◆「姫君StrapOnDildo」

 画虎実体化事件のとき、変態管領・細川政元の娘・小雪が悪僧に捕われる。緊縛された美少女が、まさに悪僧二人組によって辱められようとした其の時、実体化した画虎が登場して救う。此の場面、「小雪」の名から「雪舟」に繋ぐ論者もいるようだ。なるほど、例えば浄瑠璃「祇園祭礼信仰記」には、雪舟の孫(あのぉ雪舟は禅僧なので子孫はいないんすが……)「雪姫」が登場する。小雪のように悪役に緊縛され、まさに陵辱されんとする時、足で鼠を描くと、実体化する。姫の縛めを食い千切る。以下の如き塩梅だ。また、元となった雪舟説話も続けて引く。

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我が祖父雪舟様、備中の国井の山の宝福寺にて僧となり、学問は仕給わず、とかく絵を好み給うゆえ、師の僧これをいましめんと、堂の柱に真此様に縛りつけて折檻せしが、終日苦しむ涙を点じ、足をもって板縁に画く鼠、縄を喰ひ切り助けしとや。妾も血筋を請けついで、筆は先祖に劣るとも、一念はおとりはせじ(足にて木の葉をかきよせかきよせかき集め、筆はなくとも爪先を筆の代わり、墨は涙の、濃薄桜、足に任せて書くとだに、絵は一心による物凄く、すわすわ動くは風かあらぬか、花を毛色の白鼠、忽ちこゝに顕われ出で、縄目の葛草の根を、月日の鼠が喰ひきり喰いきり、喰いきるはずみにばったりと、倒しがむっくと起き/ト雪姫思入れあって爪先にて花をかき集め、舞台へかく思入れ。ドロドロになり、さしがねの鼠出て縄を喰い切る)ヤア嬉しや、縄が切れたか。ムム、足で鼠を書いたのが、縄を切ってくれたかいのう(祇園祭礼信仰記)
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 僧雪舟 諱等楊。又称備渓斎、或称米元山主。氏小田、備之中州赤浜人也。到今赤浜之田間、有雪舟所産之地。天性工画。師如拙及周文得其法。更出新意。或曰、雪舟及十二三歳、其父携之、投州井山宝福寺、而為一僧弟子。雪舟自幼好画、不事経巻。一朝師僧大怒、縛雪舟於堂柱。日漸及暮、師僧又憐之。自到堂上、将解縛索。于時、雪舟膝下鼠驚走。師僧亦驚騒、恐傷雪舟急逐之。然鼠不動揺。師僧怪見之、雪舟終日愁苦之所致涙痕滴堂。雪舟自以脚大拇指、点涙画鼠於堂板。其勢恰似活鼠奔走之体。於是師僧服其妙、自是後不戒画。及壮年為相国禅寺左街僧録司洪徳禅師弟子。又赴鎌倉、従建長寺玉隠永■(玉に與)。永■(玉に與)為雪舟作漁樵斎記。即為雪舟別号。曾寛正年中乗船舶入大明。登四明天童、為第一座。故画後多書四明店童第一座。又称扶桑紫陽等楊。在明也、問当時能画人。明人曰、今世能画不乏其人。就中李氏張氏推為一双高手。等楊見其所画曰、我遠遊明国、其志在求画師。今見二氏跡不足学。然則大明国裏無可師之人。唯明国名勝之地、山川草木、是我師也。然則師在我、而不在人。豈他求乎。自是激励不怠。図画成奇。大明君臣共称其美。遂奉勅画礼部院之壁。不又栄乎。曾応明人之請、而画本朝之富士三保清見三絶景。当時鴻儒・仲和加賛於其上(・僖字仲和号鉄冠道人書法卓絶名動京師)曰、巨嶂稜層鎮海涯、扶桑堪作上天梯、岩寒六月常留雪、勢似青蓮直過■(低の旁)、名刹雲連清建古、虚堂塵遠老禅栖、乗東遊去、特到松原竊羽衣。雪舟弟子写其図賛、以帰本朝(画後書雪舟筆其下有等楊墨印)成化年中促帰装。于時四明徐l字希賢、送別以詩。曰、家住蓮莱弱水湾、■(峰の山・フユガシラなし/ふう)姿瀟洒出塵寰、久用詩賦超方外、■(月に夫に左右点、中に貝/あまつさえ)有丹青落世間、鷲嶺千層飛錫去、鯨波万里蹈杯還、懸知別後相思処、月在中天雲在山(其記成化五年歳次己丑仲夏下澣四明徐l希賢書)其所重可知。