◆伊井暇幻読本本編・南総里見八犬伝「伏臥位か?ドッグ・スタイルか? 伏姫のセクシャリティーに迫る!」

 『日本書紀』に載せる神話では、「陰陽(メオ)」が分離して天と地になった。陽が天、陰が地になったのだ。分離してから、原初の神がボウフラのように涌いた。形は葦の芽に似ていた。国常立尊(クニトコタチノミコト)という。そして、三代に亘り、「純男(ヲノコノカギリ)」だった。則ち、男だけだったというのだが、そもそも女がいないのだから、男も何もない、単に雌雄同体だったか、分裂生殖でもしていたのだろう。やがて、イザナギノミコトという「陽神(オガミ)」とイザナミノミコトという「陰神(メガミ)」が発生し、日本の国土を生んだ。この頃迄には、両性生殖に移行していたようだ。神は進化したのである。この二人は、大陽と月を生んだ。大陽の方は、天照大神(アマテラスオオミカミ)、女神だ。素戔鳴尊(スサノヲノミコト)という男神も生んだ。この神は泣き虫のくせに乱暴で、人民を大勢殺した。両親は怒って「根国(ネノクニ)」へ追放しようとした。

 ところで、この神話は、曲者だ。一個の神話だが、一個の神話とは思えない。「混沌如鶏子(マロカレタルコトトリノコノゴトシ)」。混沌として、よく分からない。『日本書紀』は八世紀初頭に成立した。そのときには既に、中国大陸から陰陽説が入ってきていた。「五行マジック」などで述べた、アレである。当時の先端科学パラダイムである。その科学理論を使って書かれた歴史書が、『日本書紀』である。実証主義のもとに行われた歴史を「実証主義歴史学」、六十年ほど以前の日本で唯物史観を使って行われた歴史の一派を「講座派歴史学」という。それぞれ用いた理論によって、歴史の流派は分かれる。千三百年ほど前に流行った歴史理論が、陰陽説だっただけの話だ。後には仏教理論も流行ったりした。
 上の神話は、もともとあった神話を、陰陽説で解釈した上で、再構成したものと考えた方が良いだろう。だから、「一個の神話であり、一個の神話ではない」。生の神話ではなく、他の神話/理論によって再構成された、混じり合った、混沌とした、何かだ。もともと、「神話」とは、そういうものなのかもしれないが……。
 それ故か、上の神話には、致命的な<矛盾>がある。『日本書紀』の神代で「陽神」といえば男性神、「陰神」といえば女性神である。そして、宇宙を陰陽に分け、天を陽、地を陰としている。イザナギ・イザナミまでは、確かにそうだった。しかし後に、天を治めることになる大陽神は、天照大神という女性神だ。それに比して、陰性の強い素戔鳴尊は、男性神だ。陰陽が逆転している。多分、女性神である天照大神が大陽を司ることは、陰陽説以前の、<生の神話>で定義されていたのだろう。
 また、コレを<矛盾>とは考えなくても良い解釈が、陰陽説の範疇には存在する。即ち、陰は陽を生じ、陽は陰を兆す。陰と陽は流転するものであって、大陽の中には、陰の象徴たる烏がいることになっている。皇統初代、神武天皇が東征し苦境に陥ったとき、神武の先祖でもある天照大神が大きな烏を派遣して、救ったことがある。天照大神は烏、陰の象徴だったのかもしれない。陰陽説に於いて、烏は特殊な位置にある。鳥は火気に配当され、火気は陽である。しかし、黒いということから、烏は「陰鳥」とされる。黒は陰。鳥である以上は陽だが、陰でもある、それが烏だ。
 いずれにせよ、天照大神は、大陽を司る故に陽であるが、女性であるが故に陰である。天照大神は、裡に陰と陽を併せ持っている。

