南総里見八犬伝第九輯下帙之上附言

 

有人云在昔里見氏は安房に起りて後に上総を略し又下総をも半分討従たりき。有恁ば安房は小国なれども其発迹し地なるをもて今も世の人推並て安房の里見といふにあらずや。然るを叟は這書に名つけて南総里見とす。便是本を捨て只その末を取るに似たり。故あることか、いかにぞや。と詰問れしに予答て云否、子が今論ずるよしは後の称呼に従ふのみ。上れる代の制度を考るに安房は素是総国の郡名なり。■シンニョウに貌/古天富命更求沃壌分阿波斎部率往東土播殖麻穀好麻所生故謂之総国(古語麻謂之総也今為上総下総二国是也)阿波忌部所居便名安房郡(今安房国是也)と古語拾遺に見え古事記並に書紀景行紀に東の淡水門を定め給ふよし見え且景行五十三年冬十月天皇上総国に到給ひて淡水門を渡り給ふよし見えたり。しかるに元正天皇の養老二年五月乙未上総なる平群安房朝夷長狭四郡を割て安房国を置給ひしに聖武天皇の天平十二年十二月丙戌安房国を元のごとく上総国に併せ給ひき。かくて孝謙天皇の天平宝字元年五月乙卯安房国旧に依て分立らる丶よし書紀又続紀に見えたり。是よりして後は安房と上総と二国たるに論なし。さばれ安房も初は総国なり。当時里見氏の威徳を思料るに土人相伝へてその封域をいへる者二百二十七万国とす。房総志料第五巻安房の附録に是を否して里見九代記に拠るに里見の領地は義尭より義弘へ伝へし所、安房上総並に下総半国是に加るに三浦四十余郷あり。此彼を合しても七十万国には尚充ざるべきに土人の口碑に伝る所は何等に本づきていへるにか、といへり。縦七十万国に充ずとも大諸侯と称するに足れり。然れば起本の国といふともかくの如き小説には褊小の安房をもて里見の二字に冠すべからず。■カサに小/りとて又房総と倡へなばなほ三浦四十余郷あり。因て南総といふときは、その地広大に相聞えて唯上総にのみ限るにあらず。這書に載する里見父子は賢明当時に無双なれば南方藩屏第一の大諸侯たるよしを看官にしもおもはせんとす。作者の用意素よりかくの如し。知ず僻言ならんかも。

 

本伝第九輯は初の腹稿より巻の数いと多くなるをもて第九十二回より第百三回までの六巻を九輯の上帙とし第百四回より第百十五回までの七巻を中帙の上下とし今板第百十六回より第百二十五回までの五巻を下帙の上とす。是より下にも尚物語多かれば亦復十巻を両箇に釐て下帙の中、下帙の下として明年二度に続出すべし。

 

八犬士及八犬女の端像(俗に是を口画と云)は第二輯三輯より冉々に是を出して今さら遺漏なしといへども或は総角の折の姿を写し或は微賤の折の趣にていまだ其真面目を見するに足らねば今又こ丶に是を出せり。しかるも惟伏姫は生前死後の神体まで曩に端像に出し丶かば茲には省きて七犬女を重出す。そが中に浜路沼藺雛衣は既に鬼籍に入りたれば、その墨色を異にして綉像同じからざらしむ。又彼神女の賛詞の如きは琴■タケカンムリに頼/君子の麗藻あり。因て丶大を賛する五絶と倶に亦簡端の余紙に録しつ

 

天保七年丙申秋九月下澣立冬後の一日

 

蓑笠漁隠識

 

 

 

南総里見八犬伝第九輯下帙之上口絵

 

【着飾った浜路姫{前後の浜路}に鏡を向けて立つ信乃。鏡には淡く浜路姫が映っている。信乃の紋は桐。袴の模様は龍。二人の間に大小二頭の蝶が舞う。浜路姫の着衣は荒波。傍らに咲き誇る牡丹。絵の周りは雲】

 

磨剣不忘親寛仁王佐器堂堂好男子到処伏奸吏 賛犬塚戍孝

 

剣を磨き親を忘れず、寛仁にして王佐の器、堂々たる好男子、到る処に奸吏を伏す

 

寒蝉懸■虫に喜/網新月落円陵■丙のしたトマタ/託同名女貞魂結赤縄 賛浜路

 

寒蝉の■虫に喜/網に懸かり、新月は円陵に落つ。斃れて同名の女に託し、貞なる魂は赤縄を結べり

 

犬塚戍孝いぬつかもりたか・前後両浜路ぜんごのりやうはまぢ

 

★信乃賛の「剣を磨き」は武勇、「親を忘れず」が孝を意味する。但し「王佐の器」は、主君の補佐と広義に解釈すれば、犬士全員に共通する資質であろう。信乃は親兵衛に付き添う。仁の犬士親兵衛を王と見立てているとも読める。古代以降、「仁」は多くの天皇の名に使われている文字だ。親兵衛は天皇ではないが、天皇が特定空間を主宰する原理が【仁】である。王は、本来ならば、王の徳を備えている{実際には希有ではあるが}。王と王の徳は一致していなければならぬ。よって、親兵衛は王そのものではないが、親兵衛に寄り添う信乃は、王の徳を補佐する徳をもっている。

「好男子」は美男子。馬琴も信乃はベタ褒めである。浜路賛は本文に忠実である。虫網は網干であり、円陵は円塚山。赤縄は婚姻の隠語として使われている

★縷々述べて来た如く、蝶は冥界の扉が開くとき出入りする妖しい生物だ。また、梁山伯・祝英台伝説に於いて、愛し合いつつも現世で結ばれなかった二人の化生だ。梁祝伝説では、学塾で梁山伯と男装した祝英台が、密かに思いを寄せ合う。前浜路は女装犬士である信乃に強烈な思慕の念を抱く。此処に描かれている二頭の蝶は梁山伯・祝英台伝説の影響下にあろう。信乃と前浜路を表している。且つ蝶は冥界と現世を行き来する者である。ならば口絵に描かれている浜路は、前浜路か。信乃は鏡を浜路に向けている。鏡は魔を破る。化け猫など物の怪も鏡に映せば正体を現す。しかし、鏡に映っているのは骸骨でも何でもなく、此処に座っている浜路のようだ。ちゃんと花飾りも櫛も見える。この期に及んで前浜路は亡き者であるし、お姫様姿だし、此処に描かれている者は、後浜路すなわち浜路姫であろう。とはいえ、蝶の存在から、前浜路でもある。後浜路の姿をとった前浜路である筈の姫を鏡に映しても姿が変わらないとすれば、前後の浜路は完全に一致していることになる。前後の浜路は、全く同一の存在である

 

【大中黒の幟を持った軍装の荘介。端午飾りを持つ音音。着衣模様は花柄。飾りの幟は大中黒と篠竜胆。鳥三羽と鯉幟が並び飛ぶ。吹き流しも。絵の周りは法輪などか】

 

幼稚養村荘義心凌毒手在泥不染泥市上耀人口 賛犬川義任

 

幼稚においては村荘に養われ、義心にて毒手を凌ぐ。泥に在りて泥に染まらず。市上、人口に耀く

 

依義失双実逢霊全両英誰知仙境住老樹受恩栄 賛音音

 

義に依りて双実を失い、霊に逢い両英を全きにす。誰か知る仙境に住むを。老樹、恩栄を受く

 

犬川義任いぬかわよしたふ・音音おとね

 