帰朝後居周防州山口雲谷寺。故称雲谷、或号雲谷軒。至其妙処則得之天性。不践古人蹤跡而既立一家。尤長於山水。人物次之。花鳥又次之。兼善牛馬。而龍虎次之。凡於人物牛馬、一点筆而成。此法始自雪舟。常好水墨、少設丹青。専尚風致。故大抵写意、不求形似。筆力位置清気豪放、聊有無墨法。但伝于世者無不至妙也。毎欲画微醺後吹尺八数声、或吟詩唱歌、箕坐盤薄。及執筆意気揚揚、如龍之得水。舗排草草而成矣。体製奇奇而出矣。先輩称画中三昧手。宜哉。然雪舟不矜其能。又有謙譲 之情。公方家金殿画図、薦狩野氏而譲之。以此可観矣。至晩年筆力不衰。八十有余歳後所画者、今往往有焉。興彦龍(横川弟子)万里(号梅花無尽蔵)為之作伝。今行于世矣。在明日学彩画法於李在(其伝出于図絵宝鑑続篇)薩州士人家、有舟画像。秋月所筆也。其像身著九条袈裟、首戴烏紗巾、手弾琵琶。此図並自画半身像(画後書雪舟付与秋月)亦往往有焉。(「本朝画史」巻第三)
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 ……なるほど、興味深いものはあるが、八犬伝と無関係とまでは思わないものの、かなり距離があるよう感じる。だいたい実は、画が実体化するなんざ、「祇園祭礼信仰記」の専売ではない。それより筆者は、狩野元信百五十年忌(宝永五年)を当て込んで近松門左衛門が原作した傑作浄瑠璃「傾城反魂香」に、関心を惹かれる。
 「傾城反魂香」の主人公、狩野元信は、教科書にも登場する近世の絵師だが、虎が実体化したり色々と、八犬伝を読む上での示唆に富んでいる。だから此処で全文を引用……しようと思ったが、流石に長いので、リンクのみにしておく(→「傾城反魂香」)。
 「傾城反魂香」は要するに、美男で女たらしの天才絵師・狩野元信が、相思相愛の女性と死に別れ、お姫様と結婚するってだけの、犬塚信乃ばり【逆玉の輿】物語だ。尤も、お姫様ってったって、儚げで消え入らんばかりの女性ではない。彼女も以前から元信を愛しており、彼女自身が語るには、夜毎、元信をオカズに、侍女とStrapOnDildo、互いに慰めてたってんだから、かなり濃厚な情欲の持ち主だ。
 しかも、元信と相思相愛の関係にある女性が眼前に立ちはだかった時、お供にやらせりゃ良いものを、自ら衆目を前に組ず解れつ、CatFightingを演じる烈女である。ちなみに、決闘は、姫が元信のもとへ嫁入りする途上で行われた。姫は地べたに押さえ付けられ屈辱的な敗北を喫した。何たって侍女に責められ昇天するような姫である、抱き締められただけで抵抗できなったのではないかと疑える。が、一敗地に塗れたとはいえ、さすがは姫、毅然とした態度で、自分を襲った女性に事情を尋ねる。件の女性は、自分も元信を愛しているから、結婚する前に、ちょっと貸せよと、姫に懇願する。姫は女性に、元信を暫く貸してやることにする。但し、「しゃぶり尽くさずに残しとけよ」と釘を刺すことは忘れなかった。女性のドロドロな情念が、作品には一貫して流れていく。最後のクライマックスは、(既に死んでしまった)件の女性が、元信の描いた画に入っていき、熊野詣をする場面だ。この現象は、【画の実体化】と根を同じうする。画が現実の世界に飛び出してくるのではなく、人の魂が画の中に入っていってしまうのだ。