 さて、八犬伝の中で、この天照大神に、比定し得る女性がいる。伏姫である。この伏姫は、里見義実の娘だ。気が強くて賢くて、ヒロインらしい女性である。しかも、美少女。しかし、色々あって、飼い犬の妻にされる。その犬と共に山に籠もり、読経三昧の日々を送る。それまで麓と山を隔てる川は別状なかったのだが、伏姫が籠もった途端に増水し、人が渡れなくなった。川が結界として、山と麓を分断したのだ。
 犬は、はじめは伏姫を姦する素振りを見せるが、そのうち仏心を持ち、則ち「如是畜生発菩提心(ニョゼチクショウホツボダイシン)」して、大人しくなる。少なくとも、八犬伝の記述の中に、伏姫と犬のセックス・シーンはない。だから、伏臥位もドッグ・スタイルも、なしである。ごめんなさい。しかし、伏姫は、孕む。一人や二人ではない。八つ子を孕む。孕むと云っても、<精/気/生命>のみで肉体はない、八人の子を孕む。これが、後の<八犬士>である。
  因みに、この「飼い犬」、義実がかつて殺した玉梓という女性の怨霊が、取り憑いていた。牡犬となり、義実の愛娘を妻として、義実の血統を<畜生道>に堕とそうとした。獣姦/畜姦は、近親相姦と並んで国津罪、神話時代からの、罪悪だった。玉梓という女性が復讐のため、伏姫を強姦しようとした、それが、八犬伝の発端なのだ。

 伏姫は、セックスなしで、飼い犬の子に八つ子を孕まされる。そうした或る日、それは暑さが残る初秋、七月のことであったようだが、父の定めた許婚者(金碗大輔孝徳カナマリダイスケタカヨシ)が現れ、鉄砲をブッ放して、犬を殺す。人間の娘を妻にした犬が、狩人や山伏に殺される、とは、昔話によくある。しかし、それは単なる表層、馬琴の意図を裏張りにした、表装に過ぎないだろう。とにかく、金碗孝徳は、それまで増水していた川が何故だか急に水を失ったところを渡り、伏姫のもとへと辿り着いて、犬を殺したのだ。
 許婚者と一緒に、父の義実も現れる。二人を前に伏姫は、自分が犬と性交していないことを証明するため、切腹して果てる。胎内には子供はいなかった。白気が立ち上り、霧散した。伏姫の数珠、それは「仁義礼智忠信孝悌」の八字が現れた水晶の玉によっても成っていたのだが、その八つの玉が、何処へともなく、八方に飛散した。

 ……しかし、変な話である。伏姫は、自分が犬と姦していない証明として、腹を切り、胎内を晒した。しかし、犬とセックスしたとて、通常、胎児は成らないのではなかろうか? 則ち、胎内を晒して子供がいなかったからとて、それは犬とセックスしなかった証明にはならない。ややもすると此処は、エログロ趣味で読者のサディズムを悦ばせようとしているやにも思える。
が、多分、そうではない。実際には、女性だって切腹ぐらいするのだが、切腹は男性の自殺方法とされていた。此処は、伏姫の男性性、精神の男性性を表現していると見たい。則ち、玉梓と伏姫の関係は、玉梓という女性の精神をもった牡犬が、女性の肉体を有しながらも精神的には極めて男性性の強い伏姫を強姦しようとした、という図として描かれ得る。肉体の強姦は不成功に終わったが、精神的な、気もしくは精としては、性交に成功し、八人の子の精を孕ませた。玉梓もしくは犬は、陽にして陰。伏姫は、陰にして陽。そして、天照大神も、陰/女性にして、陽/大陽……。

 伏姫が切腹して果てた後、その場に二人の女性が駆け付ける点も重要だ。伏姫が犬と仲良く山に籠もってから、母の五十子(イサラコ)は心痛に伏せった。その五十子の危篤を義実に報せに来るのが、「柏田(カエタ)」という侍女であた。そして、程なく、もう一人の侍女が駆け付け、五十子の死を伝える。二人目の侍女の名は、「梭織(サオリ)」であった。

 「柏」は通常、植物の名前だが、「迫」と同義に使う場合がある。「迫」は<攻める>というニュアンスで使う場合があるし、<狭める>という意味で使う場合もある。「柏田」は、<田を攻める>もしくは<狭田>と解釈することが可能になる。<狭田>という言葉が、『日本書紀』神代上に出てくる。それは、天照大神の所有する田であった。「天狭田(アマノサナダ)」である。
  両親に追放された素戔鳴尊は、根国に行く前に姉/天照大神に一目会いたいと、天に昇ってきた。天照大神は警戒したものの結局、弟/素戔鳴尊を信じて天の国に入れた。素戔鳴尊は、荒れた。天狭田を攻撃し、破壊した。<柏田>である。また、「柏」から離れて、「カエタ」→「反田」とすれば、そのまま<田を破壊した>となる。いずれにせよ、「柏田」は、天照大神と素戔鳴尊との説話を思い出させる。