★荘介賛は、其のマンマである。音音賛には難解な部分がある。字面を最も単純容易に解せば、「道節から扇谷上杉定正を殺すために協力してくれる有用な人物を命に替えても確保せよと命じられた息子/『実』の力二郎・尺八郎は、無実の罪で刑死せんとする義兄弟である荘介を救うほど義に篤い信乃らを味方につけるべく命を投げ出し協力した結果、死んでしまった{以上、『依義失双実』}。其の息子たちの幽霊が来てくれて、野武士に捕らえられそうになり危機に瀕した両{ふた}つの花{/英}曳手と単節を保全できた{以上、『逢霊全両英』。いや実際、荒芽山危難の叙述では絶対に姥雪世四郎と音音は焼死していないとオカシイ、誰も仙境/富山で生き延びているなぞ思いもつかなかった{以上、『誰知仙境住』}。老いた木は最後に残った果実を奪われ、自分たちの生きた痕跡を枯れた後には遺せないかと絶望ていたところ、果実が自らは奪われながらも我が身に寄り添った二つの花を守り抜いていた。花は、いずれ実を結ぶ。奪われた果実と同一かと見まごうばかり素晴らしい果実が成った。枯れ木は賞賛された」ぐらいになろうか。

世四郎・音音の立場からすれば、力二郎・尺八郎は自分たちの子ども/果実であるが、曳手・単節は其の「果実」と配偶して新たな世代の【果実】を結ぶべき「英/花」だ。人間を無理に植物に置き換えた詩文的技巧が裏目に出て、論理の上で破綻を見せてはいる。しかし、云いたい事は、朧気ながらも解る。一般論としては、果実と花が配偶して、実を結んだりはしない。義務教育修了以前に習う。常識である。常識の地平で、「果実と花が配偶して、新たな世代の果実を結ぶ」と云う者があれば、何かしらの隠喩を語っている可能性が立ち上る。言葉尻を捕らえて「あり得ない」と言い募ることは可能だ。しかし、当然事を弁えた上での発話ならば、其の内容は一般論より豊かである可能性がある。嬉しげに相手が間違っていると思い込みたがる故に相手が誤ったと言い立て、次元が低い故に其のようなハネッ返りを真に受ける者が多数を占める集団内なら、音音賛は無意味なものでしかない。いや実は、ハネッ返りのバカガキは八十歳を過ぎてもバカガキの侭だ。年齢とは関係なく現代に於いては膨大に発生している。

詩句を、極端なまでに省略が許容される短詞と見れば、「実」は「花」でもある。音音から見て「実」ではあるが、前の力二郎・尺八郎は、「実」から成長し新たな個体となって雄花を咲かせていた。別個体で雌花を咲かせている曳手・単節と交配した。また、上記の解釈から、「花」が性交可能な状態を意味していることが解る。

いや、高齢となっても性欲はあろうし実際に性行為は為されているのだろうが、大雑把に切り分けてレッテル貼りをするのが文学でもある。概念の鮮明な区分のため、表現に閾値を設定する。高齢者の性欲が平均「三」とし壮年が「五」、青年が「七」で少年が「九」とする。レッテル貼りの為に性欲「四」未満を無視する。個々人の中には性欲「九」の高齢者もいようが、世代平均としては「三」であるから、イメージとして高齢者の性欲を無視する。そういった理解の仕方も、世の中にはあるし、皆さんも似た様なレッテル貼りは日常の中でしていることだろう。義務教育修了以前にも確たる人格を有する個人はいようが、ローティーン世代に対し十把一絡げに漠然と、「中坊はバカ」とかイメージしている方もおられよう。

あくまで其の様なイメージに於ける便宜上の区分に過ぎないが、高齢者として描かれる世四郎・音音は、既に花の盛りを過ぎた、十分な性欲を失った世代である。枯れ木である。第六輯挿絵で曳手・単節は「枯れ木に花嫁」{第百五回}と表記されている。曳手・単節は十分に性的存在である所の「花」である。且つ十条音音にとっては嫁であるから、「花嫁」なのだ。云っておくが、「枯れ木の花嫁」ではない。「の」になると、曳手・単節が「枯れ木」か、二人が与四郎・音音と配偶していることになる。曳手・単節は枯れ木ではない。

また、ストーリー上で強い男性性を発揮する音音だし、音音を仮名表記すれば「ね」は「祢」の場合が多いけれども「子」を使うときもあり、故に「子子子子子子子子子子」{この子ねこの子この子ねこの子}との謎かけが可能になる日本語の楽しさ、「おとね」は「おとこ」とも読める場合があるのだけれども、なるほど音音は女性を毒牙にかけることも十分にあり得るが、曳手・単節は相手として不足だろうから、舵九郎の劣情を掻き立てる程に魅力的に熟した妙真をこそ狙うだろう。互いの孫の評判を共通の話題として睦言を交わすに違いない。

其れは措き、「枯れ木に花嫁」である。枯れ木に寄り添う花嫁、と解せば、やはり「枯れ木」は与四郎・音音である。そして第六輯挿絵で与四郎・音音は「花咲の翁」「花咲の姥」{第百五回}と表記される。枯れ木であるのに花が咲いた翁・姥、との意味であろう。且つ、民話の、花咲爺、をも一部は含み込んでいるか。花咲爺の話は近世に於いて幾種類か刊本もあった。犬の指示で穴を掘り宝を見つけたが、隣の悪爺に犬を殺された。犬の屍を埋めた場所から木が生えた。木で臼を作って搗くと宝が湧いて出たが、臼を隣の悪爺に焼かれた。臼の灰を撒くと枯れ木に花が咲いた。要するに、我が子の如く可愛がった犬を殺されたが犬の転化と思しい臼の灰が、枯れ木に花を咲かせたのである。刊本によっては、犬の可愛がり方がアッサリしているようだが、とにかく犬の転化たる臼の灰が枯れ木に花を咲かせるのである。

さて、性的存在であるとは、青壮年すなわち労働人口にカウントさるべき者であって、社会的活動を期待される者を意味する。此の場合は、八犬伝の最前線で活躍する者である。

力二郎・尺八郎は与四郎犬の転化である姥雪代四郎の息子であるし、荘介救出作戦に命を投げ出し協力した。犬士ならずとも犬の眷属であり、犬族とでも謂うべき者だ。犬族たる力二郎・尺八郎の犠牲により、代四郎は犬士と強く結び付き、活躍の場を与えられる。枯れ木に花を咲かせるわけだ。此のレベルでの大雑把な要約となって初めて、代四郎は民話の花咲爺と重なり合う。音音の「花咲姥」は、代四郎の「花咲翁」に準じており、内包に差別はないだろう。活躍の形態が違うのみである

 

【槍を手に立つ道節と矢二本を握り片膝立てる毛野。前髪がなくても毛野は愛らしい美少年。道節は二枚目だが悪人面。帯が青海波模様】

 

赳赳忠魂子積年凌百憂英風誰敢敵一箭貫金兜

 

赳々たる忠魂子、年を積み百憂を凌ぐ。英風、誰か敢えて敵するや。一箭、金兜を貫く

 

変姿知幾処智勇最冠州牛閣返重恨鈴森討久讐 賛犬山忠与犬阪胤智

 

姿を変え幾処を知る。智勇は州に最も冠たり。牛閣に重恨を返し、鈴森に久讐を討つ

 

犬山忠与いぬやまただとも・犬阪胤智いぬさかたねとも

 

【闇に「念仏講中」の提灯を掲げる現八。鉦を叩きつつ柄杓を差し出し喜捨を求める風情の妙真】

 

剣法阪東一勇威不可当拾骸庚申嶺補孝赤嵒郷 賛犬飼信道

 

剣法は阪東一にして、勇威は当たるべからず。庚申嶺に骸を拾い、赤嵒郷に孝を補う

 

一時離両羽恩恵六年間歓喜且憂苦共維倚富山 賛妙真

 

一時にして両羽と離れ、恩恵六年間。歓喜かつ憂苦、共に維、富山に倚る

 

犬飼信道いぬかひのぶみち・戸山妙真とやまのミやうしん

 