 「傾城反魂香」、一応の主人公は狩野元信なのだが、実は運命に翻弄されるだけって印象で、影が薄い。まぁ前半部分、悪人に取り囲まれ万事休するかと思えたとき、自ら描いた画虎を実体化させ、其れに乗って逃げるって離れ業は見せるのであるが、男で最も目立つ登場人物は、浄瑠璃では御馴染みの名古屋(古那屋ではない)山三(郎)であり、彼と敵役・不破番作……もとい不破伴作(伴左衛門)との絡みが有名だ。いや絡みといっても、お姫様のように、同性間で不純交遊をするのではない(とはいえ、二人ともモデルとなった人物は……まぁ後で話そう)。この二人、浄瑠璃では必ずと言ってよいほど「恋の鞘当て」で斬り合うことになっている。お約束通りに斬り合い、お約束通りに山三が勝つ。
 また本稿の関心外ではあるが、現在の上演では、元信に味方する絵師・土佐光信の弟子・又平が活躍する場面を中心にしているらしい。この又平の描いた画も実体化する。元信の場合は、敵に追い詰められた挙句、自分の血を口に含み、襖に吹き掛けて虎を描く。それはそれで器用ではあるが、血を使っている所が鬼気迫り、それ故にこそ呪術的だ。純粋に画の力とは思えない。対して又平の場合は、それまで日常的に描き溜めていた画の数々が、又平の危機に際して実体化し、敵の軍勢を蹴散らしていくって、ファンタジックな挿話となっている。更に言えば、又平の描いた画は、岩の向こうからでも透けて見える。【信念、巌も通す】である(えぇんか、それで……)。又平の方が、純粋に画の力が強いって印象だ。結局、元信の取り柄は、美男って所だけなんぢゃないか(まぁそれだけあれば十分なのかもしれんが)。
 さて、この「傾城反魂香」に名前付きで登場する人物(名前だけでも登場する人物含む)を列挙すれば、六角義賢、娘の銀杏の前、腰元・藤袴(真偽二人)、家老の不破道犬、其の息子・伴左衛門、配下の犬上団八、六角家の絵師で不破贔屓の長谷部雪谷、其の弟子・長谷部等厳、宮中絵所預の小栗、小栗に追い落とされた土佐将監光信(事件後に絵所預に復帰)、其の娘・おみつ(お宮など変名多数)、弟子の修理介正澄(土佐光澄)、兄弟子の浮世又平正起(土佐光起)、狩野祐勢、其の息子で美男の狩野四郎二郎元信、其の弟子・雅楽介之信、同じく采女、同じく大学、六角家で重用されたが浪人となった名古屋山三春平(事件後に帰参)、其の父・主計介、山三の配下・世継瀬兵衛、揚屋・舞鶴屋仁三、山三の遊び友達・出口与右衛門、遣手・お玉、遊女の葛城、同じく和国である。
 以下、歌舞伎や浄瑠璃に詳しいむきには退屈となろうから、読み飛ばしていただくとして、まずは名古屋山三から紹介していこう。実在人物としての彼は、名古屋山三郎。六角家の部将・蒲生賢秀の子にして織田信長や豊臣秀吉に仕えた有力キリシタン大名・蒲生氏郷、此の氏郷に小姓として仕えたことで有名な美男子こそ、山三郎だ。要するに、夜の玩具だったのである。二千石取りだから、税率五割としても年収千両の高級専属娼夫ってことになる。歌舞伎の山三は、千両役者が務める役柄だから、相応である。山三の性的魅力が窺い知れる。まぁ軍功もあったよぉなのだが、それにしては無様な死に方をしている(後述)。山三郎は、那古屋因幡守敦順の子として生まれた。問題は、此の那古屋(古那屋ではない)で、彼は信長の叔父・信次の孫・中川重政の妹を妻とした、ともいう。真実ならば山三は、信長にとって従姉妹違いの子となる(現在の感覚では殆ど他人である)。其の様な因縁もあってか、山三郎は初め、信長の弟・信包に仕える。が、氏郷に乗り換える。……もとい、乗られ換えた、と云うべきか。何せ、夜の玩具だ。乗られていたに違いない。特定主君と余りにも緊密な関係を結んだ場合、当該主君が死ねば、殉死か浪人が常であった近世初期以前、山三郎も氏郷死後には二代目と甘くなかったか、浪人する。