 このような悪質な悪戯にも、天照大神は怒らなかった。しかし、遂に天照大神の堪忍袋の緒が切れる時が来る。天照大神は布を「織」っていた。そこに素戔鳴尊が、生皮を逆剥ぎにした馬を放り込んだ。驚いた天照大神は、持っていた「梭」(ヒ:機織りの道具)で自らの体を傷つけてしまった。『日本書紀』のこの部分には、但し書きがある。布を織っていたのを天照大神ではない別の女神として、その女神は「梭」で自分の体を刺して死んでしまった。という説も併載している。また、『古事記』では、天照大神の代わりに「天服織女(アメノハタオリメ)」が梭で自分の「陰上(陰部)」を衝(つ)いて死んでしまう。
 天照大神は、天の岩戸にお隠れになる。<お隠れになる>とは、貴人が死んだ場合の表現でもあるが。<大陽のストライキ>によって世界は闇黒となり、神々は困惑した。そこで天鈿女命(アマノウズメノミコト)が、ストリップを演じた。天照大神は、賑やかな表を覗くため、岩戸を開けた。その隙間に「手力雄神(タチカラヲノカミ)」が指を入れ、押し開き、天照大神を引きずり出した。世界は、光を取り戻した。
 天照大神が隠れる原因となったのは、素戔鳴尊の狼藉であった。それは、「柏田」と「梭織」によって、八犬伝中に、隠喩されている。そして、天照大神が再び姿を現し、世界が光に包まれるとき、登場するのが、「手力雄神」である。また、上述の如く素戔鳴尊をゝ大に擬することが可能となるのだが、ソレは、また別稿で論じよう。

 八犬伝の前半は、暗い。伏姫の悲劇から始まって、順次、八犬士が登場するが、その殆どが、不幸な少年時代を送る、もしくは大人になっても継母に虐待される、悪人たちの罠にかけられる、監禁される、殺されそうになる……。どうにかこうにか犬士たちは切り抜けるのだが、とにかく禍(マガツミ)が次から次へと襲いかかってくる。山上憶良は「貧窮問答歌」の中で、不幸な自分の境遇を嘆き、「自分にだけは陽の光が照らないのだろうか」と歌ったが、そんな感じで、不幸が執拗に犬士たちを襲う。悪人が、幅を利かせる、闇のような世界、それが、八犬伝の前半である。

 しかし、冬来たりなば春遠からじ、陰の中にこそ陽は兆す。暫く行方不明だった犬士・犬江親兵衛仁(イヌエシンベイマサシ)が突如、姿を現す。物語は、完全に好転の兆しを見せる。八人の犬士の具足が、約束されたのだ。天照大神が岩戸から顔を覗かせ、少しく光明が漏れてきた。だが、夜は完全には明け切っていない。義実の孫・里見義通(サトミヨシミチ)が、それまで里見家に従っていた上総国館山城主・蟇田権頭素藤(ヒキタゴンノカミモトフジ)に誘拐された。ちなみに、そのとき義通を護衛していた供の一人が、田税力助逸友(タヂカラリキノスケハヤトモ)である。

 下総の一城主に過ぎない蟇田素藤が、何故に、安房・下総に勢力を張る里見家に対抗し得たかといえば、一人の女性が陰で協力したからだ。「八百比丘尼(ハッピャクビクニ)」と呼ばれる、尼であった。この尼は里見家に、怨みを抱いていた。そのために、蟇田素藤をたらし込み、里見家と敵対させたのだ。この八百比丘尼、実は、牝狸であった。そして、その牝狸には、玉梓の怨霊が取り憑いていた。
 此処で読者は、面食らう。上にも書いたが、玉梓が取り憑いていた犬は、伏姫が読経三昧の生活を送ったせいで、まぁ経文を聞かされたおかげで、「如是畜生発菩提心」すなわち、怨念も晴れた。玉梓は成仏した筈であった。……話が合わない。

 実は、伏姫を娶った犬は幼くして母犬を失い、この牝狸が乳をやって育てた。馬琴は言う。犬にも玉梓の怨霊が取り憑いたが、牝狸にも取り憑いており、犬の方は怨念も消えたが、牝狸に取り憑いた怨念は消えなかった。いや、犬は里見家によって祠に祀られたのに、牝狸は自分が放っとかれたことを恨んで、新たな怨念を抱いたのだ。……そんなんアリか? と私も思うが、作品の中では<絶対神>たる馬琴に逆らえない。馬琴が、そう言うのなら、そうなのだろう。