★以前に語った通り、現八の師匠二階松山城介は、象徴的な武術の権威であろう。例えば天真正神流創始者の飯篠山城守家直などを取り込んだか。「二階松」に似た紋に「二階笠」があり、此れは柳生家の紋所だ。剣法は板東一ならば関西には関西一がいたのか との突っ込みをしようとは思わない。彼は京都でも達人として道場を構えている。実は日本一かもしれない……とは無意味な詮索

★妙真賛は難解だ。「一時離両羽」からして難しい。「両」は二を意味する。翼賛議会などと使うように翼は本体の扶け、恃みとするものであるが、此の場合は翼と同義の場合もある「羽」と表記されている。よって、「羽」は、妙真が恃みとする者であるが、まずは犬江屋当主たる息子の山林房八と妻の沼藺を意味していよう。しかし後に犬江家を継ぐべき親兵衛も、恃むべき「羽」と言えなくもない。「羽」の候補者が三人いるのだ。厳密に「両」を二と考えるか、鳥の羽/翼は一般に二枚と考えるべきであって故に「両翼」との言葉もある。尾翼が如何だの屁理屈は聞きたくない。まずは常識を以て解す。ならば、「両羽/両翼」とは羽/翼の総てであって、故に「離両羽」を、【恃むべき者すべてを喪った】と解釈する余地が生ずる。此の場合は、喪った者が二人だろうが三人だろうが、「両」と表現して差し支えない。

「恩恵六年間」は恐らく、「離両羽」からの「六年」を指す。この間、妙真は里見家から扶持を受けている。「離両羽」の時点を、房八・沼藺を喪い、更に親兵衛を奪われた文明十年と考える。「六年」が満六年を指すか、足掛け六年を意味するか。足掛けなら文明十五年、満なら文明十六年に終了する。文明十五年、妙真は親兵衛と再会する。翌年には南関東大戦が終わり妙真は五十子への従軍{人質}から解放され安房に戻って人生最後の冒険を終え、親兵衛と同居し始める。差し当たっては、満六年、愛する孫の親兵衛と同棲を始め、幸福な生活が安定した時点までを「六年」と考えておく。犬士信乃を救うため房八・沼藺が義死し親兵衛を喪ったことにより、妙真は里見家から扶持を受けた。

「歓喜且憂苦共維倚富山」を【喜びも悲しみも、すべて富山に因る】と解すれば、彼女の人生が「富山」に支配されていることになる。筆者が戸山妙真の「戸山」を「富山」と重ねる所以だ。「富山」とは、伏姫を隠喩し得る語彙である。そして伏姫が天照大神の岩戸隠れを再演するならば、富山には戸山{戸隠山}の意味が含まれていることになる。富山/戸山は、十分に成長するまで仁の犬士親兵衛を、囲い込み保護する場所でもある。富山に発した親兵衛が、戸山のもとを経て、富山に戻り出現する。妙真の禍福は、富山の意思に左右されている。

また、親兵衛の父は房八であり、妙真は祖母に当たる。犬士の父は八房であり、玉面嬢妙椿は八房の継母もしくは乳母であるので、犬士の祖母に準ずる。妙真と妙椿は対称の位置にあり、それぞれが親兵衛の善き祖母、悪しき祖母である。祖母/母なるものの二面性を表現している。混沌なる根源から陰陽に分化するとは、日本書紀冒頭の天地開闢神話にも見られるプリミティブな感覚だ

 

【「山林房八肖照」を開く軍装の小文吾。傍らに立つ沼藺。薄墨で描かれているところから幽鬼か。着衣模様は麻葉。周りの絵は波、就中、沼の波か】

 

一拳撲野猪双手駐■ウシヘンに力/■ウシヘンに介/謙遜不曾誇其名轟世界 賛犬田悌順

 

一拳にして野猪を撲ち、双手にして■ウシヘンに力/■ウシヘンに介/を駐む。謙遜して曾て誇らず。其の名、世界に轟く

 

心血成良薬眼前救一雄悲風花落処不料得神童 賛沼藺

 

心血を良薬と成し、眼前に一雄を救う。悲風の花を落とす処、料らずも神童を得る

 

沼藺ぬい・犬田悌順いぬたやすより

 

★小文吾の悌は、親以外の尊属に対する従順さを表す。親に対する孝を、他の尊属に向けたものと云ってよかろう。高きから低地に流れる自然な動きを体現する。五常/仁義礼智信は、五行配当で、それぞれ木金火水土となる。五常は徳の基本であるから、筆者は、おのおの五行の兄/正と考えてきた。八行のうち残る忠孝悌を、火弟・水弟・水弟と考える。弟とは、兄/正/積極に対する弟/副/消極である。孝と悌は類似であり共に従順さを根底に据える。水は器や地形に合わせ、形を変える。しかし水兄は場合によっては暴れ狂い、生きとし生ける者すべてを呑み込んでいく。孝や悌は、親に同胞に、素直に従い柔らかく包み込む。智が奔流ならば、孝悌は静かに横たわる湖沼か。井戸とも泉ともなろう。毛野は、鬼の如くに怒り狂う鬼怒川/毛野川のイメージだが、信乃は井丹三の孫であり、小文吾の妹は沼藺であった。迸る水兄/壬と、静かな水弟/癸である。対牛楼に於いて毛野は、大いなる沼/小文吾の胸に抱き留められるものの、収まりきれずに隅田川を下って姿を消す。塞がった井戸/信乃は、のしかかる岩を払いのけたとき、漸く解放されて溢れ出す。流れ行く者を一時は受け止め包み込む小文吾は、普く開かれた門/観音の如き性格だと思われるが、観音で有名な那古を源流としており、且つ「流れ行く者を一時は受け止め包み込む」宿屋が生業であった。

ちなみに名前からして水気系で宿屋を営んでいた相撲取り、石亀屋次団太は北国で小文吾と深く関わる。嘗て小文吾は馬加大記に抑留されたものの、毛野の活動によって脱出できた。次団太は嗚呼善の計略により官憲に拘束されたが、毛野の活躍によって釈放された。二人が自由を奪われた原因は、小文吾にあっては名笛嵐山を隠匿していたと船虫に誣告されたことであり、次団太の場合は嗚呼善によって名刀木天蓼丸を盗賊から故買したとの濡れ衣を着せられたことであった。次団太は小文吾の相似形である。後に小文吾の生まれ故郷である次団太としては縁のない行徳辺りの長となる

 

【富山石窟。曳手が力二郎を肩に載せて立ち、単節が座って尺八郎に乳を含ませている。朝顔模様の帯。周りは下部に雲、上部に蔦葉か】

 

駄馬倒山路姉妹咫尺間若非神妙助争得到仙寰

 

駄馬の山路に倒れるとき、姉妹は咫尺の間にあり、若し神妙の助けあらざれば、争いて仙寰に到るを得ん

 

又仙山逢舅姑夜徑見亡夫姉妹依神助相倶設鳳雛 賛曳手単節姉妹

 

又、仙山に舅姑と逢い、夜徑に亡夫を見る。姉妹とも神助に依り、相倶に鳳雛を設ける

 

単節ひとよ・曳手ひくて・十条尺八じうでふしやくはち・十条力二郎じうでふりきじらう

 

★曳手が力二郎を、単節が尺八郎を生み育む。二人とも夫との夫婦生活は、一夜切りであったが孕んだ。そういうこともあるのだろう。二人の夫を便宜上、前の力二郎・尺八郎とする{子どもを後の力二郎・尺八とする}。

浜路が凄惨に殺され、程なく房八が義死、そして荘介救出作戦で、前の力二郎・尺八郎が死ぬ。此の時点で読者は、浜路が浜路姫として復活することを知らない。善人たちがバタバタ死んでいく場面を、為す術なく見守り、悪人たちへの憎悪を募らせる。但し、曳手・単節を乗せた馬が、殺されつつも前の力二郎・尺八郎に憑依され、ゾンビの如く走り続けて姿を消した。どうか曳手・単節だけでも生き残ってほしい。いや、生きているに違いないと、期待をかける。だいたい花も盛りの若後家二人、このまま姿を消すのは勿体ない。しかし、姥雪世四郎・音音は紅蓮の炎に巻かれ、助かる余地はなかった。勿体ないとかの問題は措き、高齢だから、補償額も低めであろう。哀れではあるが、犬士たちを救うための犠牲だから、仕方がない。最期に当たり、愛し合う者同士、三三九度を交わしたのだから、満足しているかもしれないし……。ただ、先だって姿を消した親兵衛は、伏姫に攫われたのだから、悪いようにはなるまいと、読者は安心している。

