄に堕ちないと解釈されていたのだろう。審理中は、推定無罪原則が働くらしい。遺族が、死者を地獄に落とされないため上告を繰り返すのが、忌日の意味だ。

第三十七回、古那屋で信乃ら犬士を初めて発見したヽ大は、「わが歓びは餓鬼にして地蔵の宝珠を見るに勝れり」と言っている。宝珠は犬士の玉に合わせて口走っただけで、「餓鬼が地蔵に会ったときのように喜んだ」との意味だ。餓鬼道に限らないが、地蔵は亡者を救済する。十王や十三王は亡者を裁くが、正体は地蔵であって、罪に落とすことを目的はしていない。生前の善行をほじくり出して罪を相殺し、実質無罪、起訴猶予にまで持って行くために、何度も審理を繰り返すのだ。

八犬伝本文に於ける地蔵の登場は、第四十六回、荘介と道節が二度目の出会いを果たす場面が初出であったか。道節のせいで白井の城兵と戦い信乃・現八・小文吾とはぐれた荘介が、田文地蔵堂で道節と、越杉駄一郎・竈門三宝平の生首を奪い合う。色々あって力二郎・尺八郎の首とすり替わる。此の田文地蔵堂は、道節の父道策の卒塔婆が立っている場所でもあるが、音音が「この山里に落著し去歳の秋の干蘭盆より道策さまをはじめまつりて戦歿しけん子共の為、なき人々の菩提にとて、田文の茂林の地蔵菩薩へ燈明をまゐらする大願を発せしより、日として懈ることはなけれど」{第四十七回}、と熱心に通う堂でもあった。中世以降、盂蘭盆は餓鬼供養を伴う。上記の如く、地蔵は餓鬼を含む亡者を救済する

 

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第百二十八回

 

「犬士露宿して追隊を迎ふ老僧袱を■寒いの〃の替わりに衣/て冥罰を示す」

 

【朽ちた山門の内側から紀二六が外を窺っている。信乃と親兵衛が並んで門を見守る。手前にはヽ大・照文を六犬士と代四郎が取り囲み守護する形】

 

八犬士を逐て朝重結城より到る

 

みやひをハめつらんいく世ふる瓦硯にせよとすみれさきけり漁隠

 

小文吾・さう介・けの・げん八・てる文・大かく・ちゆ大・道せつ・よ四郎・しの・しん兵衛・てる文くミこ・てる文ともひと・きじ六・ともしげともひと・ともしげ

 

★試記:雅男は愛ずらん幾世経る瓦、硯にせよと菫咲きけり

 

【剛九郎宅座敷。床の間に惴利が脱いだと思しい鎧と小手。手前に脛当。毛深い惴利が振り下ろした刀を剛九郎が酒用の鉄瓶らしきもので受け止めている。若い女性が驚いて逃げ去っている】

 

惴利酔て剛九郎を斫らんとす

 

ごう九郎・はやとし・げぢよ

 

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第百二十九回

 

「忠僕死に事る霊仏の起本孝子京を去る伝燈の法脈」

 

【小さな地蔵堂の門口で浄西が座って鐘を叩いている。地蔵の背に蜘蛛の巣が張っている。小僧姿の影西が通行人に柄杓を差し出し喜捨を願っている様子】

 

忠孝の父子路傍小堂の仏前に乞食す

 

浄西・えいさい

 

★地蔵の背にかかった蜘蛛の巣が気にかかる。浄西は目が不自由だから気がつかないかもしれないが、影西は地蔵堂の掃除さえしていないのだろうか。不自然である。それとも蜘蛛の糸は、地蔵が亡者を地獄から掬い取る網を暗示しているか

 

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第百三十回

 

「里見侯白浜に旅襯を葬る大法師穂北に客情を果す」

 

【右手に立つ照文とヽ大。紀二郎が控える。背後に組子や僕。左手から貞行が近付いている。挿絵では久しぶりだが白髪頭となり年老いている。義実配下の優秀な文官であった貞行と、義成配下で同様な役回りの照文の対面。標石右側は「是より上総国いみし郡関宿丁場」、左側が「是ヨリ安房国長狭郡小みなとへ■欠字/丁」。左奥に小湊誕生寺と背景に連なる白帆】

 

市河坂に丶大照文貞行の迎るに逢ふ

 

しもべ・くミこ・くミこ・くミこ・くミこ・きじ六・ちゆ大・てるふミ・わかたう・さだゆき・小みなとたん生寺

 

【穂北の氷垣宅……落鮎宅か。座敷で上座からヽ大が重戸に十念を授けている。ヽ大の前に置かれた高坏には紙を敷き落雁様のものが載せてある。横には照文。八犬士が左右に居流れる。重戸の後ろに有種、左手に代四郎が控える】

 

丶大に謁して重戸十念を受

 

小文吾・しん兵衛・ありたね・よ四郎・於も戸・どうせつ・しの・げん八・てるふミ・大かく・さう介・けの・ちゆ大

 

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第百三十一回

 

「八行の霊玉光を良主に増す九歳の神童氏を花営に請ふ」

 