 義通は誘拐されたものの、二度の戦いを経て、里見軍は、蟇田素藤の館山城を陥落させる。その戦で目覚ましい働きをするのが、田税力助逸友の従兄弟・田税戸賀九郎逸時(タヂカラトガクシロウハヤトキ)である。「トガクシ」→「戸隠」である。蟇田素藤は滅ぶ。八百比丘尼も滅ぶ。則ち、玉梓の怨念は、完全に滅び、消滅する。ここに、里見家と犬士を暗く覆っていた宵闇は払拭され、陽の光が降り注ぐことになる。この後、里見家は日が昇る如く、上り調子となる。八犬伝の世界が、陽光に照らされることを示すために登場する人物、それが田税、タヂカラ、手力雄神なのだ。

 伏姫の性に話を戻す。伏姫の父・義実は、結城から安房に逃げる途中、白竜を見た。お話だから、何だってアリなのだ。竜ぐらい、驚くには当たらない。此処で義実は、竜に就いて、蘊蓄を垂れる。その中で、「八才の竜女成仏の説」と、さりげなく、仏教説話に言及する。法華経提婆達多品に載せるエピソードだ。この竜女、仏教を守護する八大竜王のうち娑竭羅竜王、則ち雨を降らせる竜であり竜宮に住む竜王なのだが、その娑竭羅竜王の娘である。とても賢く慈悲心篤く、わずか八歳で成仏したのだ。

 いや、「成仏」と言っても、死んだわけではない。仏と同格の悟りを開いてしまったのだ。しかし、困ったことに、仏教にはルールがあって、女性は、仏にはなれない。でも、成仏しちゃうのである。では、如何にルール違反を回避したか? 竜女は、成仏に先立って、男の子に変身しちゃうのだ。法華経に拠ると「忽然之間変成男子(アッという間に男子に変成した)」とある。だから、何も問題はない。
 問題は……ある、かな、やっぱり……。番外編「変成男子」に於いて、幾つか男女が入れ替わった話を引いた。しかし、一瞬のうちに変わった話は、さすがになかった。でも、変わっちゃったのだから、仕方がない。そして、この竜女、まぁ別に竜女だけの特徴ではないのだけれども、容姿に三十二の特徴があった。「三十二相」というヤツである。これは、仏様とかに具備する特徴である。どういうものか、実はよく分からない。確実な説がないようなのだ。ただ、一種の異相であり、美少女の特長ではないような気がする。舌が大きいとか、土踏まずがなくてベタ足だとか。美少女でなく、可愛い少女、というなら、それはそれで良いのだが……。
 しかし、「三十二相」が、美少女の特徴と対立するものとは思いたくない理由がある。八犬伝中、この「三十二相」を確実に備える女性が一人いる。美少女の伏姫だ。因みに、伏姫が犬を連れて山に入ったのは、八歳ではないものの、二八の十六歳のときであった。何不自由なく、姫様として暮らしてきた伏姫が、雄々しく浮き世を捨てたのが、十六歳のときであった。また、伏姫は、自殺を決意したとき、この「法華経提婆達多品」を読むのだ。もちろん、この経は、女性にして成仏することを説いた根本聖典だから、伏姫が単に女性の身にして成仏を願うために読んだと、解釈することも出来るのだが、それでは、わざわざ美少女であるべき伏姫の設定に、美少女の特徴とは思えない「三十二相」を滑り込ませた馬琴の意図が分からなくなる。伏姫は、ここで、「変成男子」、男性性を獲得したと見える。精神面での性転換だ。

 因みに、七夕伝説というのがある。織女と牽牛が年に一度、二人を隔てる(天の)川を渡り、逢瀬を楽しむ。色々なバリエーションがある。そのうちの一つに、織女を、竜宮の侍女とするものがあるようだ。
 上で、天照大神伝説に於ける<布を織る女神>に触れた。また、竜宮の女/竜女との近似を説いた。そして、伏姫の許婚者・金碗孝徳が七月の或る日、それまで増水して渡れなかった川が何故か水を失ったので山に入ることが出来、そして伏姫に出会えたことも述べた。七夕、それは二人の出会いの時であり、そして、引き離される日でもある。
 伏姫、この雄々しく美しい両性具有は、飼い犬によって八人の男児の精を孕んだ。別に珍しいことではない。男色によっても子供が生まれ得るのが、前近代のイメージ世界だ。ならば、その伏姫から生まれた犬士たちのセクシャリティーは? ……そろそろ行数も尽きてきた。その話は、また別の機会に譲らねばならない。

(お粗末様)
 
 

                                                   

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