順当に親兵衛が再登場したとき、まさか生きている筈がないと思っていた世四郎・音音も姿を現す。曳手・単節も期待通りに生きていた。しかも、亡き夫と同じ名前の子どもたちまで連れていた。

浜路の例を持ち出す迄もなく、前の力二郎・尺八郎が、後の力二郎・尺八郎に転化したのだろう。浜路は信乃の許嫁から妻へと順調に平行移動したが、力二郎・尺八郎は曳手・単節の夫から子どもへと大きくズレている。とは云え、奇抜ではあるが、敵対するわけでなし、如何にか許容できる範囲の転化ではある。さて、此の、夫から子どもへの転化は、独り十条家の嫁にのみ起こったことだろうか。より重要な、同様の転化が起こったことを、読者に暗示してはいまいか。

富山では、伏姫が親兵衛を養育していた。親兵衛は犬士であり、伏姫は犬士の霊的な母である。母が子を育てるのだから、此れほど当たり前の事はない。肇輯口絵白地蔵の図が示す如く、理念上の末弟は、悌の犬士小文吾であり、故に小文吾は里見家末娘の弟姫と配偶する。しかし、物語の上で最年少の犬士は親兵衛である。理念上は末弟だからと、大兵肥満の小文吾が、伏姫の柳腰に「バブゥ」と甘えたりすれば、幼児プレイの譏りを免れまい。幼い親兵衛だからこそ、伏姫への「バブゥ」が許されるのだ。

親兵衛は、一度死んでいる。小文吾と争う房八に脇腹を蹴られて死んだのだ。「亡骸」との表記もあるから、少なくとも馬琴は読者に、死んでいると思わせたかった。しかし居合わせた丶大が手首に触れた途端、蘇生した。丶大は、既に菩提心を発した八房を殺した前科者だ。房八の蹴った痕は、牡丹形の痣となった。閉じられていた掌が開き、仁玉が現れた。親兵衛は、まさに房八が死にゆくとき、犬士として甦った。

犬士のうち親兵衛のみ年齢が懸け離れている。毛野が若いといっても、最年長の現八らに六歳ほど下っているだけだ。文明十(一四七八)年あたりで犬士らの冒険が本格化するが、此の時点で現八・道節・荘介・小文吾が数えで二十歳、信乃・大角は十九歳、毛野は十四歳だが初登場は文明十一年で十五歳、如何にかギリギリ活躍できそうな年齢になっている。対して文明十五年二月、親兵衛は再登場時わずか九歳{しかも十二月生まれだから満七歳三カ月}であった。そりゃ小説だから何でもアリではあるけれども、リアリティーが格段に落ちる。神童とか云われても、ピンと来ない。現八だって若くして有名武芸者から印可を受けているから、普通の意味で「神童」だったに違いない。伏姫の加護は、程度の差こそあれ、八犬士全員に降り注いでいる。親兵衛には、他の犬士とも質的に違う、何か超常の力が働いていると考えねばならない。

文明五年、荒磯南弥六の兄阿弥七は増松をもうけた。増松は南弥六の養子となった。南弥六は、里見家に仇做す蟇田素藤の暗殺に失敗し殺された。文明十五年の南関東大戦に於いて、数えで十一歳の増松が大活躍を見せた。十歳前後で活躍が可能な理由は、亡き父の霊が憑依した点にあった。

親兵衛は、世に謂う神童に就いて説明する。幼い頃に年齢不相応な能力を発揮する者には、名人の幽魂が憑依している。幽魂が幼児をして名人たらしむるのだ。幽魂が入り込めるのは、対象となる肉体が虚弱であるからだ。虚弱だから、夭逝する。もし虚弱な体質から頑健に成長したとすれば、幽魂は肉体に留まることが出来ず、遊離する。神童が成長すれば、凡人となる所以である。親兵衛は上記の如き一般論に続けて、自分の特殊事情を語る。

 

     ◆

年八九歳の頃よりして身長は四尺にあまりて、文学武藝筋力剽姚、世にも人にも勝れしは、皆是神授の所以なれば、三十にして愚にも復らず。今にもあれ姫神の我身を守らず做り給はゞ、立地に命終らん{百八十勝回下編大団円}。

     ◆

 

「姫神の我身を守らず做り給はゞ、立地に命終らん」。親兵衛は生来の本質として虚弱体質であり、後天的に伏姫が筋肉・骨格・運動神経・反射神経などを補強しているに過ぎない。此の補強を取り去れば、たちどころに親兵衛は死ぬ。生命の維持すら不可能なほど、親兵衛は虚弱なのである。今風に謂えば、サイボーグだ。

幼い頃は神童だった親兵衛自ら、虚弱な者には幽魂が憑依し得ると規定した。幽魂が特異な資質をもっている場合、幼少時から其の特異な能力を発揮する。此の場面で親兵衛は、自分に何者かの魂が憑依していると、告白したのだ。憑依している者は、房八だろう。

増松の例から考えれば、幼い少年が父の霊を取り込んで活躍することが、八犬伝では、あり得る。南弥六は洲崎無垢三の外孫であり、房八は杣木朴平の孫である。無垢三と朴平は、里見家安房支配の遠因となった神余光弘誤殺事件に関与した、義侠の一対であった。南弥六は東辰相の偽首を使って蟇田素藤暗殺を図り失敗して殺された。房八は、信乃の偽首となるため、小文吾の剣に自ら身を投げかけ貫かれ、死んだ。南弥六と房八も、義侠の一対といえよう。

房八と対となる南弥六が、幼い増松に憑依して大活躍すること、親兵衛の傍らで前の力二郎・尺八郎が転化したと思しい後の力二郎・尺八郎が成長しつつあること……此等の状況証拠から推せば、親兵衛に房八の霊が憑依している可能性は充分にある。

且つ、親兵衛の両親、房八と沼藺は二人併せて八房犬を意味していた。房八は朴平の孫であるだけでなく、八房の転化であった。元より犬士は伏姫と八房の子どもであるが、八人のうち親兵衛が最も八房のDNAを濃く受け継いでいる。いや、八房が転化した房八が憑依しているのだから、少なくとも一部は、八房そのものだ。

子に転化した夫たちに父を含ませる曳手・単節。其の横で、夫たる八房を子ども/親兵衛として育む伏姫。伏姫は完全に浄化され親兵衛の肉体を得た夫/八房に、漸く惜しみない愛を注いだ。それとも伏姫を永遠の母性/母神に擬し、誕生・行為・死を繰り返す、循環による種族維持、すなわち母系システムを提示したのか

 

【大角が差し出す血刀を袖で巻き柄杓で水を掛ける雛衣。雛衣は薄墨で描かれており幽鬼としての表現。水の落ちる先に巨猫の生首。傍らの桶に樒。桶に「仰寺信阿」の文字。絵の周りは薄】

 

璧返黙摩居遺刀刺怪獣有文有武威誰又出其右 賛犬村礼儀

 

璧返に黙し摩して居り。遺刀にて怪獣を刺す。文あり武威あり。誰か又その右に出る

 

一朝遇謗疑薄命無由救伏剣顕貞心走珠殲猛獣 賛雛衣

 

一朝にして謗疑に遇い、薄命は救うに由なし。剣に伏せ貞心を顕わし、珠を走らせ猛獣を殲す

 

犬村礼儀いぬむらまさのり・雛衣ひなきぬ

 