【滝田城。広間に向かって廊下を渡る八犬士。ヽ大・照文も左手から近付く。広間には、氏元・辰相が控えている】

 

滝田稲村の城に八犬士里見両侯に拝見す

 

仁第一・義第二・礼第三・智第四・忠第五・信第六・孝第七・悌第八・ときすけ・うぢもと・ちゆ大・てるふミ

 

★各犬士の紋は親兵衛が「杣」字、荘介は判別不能、大角は蔦、毛野は月星、道節は左向き揚羽蝶、現八は「犬」字、信乃は桐、小文吾が「古」字。並び順は、仁義礼智ときて忠、信孝悌。耳慣れた仁義礼智忠信孝悌である。五常の智と信の間に忠が割り込んでいる

 

【妙真宅台所。美熟女妙真が立って代四郎に挨拶。代四郎は尺八郎に包みを渡そうとしている。片茶礼を受けたとき菓子でも包んでもらったのか。若いメイドが鉢を擂り粉木で掻き回している。味噌か。音音は座ったまま代四郎を振り返っている。力二郎は母か叔母の単節に纏わり付いている。もう一人の枯樹新婦は鍋の火加減を見ていたようだが代四郎を振り返っている。手前に鰹一尾。脇に包丁】

 

妙真饗饌して八犬士を歓待す

 

代四郎・みづしめ・二世尺・花咲のうば・枯樹新婦・枯樹新婦・二世力・妙しん

 

★幸せそうな光景

 

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第百三十二回

 

「金碗後無して更に後あり姥雪望を失て反て望を遂ぐ」

 

【上洛船中。鎧櫃を背に座っている前髪姿の親兵衛。横に控える照文は帳面を開いて何か書いていた様子。代四郎が驚いた様子で立っているが、驚かせた側だろう】

 

折にあへば波のそこなる沖の石もしほのひかたにあらハれにけり 玄同

 

代四郎・てるふミ・しん兵衛

 

★試記:折に逢へば波の底なる沖の石も潮の干潟に現れにけり

 

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第百三十三回

 

「客船を哄して水冤鬼酒を沽る波底に没みて海竜王仁を刺んとす」

 

【苛子アに停泊する里見家の船。船商人が小舟で近付いている。メニューは「団子・煮〆・濁酒・甘酒」か。岸には四九二郎が立ち、組子五人ばかりが控えている】

 

苛子崎に四九二郎客船を鑑検す

 

舟あきひと{だんご・にしめ・にごり酒・あまさけ}四九二郎・かこ・さと見の泊船

 

【小舟の上。修羅五郎に背後から組み付いている親兵衛。足下に金箱。岸では代四郎が額に手を翳して見守っている】

 

修羅五郎大洋に新兵衛と挑む

 

よ四郎・しん兵衛・しゆら五郎

 

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第百三十四回

 

「苛子の海中に与保千金を■テヘンに労/る蕃山の窮難に照文一将に逢ふ」

 

【山路に正体を現した鋸鮫五鬼五郎/四九二郎が照文らに襲いかかる。崖っぷちで組み伏せられ刀を取り落とす照文。馬乗りになった今純友査勘太が小刀を逆手に持って首を掻こうとしている。左手で引き離そうとする照文。代四郎は四九二郎と切り結んでいる。紀二六が照文のもとへ駆けつけようとしている画面奥では隣尾伊近指揮する一体が海賊を追っている。沙智七が先頭切って逃げている。河豚六は転倒しかけているか。土左衛門が続いて逃げる。正覚坊は機馬に斬られたところ。岩四郎も賊を追う。手前では里見家の組子と照文の組子が傷つき屁垂ばっている】

 

前凶後吉蕃山遭際

 

四九二郎・きじ六・代四郎・さかん太・てる文・これちか・ざふ兵・吸四郎・さとみのくミこ・はた馬・てる文のくミこ・土左衛門・正かく坊・ふぐ六・しやち七

 

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第百三十五回

 

「渥美浦に便船紀二六を送る管領邸に禍鬼親兵衛を抑む」

 

【照文宅。小湊目と荘介・萌三が訪れている。三人の中央に菓子らしいものを盛った鉢。床の間に朝顔。紀二六が茶を出している。縁に立つ照文の妻が狆らしい犬を連れている。狆は笑っているような顔。軒に虫籠二つを吊る】

 

蜑崎の宅に荘介目萌三と面談す

 

てる文のつま・きじ六・さうすけ・もえざう・さくわん

 

【花の御所広間。上座の義尚横に宣旨。左右に細河政元と畠山政長。親兵衛・照文が進物の目録などを差し出している。政元は「河」字紋、政長は「山」、親兵衛は「杣」、照文は帆紋】

 

花の御所に仁照文義尚公に拝見す

 

てる文・しん兵衛・まさもと・まさなが・よしひさ公

 

せんじ・みぎやうしよ

 

★親兵衛の紋は、思いっきり「杣」字。照文は、三つ帆。蜑崎なる苗字、十郎が水練の達人であったことなどから海に縁がありそうな照文だが、果たして、紋も海絡みであるようだ。第三十八回では、碇紋であった。異動はあるものの、何連も海に関連している

 

  
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