★摩は数珠を揉む行の姿を謂うか

★雛衣だけ見ると墓参りの風情だが、何故に墓参りをせねばならぬかといえば、樒を持ち出したかったからだろう。樒は有毒植物で花が木天蓼に似る。偽一角が欲したものは、木天蓼と胎児の生肝であった。木天蓼は本物であったが、雛衣の孕んでいたものは胎児でなく礼玉であった。胎児とばかり思って切腹させたところ、礼玉が噴出して偽一角を撃ち倒した。似非木天蓼である樒は毒であるので、胎児と木天蓼を置換し、偽胎児/礼玉が、偽一角にとって【害毒】になったことを示すか

 

     ◆

しきみ

木蜜蜜香没香

多香木阿■長に差/

樒(音密唐韻云、香木也和名之木美)

モミツ又枳■キヘンに具/木亦名木蜜与此不同

本綱此亦沈香之類、形状効用、両彷彿。樹長丈余、皮青白色、葉似槐而長、花似橘花而大。子黒色大如山茉萸、酸甜可食。其根本甚大、伐之、四五歳、取不腐者為香。

気味(辛温)辟臭気去郡{邪カ}鬼尸注心気。

△按志木美ハ武蔵伊豆淡路丹波播磨多有之。折枝供仏。葉似冬青而浅青色。此与本草所言(木蜜葉似槐而長。沈香葉似冬青葉)稍異。摘葉、略有椒気。六月開細白花。結実青白色如天蓼子、熟、則裂破有中子五六顆、大如豆而潤滑、味甘。人食之、多食則酔。恐可有小毒。山雀喜食之。呼枝葉称花、採皮及葉、乾末焚香、名之抹香。浮図一日不可闕之。辟気尸注悪気之功。宜哉、登愛宕山、人必求樒、帰其葉不着水者、枯亦不落。如雷震非常時、焼於竃。亦有拠{和漢三才図会}。

     ◆

 

★「仰寺信阿」は、「寺を仰ぎ阿を信ず」とでも訓むか。此の場合の阿とは歪曲を意味するであろう。寺を尊ぶが信ずる所のものは間違っている、ぐらいの意味と考えておく。要するに、謂わば寺は信仰空間の容器だが、入れ物のラベルは本物かもしれないけれども、肝心の信仰内容が偽物であることを意味する。最も単純な想定では、寺は本物だが住職が破戒僧で教説内容が邪道である状況だ。第一義には、山猫が一角に化け理不尽を撒き散らしたことを指していよう。但し、雛衣は計らずして【胎児の偽物】で偽一角を礼玉の射程内に誘き寄せた、とも言えるので、善ではあるが、結果的に【偽計】であるに変わりはない

 

【石窟らしき場所で猛る巨虎を親兵衛が殴りつけている。本文では矢で目を射抜くが、虎を撲殺する水滸伝の武松に擬していよう。此の口絵で親兵衛は前髪を落としている。絵の周りに雲】

 

及時開左手神助免危窮六歳富山住幼拳救老侯 賛犬江仁

 

時に及び左手を開く。神の助けて危窮を免がる。六歳を富山に住し、幼き拳で老侯を救う

 

犬江仁いぬえまさし

 

★虎を撲殺する絵があるからといって武松の性格が親兵衛に投影されているとは思わない。大酒飲みの武松は毒入りの酒で意識を失い肉饅頭の具にされかけるが、親兵衛は海賊の計略にはかからず毒酒に手を出さなかった。元より未成年だから酒は飲んじゃイケナイ{別に近世には禁制はなかったろうけれども}。此が顔に痣ある現八なら、物資輸送の途中で毒酒を飲まされるかもしれないが

★筆者は妙椿/玉面嬢の後身が画虎だと主張してきた。実は椿を「虎目樹」とも呼ぶ。和漢三才図会の当該部分を引く。

                        

     ◆

ちゃんちゃん

椿(■キヘンに屯/同)

虎目樹

大眼樹

今云、知也牟知牟

唐音之訛也

樗臭椿也

和名沼天

栲山樗也

本綱椿樗栲、乃一木三種也。皆亦類漆樹。其葉脱処有痕如虎之眼目。又如樗蒲子。故名之其木易長而多寿考。故有椿栲之称荘子言大椿以八千歳、為春秋是矣。

椿皮細肌堅実而赤■漱のサンズイが女/葉香甘可茹

樗皮粗肌虚而白其葉臭悪。其木擁腫不中縄墨。小枝曲拳不中規矩者也。樗之有花者無莢有莢者無花。其莢夏月常生樗木。未見椿之有莢者(然世俗不弁之而呼樗莢為椿莢爾)

栲即樗之生山中者。亦虚大。然爪之如腐朽。故以為不才之木。不似椿木賢実、可入棟梁

椿眼皮(色赤而香入血分而性■サンズイに嗇/)樗根皮(色白而臭入気分而性利)其主治之功、雖同而■サンズイに嗇/利之效、則異正如伏苓芍薬赤白頗殊也。凡血分受病不足者、宜用椿根皮気分受病有鬱者、宜用樗根皮。凡女子血崩産後血不止月信来多或赤帯不及小児疳痢宜用椿根皮

鳳眼草即椿樹上所生莢也(蓋謂椿不莢生乃樗之莢也)焼灰漱水洗頭、経一年、眼如童子。加椿根皮灰尤佳

正月七日二月八日三月四日四月五日五月二日

六月四日七日七八月三日九月二十日十月二十三日十一月二十九日

十二月十四日可洗之

△按椿葉似漆而初生二三年者未分枝椏至秋茎葉皆落尽如立一棒其茎脱処有窪痕春梢生葉■キヘンに萌/随長而茎葉亦随分経四五年者生枝椏最易長葉香採■漱のサンズイが女/葉 之相伝黄檗禅師始将来之呼曰香椿

倭名抄椿(倭名豆波木)為海石榴之訓樗(和名沼天)為五倍子樹之訓者並非也。凡香椿及漆葉横理透背鮮明頗似橿葉而小両両繁対生(香椿折枝有香気放■木に霍/汁食漆木折枝有汁粘人生漆瘡)

     ◆

 

 

 

賛里見伏姫

 

経勲従猛狗紅涙満羅裳花乱富山雨落英薫八方

 

勲を経て猛狗に従い、紅涙は羅裳に満つ。花乱れて富山は雨、英落ちて八方に薫る

 

賛丶大法師

 

猟銃却成辜法衣長避俗歴遊二十年終綴八行玉

 

猟銃却って辜を成す。法衣にして長く俗を避く。歴遊二十年、終に八行の玉を綴る

 

右拙賛一十七首■クチヘンに刀/題本輯簡端以款於四方君子雅鑑

 

琴籟■ムシヘンに單/史

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百十六回

 

「賢士重て犬士を知る政木肇て政木を詳にす」

 

【夜の川縁で盗賊らしい男二人が政木と和奈三を襲う。男二人は薄墨で描かれており、狐の幻術であるとの表現。空には雲に隠れかかる満月】

 

政木の老媼が懺悔話説和奈三政木夜剪徑に■ゴンベンに虎/さる

 

まさ木・わな三

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百十七回

 

「恩に答て化竜升天を示す津を問て犬童風濤に悩む」

 

【逆巻く波の中で、のたうつ龍。尾が恐らく九つに分かれている。画面右下に別画面。茶店で親兵衛・河鯉孝嗣・政木が語らい合っている。親兵衛には前髪がある】

 

池水を巻騰して異龍洪雨を降す

 

政木茶店親兵衛復与孝嗣憩まさきのさてんにしんべゑまたたかつぐといこふ

 

まさ木・しん兵衛・たかつぐ

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百十八回

 

「両国河原に南客北人に逢ふ千千三畷に師弟姦婬を屠る」

 

【枝独鈷素手吉が上風/次団太の胸ぐらを掴み向水五十三太が下露/鮒三を下駄で打ち据えている。二人とも無抵抗の態度。足下に「家秘うち身くぢきすり疵妙薬荻野上風伝法精製」の幟が倒れている。箱も倒れ銭が散る。見守る親兵衛と孝嗣】

 

三観鼻に上風乱妨にあふ

 

あらそひなをさまれる世のかたつふり

此のにもわたせ両国の橋

 

いさん太・したつゆ・上風・すて吉・しん兵衛・たかつぐ

 

★試記:争いな、治まれる世の蝸牛、此の荷も渡せ両国の橋

 

【嗚呼善が次団太に斬られ倒れている。土丈二は投げ飛ばされ転げている。傍らに亀印入り提灯。奥で鮠八が俯せで鮒三に抑え付けられ石で打たれている。次団太を地蔵が見守っている】

 

慎之慎之出於汝返於汝者也

 

慎めや慎めや、汝に出て汝に返るものなり

 

どぢやう二・次団太・をこぜ・鮒三・はや八

 

★次団太が嗚呼善と泥鰌二を斬る様を地蔵が眺めている。地蔵は冥府の裁判官/閻魔と縁が深い。同体と見るべきであるので、次団太の行為は、私刑ではありながらも、天の理に従った行為だとの主張であろう。江戸期には、庶民であっても妻と間男との不倫現場に遭遇すれば殺害することが容認されていた。実際に殺害するよりも、首代を受け取り示談で済ませることも可能だった。但し、同様の私法が夫の不倫で妻に認められていたかと言えば、そうではない。近世の男女関係が、片務的/差別的だとする論拠として持ち出される

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百十九回

 

「来路を説て次団太驥尾に附く余談を尽して親兵衛扁舟を促す」

 

【宿屋の座敷。親兵衛・孝嗣と次団太・鮒三が語り合っている。隣部屋との仕切りは半透過性の簾様の戸。何者かの後ろ向きの影が浮かぶ】

 

鴨のあしのみしか夜なから鶴の脛もかくやきらまくをしきまとゐは

 

鮒三・次団太・たかつぐ・しん兵衛

 

★試記:鴨の足の短夜ながら鶴の脛も斯くや切らまく惜しき円居は/「荘子」駢拇篇第八「彼至正者不失其性命之情、故合者不爲駢、而枝者不爲跂、長者不爲有餘、短者不爲不足、是故鳧脛雖短、續之則憂、鶴脛雖長、斷之則悲、故性長非所斷、性短非所續、无所去憂也」鴨の脚が短いからと継いでみたり、鶴の脚が長いからと切ってみたりしても、仕方がない。短いも長いも、生まれついての性質であり、無理に矯正しようとしても、意味がない。此の挿絵の場合は、有名な荘子の句を踏まえてはいるが、単に長短の対比を技巧的に表現したのみだろう

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百二十回

 

「命令を伝て使臣征伐を正くす一葉を献じて窮士前愆を償ふ」

 

【水辺で対峙する二群の男たち。左上部に「蜑」字紋のついた提灯を先頭に、次団太・鮒三・孝嗣。一歩引いて親兵衛が床几に腰掛けている。雑兵三人が控える。病気療養中の照文は出てきていない。右下には「東」字紋のついた提灯を掲げた素手吉・五十三太。従う男たちは船手らしく艪櫂を手にしている。船長の倉らしき建物に「長」字紋】

 

五十三太素手吉夜船長の家を脅す

 

すて吉・いさん太・たかつぐ・次団太・鮒三・しん兵衛

 

★捨吉が持つ「東」字をあしらった提灯の出自は不明。此の段の親兵衛は仁らしくない

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百廿一回

 

「天資神祐石門牢戸を劈く犬江親兵衛魔を破り賊を夷ぐ」

 

【館山落城。田税逸時が仙駄麻嘉六に刀を振り上げているが、苫屋八郎景能が麻嘉六の背後から斬り掛けている。足下に浅木碗九郎嘉倶の生首。登桐良干が平田張盆作与冬、浦安友勝が奧利本膳盛衡を、槍で突き伏せている。鮒三・次団太は賊兵を追う。小森高宗が礪時願八業当の背後から迫っている。田税逸友が前髪姿の奧利狼之介出高に馬乗りとなり首を掻こうとしている。馬上の荒川清澄は大将として兵を率い画面左上隅に控えている】

 

館山落城賊徒伏誅す

 

ぞく兵・ぞく兵・ぞく兵・よしゆき・友かつ・ぞく兵・はや時・まか六・わん九郎・鮒三・かげよし・ぼん作・本膳・次団太・ぞく兵・ぞく兵・たかむね・ぞく兵・ぞく兵・ぞく兵・はや友・ぐわん八・狼之介・ぞく兵・きよすミ

 

【妙椿が楼上から転落しつつある。親兵衛が護身袋を右手で差し上げている。着衣に波模様。袋から妙椿へ光が照射。素藤が親兵衛の膝下に抑え付けられている。親兵衛の左手には妙椿の打ち掛けが握られている。つなぎ雷文。素藤は雲模様。妙椿の着衣から毛が生えている。やはり繋ぎ雷文。左側の門口で河鯉孝嗣が二人の賊兵を捕らえている。着衣は雲模様】

 

妙椿を対治して親兵衛二たび素藤を擒にす

 

しん兵衛・もとふぢ・妙ちん・ぞく兵・たかつぐ・ぞく兵

 

★楼閣の第一層か、「槐安」との額がある。八犬伝にも幾度か表記のある「南柯の夢」は別称「槐安の夢」だ。淳于生なる侠客が酔い潰れた夢に「大槐安国」へ招かれ王女を妻とし太守を経て宰相となる。妻を亡くした後、王は淳于生が謀反を起こすのではないかと疑い、槐安国から追放する。淳于生が戻った先は自宅であった。日の傾きも眠る前と、さほど変わっていない。長く槐安国に暮らしたと感じていたが、一睡の夢であった。さて挿絵の端に描き込まれた「槐安」なる文字は、素藤が大名となりつつも道を誤り程なく亡んだ虚しさを表現しているのか、それとも後に仙境へと逃避する親兵衛たちの生涯全体から見て、八犬伝に描く前半生を「槐安の夢」の如く儚いものだと理解するか……八犬伝は此の場面から後も、まだ続く。差し当たっては、前者としておこう

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百廿二回

 

「勲功を譲りて親兵衛法会に赴く賞禄を後にして安房侯寒郷を温す」

 

【親兵衛に清澄・高宗・次団太・逸友・逸時・景能が控える。阿弥七が親兵衛に平伏している。脇の雑兵が碗九郎の首を差し出している。傍らに麻嘉六の生首。素藤・盆作・狼之助・本膳・願八が縄を掛けられ引き据えられている。周りを孝嗣・良干・鮒三・友勝が固める。奥で五十三太・素手吉が捕縛した五人ほどの敵を引き立て地道の石門前に通りかかる。荒磯塚の頂には松の苗が植えられている】

 

清澄等の諸士親兵衛と共に地道の石門及荒磯の首塚を視る

 

次だん太・高むね・しん兵衛・清すミ・はや友・はや時・かげよし・いさん太・すて吉・いけとりの賊徒・阿ミ七・まか六首・わん九郎首・たかつぐ・もとふぢ・よしゆき・ぼん作・狼の介・ざふ兵・鮒三・ほん膳・ぐわん八・友かつ

 

地道の門・ありそ塚

 

この出像ハ百廿二回中の条々を合して一緒に画きぬ故に一頁にして数か事をかねたり

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百廿三回

 

「小乗楼に一僕故主に謁す丶大庵に十僧法筵を資く」

 

【犬江屋店先。「犬」字紋をつけた箱を提げた旅支度の依介。旅支度の代四郎とともに振り返っている。玄関先に座っている水澪が声を掛けている。水主二人が艪を担いでいる。蔵らしき建物の屋根に、箱と同じ「犬」字紋】

 

依介水行に与四郎を送る

 

かこ・より介・よ四郎・ミを

 

★「犬」字紋が特徴的。此の紋は、現八も使っている。名字に「犬」が付いているから使っても良いが、ならば八犬士全員が使用せねばならない。親兵衛は、室町幕府で将軍義尚に謁見したときも「杣」字紋を使っていた。杣木朴平を由来とする。小文吾は、「古」字紋を専ら使う。古那屋としての紋である。神余光弘誤殺事件の挿絵で那古七郎の着衣紋は白抜きとなっており不明だ。親兵衛は既に実家の犬江屋を離れ里見家に仕えている。犬江屋が「犬」字紋を使う必然性は既に薄い。「江」でも良いだろう。また、現八とは別字形の「犬」字でも良い筈だ。

現八は糠助に無理心中させられそうになったとき、犬飼見兵衛隆信に救われ養子となった。糠助は安房国洲崎の民であった。洲崎出身者には他に、洲崎無垢三がいる。洲崎は役行者の御膝元だ。親兵衛は蒼海巷、小文吾は那古、共に安房を源流とするが、生まれたのは市川・行徳だ。現八のみ、安房国内{洲崎}で生をうけた。現八が体現する徳は信である。信とは中央土徳である。安房里見家に仕える犬士のうち、安房出身であることを最も強く要請されるかもしれない。信とはブレない徳である。

親兵衛の実家と現八の使用紋が同じであることに、意味はないかもしれない。しかし現八の官職が兵衛権佐、親兵衛が兵衛尉{共に左右の別は不明}であった。兵衛権佐は権官ではあるが、格として、兵衛尉の上官である。各種史料などに源頼朝は「佐{すけ}殿」と表記されたりするが、此は彼が単に顔が大きいだけのスケベェであったからに違いないのだけれども、偶然、右兵衛権佐でもあった。恐らく本人は官職名で周囲が呼んでいると思っていただろう。筆者は頼朝が嫌いだが、八犬伝では特徴的な武士として描かれている。当初、里見義実は頼朝と重ね合わされていた。また八犬伝で現八の故主だった足利成氏は、左兵衛督である。現八の上官と言えなくもない。

親兵衛の実家である犬江屋と現八の常用する紋が同一であり、親兵衛が口絵・挿絵で「犬」字紋を使う例がないことは、何を意味するのか。則ち、元々紋は共通であるが、現八が優先して使うことに意味はあるのか。親兵衛が犬士たる所以は、一義的には山林房八の義挙である。山林房八の義挙は、外祖父杣木朴平の失敗した義挙/那古七郎への負い目である。約めて言えば、親兵衛が犬士たる因は、杣木朴平に発した。小文吾の場合には、那古七郎である。親兵衛は「杣」字紋を頻用し、小文吾は「古」字紋を専ら使う。「古」字紋は、小文吾の実家、古那屋の商標であるが、古那屋は那古を語源としている。字紋の例では荘介が「川」字紋を使った例がある。御節介にも船虫を庚申堂から助けたときだ。但し、荘介は概ね笹葉紋を使用する{本来は雪笹を使うべきだが笹竜胆から竜胆部分を後に削り取ったと思しい挿絵もある←絵師の思い込みによる失態か}。

現八は後に神余城を任される。神余城は八犬伝で詳しく言及されることはないが、恐らく実際には神余氏の本拠の一つであっただろう。そして名詮自性を原理とする八犬伝では、神余家の本貫と密かに設定された可能性もあろう。当て所なく流離う毛野は、仇の名字と同じ籠山という地名に惹かれて諏訪まで来て、色気を振りまいていた。武蔵大塚は信乃の本貫であった。神余城は疎かに出来ない。それまで平和だった南総の平和を、外来の蟇田素藤が内から乱したとき、里見義実は安房の旧族、神余・安西・麻呂と和親し従えた。地に降りた天津神/里見家が、国津神/土地神/地霊と結び付いたといえる。

惟えば山下定包による神余家滅亡が里見家創業の前提であった。里見家は神余所領を山下定包を経由して獲得した。神余所領から里見家の南総支配は始まったのである。神余城は、神余所領の中核とイメージし得る。実際の地理関係を馬琴が把握していたや否か甚だアヤシイのだが、あくまで理念上では、神余城が神余所領の中核/中央であろう。神余城には中央土気の現八が似合う。しかも現八は犬士で唯一、安房国内で生まれた。洲崎は神余所領ではなかったが、役行者の縁地であること、安房国一宮ともされたことを優先したのだろう。一宮は、国霊の代表である。安房国霊を代表する洲崎明神の氏子である現八を、神余に据えた。長狭郡神余村には上甘理墨之助が神余の祀りを継続していた。

犬士で唯一、安房で生を享け、親兵衛の上司に当たる官職を得、剣術にも優れ、神余城を預かる現八は、賢いとは思えないが、妙に優遇されている。其れは恐らく【信】が中央土徳であることと関係していよう。「信」は高度な徳ではなく、最も純朴なものではあろうが、五常の基盤になるものだからではないか

 

【結城大法会。何処からか湧き出た十人の僧侶が同席。紋は信乃が五三桐、道節が揚羽蝶、荘介は雪笹、毛野が月星、大角が蔦葉、小文吾が「古」字、そして現八は此処でだけ宝珠。石碑に「奉為里見治部少輔源季基朝臣文明十五年四月十六日光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨法名義烈院忠慈大禅門菩提行脚沙門ヽ大造立」】

 

丶大庵法筵代香使及七犬士来会この本文ハ第百二十四回のはじめに見えたり

 

小文吾・現八・荘介・毛野・大角・道せつ・ちゆ大・信乃・てる文・

 

★犬士らの上下に紋が描かれている。現八は宝珠、小文吾は「古」、大角は蔦、毛野は月星、荘介は篠だが上部を潰している。恐らく「篠竜胆」でも誤って彫った後に急遽、訂正したか。道節は左横向きの揚羽蝶、信乃は五三桐、照文は名代として大中黒。現八の宝珠は今回限り。直前の挿絵で犬江屋の紋が「犬」字紋となっている。「古」那屋→小文吾の紋、から考えれば、「犬」江屋→親兵衛の紋、との類推が可能だ。犬士で唯一、此の場に姿を見せていない親兵衛にこそ「犬」字紋は与えられるべきだったのか。赤岩に赴いた現八に「犬」紋を与えていたことを忘れていたのか。そうかもしれない。しかし、犬紋を親兵衛に譲ったとしても現八は、犬士の身分証明「宝珠」を紋とすべき最重要の存在ではある

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百廿四回

 

「師命を守りて星額遺骨を齎す残捨を受て■ヤマイダレに加の下に肉/カ/僧禍鬼を告ぐ」

 

【猿牽きの朝暮七が木の根元で熟睡している。憎々しげな大蛇が狙うが、抜き身の刀が宙に浮いて妨げている。猿の姿が見えない。既に食われたか。沼の向こうから里見季基が弓をつがえて大蛇を狙う。供が二人控えている】

 

名刀名将暗に狙公を拯う

 

ちよぼ七・すゑもと

 

【燃える草庵を前に集まる犬士ら一行。星額と九人の弟子が迫り来る軍勢を説得すると申し出る。画面奥から根生野飛雁太素頼と堅名衆司経稜が兵をつれて近づいてきている】

 

草菴を自焼して七犬士敵を分つ

 

代四郎・信乃・ちゆ大・てる文・大角・荘介・道節・毛野・小文吾・九徒弟・せいがく・現八・しふ司・ひがん太

 

★荘介が「諸行無常」と、もう一本の幟を持つ。小文吾の幟は恐らく「生滅滅已」、現八が「寂滅為楽」。ならば、荘介の持つ残る一本の幟は「是生滅法」であろう。順番は「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅爲楽」。涅槃経の所謂、諸行無常偈だ。結城大法会は、八犬伝を支配する原理の画期点である。縷々述べてきた通りだ。犬士が復讐を終え、小乗から大乗へ、原理が変わる。里見家専属守護神伏姫は、普門たる観音菩薩への転化を開始する

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百廿五回

 

「逸疋寺に徳用二三士と謀る退職院未得名詮諫て得ず」

 

【逸疋寺の座敷。上座に根生野飛雁太素頼と堅名衆司経稜。手前に長城枕之介惴利。小手を付け僧衣の下に鎧を着けた徳用に隠居の未得が諭している。喝食が控える。堅削ら僧が鎖小手を付けている。判然としないが僧衣の下に鎧を着けているらしい者もいる。衝立に黒雲の中の龍。床の間に弓矢】

 

緇素を聚会て徳用魔談を凝らす

 

みとく・けんさく・とく用・ひがん太もとより・まくらの介はやとし・しふ司つねかど

 

★里見家および犬士らを龍族、敵対する者を猫族と考える論者もあろうか。単純で魅力的な割り切りであるが、筆者は如斯き論を採らない。何故なら挿絵を雑と通覧すれば、悪に与する者たちにも龍の徴が現れていることに気付くからだ。

八犬伝に於いて必ずしも、龍は善ではない。そもそも第一回、里見義実が龍に就いて定義している。

 

     ◆

夫龍は神物也。変化固より彊なし……中略……龍は誠に鱗虫の長也。かゝる故に周公、易を繋ぐとき龍を聖人に比たり。しかりといへども、龍は欲あり、聖人の無欲に及ず。こゝをもて、人或はこれを豢、或は御、あるひは屠る……中略……又仏説に龍王経あり。大凡雨を祷るもの、必まづこれを誦。又法華経の提婆品に、八歳の龍女成仏の説あり。善巧方便也といふとも、祷て験を得るものあり。この故に、龍を名つけて雨工といふ。亦これを雨師といふ……中略……雄龍の鳴ときは上に風ふき、雌龍の鳴ときは下に風ふく。その声竹筒を吹ごとく、その吟ずるとき金鉢を戞が如し。彼は敢衆行かず、又群処ことなし。合するときは体をなし、散するときは章をなす。雲気に乗じ陰陽に養れ、或は明に、或は幽なり……中略……春分には天に登り、秋分には淵に入り、夏を迎れば雲を凌て鱗を奮ふ。これその時を楽也。冬としなれば泥に淪み潜蟠て敢出ず。これその害を避る也。龍は尤種類多し……中略……害をなすはこれ悪龍、人を殺すは毒龍也……中略……又痴龍あり。懶龍あり。龍の性は淫にして交ざる所なし。牛と交れは麒麟を生み、豕に合へば象を生み、馬と交れば龍馬を生む。又九ツの子を生む説あり。第一子を蒲牢といふ……中略……鰲魚は火を好み、金吾は睡ざるものとぞ。皆これ龍の種類なり。大なるかな龍の徳。易にとつては乾道也。物にとっては神聖なり。その種類の多きこと、人に上智と下愚とあり、天子匹夫の如く……中略……龍は威徳をもて百獣を伏するもの也。天子も亦威徳をもて百宦を率給ふ。故に天子に袞龍の御衣あり。天子のおん顔を龍顔と称、又おん形体を龍体と唱、怒らせ給ふを逆鱗といふ。みな是龍に象る也。その徳枚挙べからず。

     ◆

 

人に上智と下愚があるように、龍にも色々あるのだ。悪龍だって害龍だって当然いる。龍一般もしくは基本的性格として語っていると思しき部分は、雨を降らす、陰陽に養われるが夏が好きで冬が嫌い即ち陽の存在である、「淫にして交ざる所なし」などだ。「龍は欲あり、聖人の無欲に及ず」でもある。勿論、「淫にして交ざる所なし」とは言っても、人と化しては理性で淫欲を抑制することも可能だろう。但し欲の抑制は可能だが、相手が牛でも豚でも馬でも、異種婚姻が可能であるとの本質/構造は変わるまい。

龍にも善悪がある。其れが八犬伝に於ける定義だ。龍と猫との戦いではなく、まだしも善龍と悪龍の死闘を描いていると見た方が良いだろう。猫系の登場人物は前半で悪として犬族を苦しめるが、野猫すなわち狸の妙椿が「如是畜生発菩提心」すれば、画虎となって、善男善女に恐れられながらも悪人しか殺さなくなる。画虎は親兵衛と対決するが、敵対したと言えるや否や。画虎に追い詰められたのは、親兵衛ではなく細川政元の方であった。政元に泣き付かれて、親兵衛は豊満な重い尻を上げる。政元は其の後、親兵衛の豊満で重い尻を諦めねばならなかった。親兵衛が安房に帰ることを許さざるを得なかった。実の所、画虎は政元を辱め困惑させていたのだ。寅童子/善神によって現出せしめられた画虎が、政元を困らせ親兵衛の肉体を諦めさせた上で、親兵衛の手によって画の中に仕舞い込まれただけの話だ。虎は、敵とは限らない。第一回に於ける龍の定義に従えば、龍は甚だ強力な存在であるが故に「大なるかな」、偉大といえるが、善もおり悪もいる。龍だからと言って、善とは限らない。

馬琴は史を廃止に取り込む際、史実で善人と思われる者を悪人には変換しないと宣言している。一見、此は出版統制対策とも思える。当時の法令原則は、吉宗の御条目を基本としていたが、一般に通用している史を歪曲してはならない、各家・各寺社の事跡を云々してはならない、というものだった。歪曲してはならない、と言う以上は実際のところ言及は許される。それでも、云々してはならない、と言うのは、揶揄したり誹謗してはならないってこった。通用している、即ち事実上公認されている通史には触れても良い。但し、公認されている所から、はみ出ることは許されない。言論の自由を根底から否定しているわけだ。結局、当事者や子孫が発言権を有しない場合{いなかったり歴史の敗者側だったり}や、当事者の子孫が文句を言わない場合は、許されただろう。歴史を題材にとった文物は多い。絶版処分を受けなかったということは、歴史の登場人物を公認の範囲内で描いていたか、描いてもバレなかったってことだろう。馬琴の宣言は、法令遵守を言っているに過ぎないようにも思える。

妙椿狸でさえ、画虎が彼女の転化ならば、悪から善へと変換していることになる。そもそも八犬伝の発端となった玉梓怨霊さえ、八房となって解脱して犬士の父となった。禍福は糾える縄の如し。八犬伝に於いて、悪から善への転換は、可能なのだ。だいたい、悪を悪として排除するだけなら、確かに懲悪ではあるが、完全ではない。勧善ではないのだ。悪を善に転換可能だとすれば、悪なる者は善を志しても、諦めて悪でい続けるほかはない。善なる者しか善であり得ないならば、勧める必要はない。放っておけば良いのだ。悪だけ懲らせば良い。此では「勧善懲悪/勧懲」として不完全であろう。龍は善悪ともにいる。龍を善、猫を悪と決めつけてしまえば、猫は何処までいっても悪となり、決して救われない。馬琴は其処まで狭量であったろうか。

ついでに云えば、馬琴は、歴史上の人物を殊更に悪く書かないと宣言している。にも拘わらず、足利成氏・扇谷上杉定正・山内上杉顕定を、史に表れた一般的評価よりも悪く書いた、と公言している。馬琴は、成氏・定正・顕定が暗愚であると根拠を挙げて指摘している。則ち、一般的評価を馬琴は採らず、成氏・定正・顕定の事跡を自分なりに史から抽出し、キャラクターを再現して見せたのだ。関東バカ・トリオとして稗史の中で、それぞれ独り歩きさせている

 

    
 
→Next
←Prev  
→栗鼠の頬袋_Index
→犬の曠野_Index
→旧版・犬の曠野_Index