出家し宗円と名乗り、大徳寺に入る。還俗して、織田九右衛門と名乗った。妹が嫁いだ信州川中島(松代)藩主・森忠政に仕え、五千石取り。忠政の美作国津山(西北条)転封にも従い加増を受けたが、譜代の重臣・井戸宇右衛門と仲が悪く、斬りつけたは良いが返り討ちに殺された。因みに山三郎は当代きっての美男子かつカブキ者であったためか、出雲の阿国(/和国←遊女として本作にも登場)と組んで歌舞伎を発明したとの伝説がある。それ故か、歌舞伎には名古屋山三が登場する作品が幾つもある。
 一方、敵役の不破伴左衛門は、実在としての名が不破番作……ぢゃなかった、不破万作。関白・豊臣秀次の小姓すなわち夜の玩具であったが、秀次が秀吉に疎まれ殺された時、殉死した美男子であった。これで信長の夜の玩具・森蘭丸が登場すれば完璧だ(←いったい何が? でも山三郎が最後に仕えた森忠政は蘭丸の弟なので、ご心配なく←だから一体ナニを?)。
 山三・伴左衛門・蘭丸、夜の玩具の淫らな輪が繋がったところで申し上げると、山三と伴左衛門が絡む戯曲は、ほぼ必ず遊女・葛城の取り合いに終始する。此のイガミ合いが、現在でも恋敵との争いに使われる慣用句【恋の鞘当て】の語源となっている。本作でも、狩野四郎二郎に不破が「武士の作法は無用」とばかり、故意に刀の鐺を何度も打ち当て無礼を働く条がある。要するに喧嘩を売る行為が「鞘当て」なんである。
 話を戻そう。次に登場すべきは、六角義賢だ。実在の彼は十六世紀後半、室町幕府の近江半国守護として名を残している。当時は三好長慶が権を振るい、将軍・義晴を京から追い出していた。義賢は義晴を本拠・坂本城に迎え入れた。長慶と戦い、義晴の帰京を実現した、まぁ幕府にとっては忠臣の部類だ。なお、六角家って言やぁ、承久の乱は宇治川の先陣争い、宇多源氏で鎌倉幕府の近江守護(近江守兼務)佐々木信綱、其の三男・泰綱を祖とする佐々木一族宗家である。ただ注意が必要な点は、近世の文物に近江坂本の六角とか佐々木とか登場した場合、素直に受け取れない場合もあることだ。近江坂本の佐々木信綱と鎌倉の平(北条)時政が争っている場合、観客は、信綱を豊臣方、時政を徳川家康だと置換している場合もあった。何たって近世、東照大権現、神君家康を勝手に論うことは決して許されなかったから、言及する場合には必ず置き換えが必要だった。だいたい「傾城反魂香」でも、六角義賢の側近として、豊臣秀次の小姓・不破万作(伴左衛門)が登場する。伴左衛門の父で六角義賢の家老たる不破道犬だって、かなり怪しい人物だ。「道犬」なる有名な人物は歴史的著名人だけでも二人いるが、実は二人は親子だったりする。即ち、大野道犬である。父の道犬は、豊臣秀吉に仕えた。妻は淀君の乳母たる大蔵卿だ。道犬の子には、大野修理亮治長すなわち淀君の乳兄妹がいる。大坂の陣の時には豊臣秀頼の宿老として苦闘した人物なんだが、行動を共にした弟に、道犬斎(二世)治胤がいる。如何やら、六角義賢は本人そのものとしてではなく、秀吉以外の豊臣家の依り代として仮に引っ張り出されているに過ぎないようだ。
 さて漸く主人公(女性達に喰われまくってはいるが)たる狩野四郎二郎元信に就いて語ることが出来る。狩野元信は、云わずと知れた江戸幕府御用絵師・狩野家の基盤を確立した芸術家であった。だいたい「傾城反魂香」自体、元信の百五十年忌(宝永五年)を当て込んで作られた(上演は宝永二年)。顕彰のため、主人公になっちゃってるのだ。元信の弟子として登場する雅楽介之信だって、天正の頃に活躍した絵師だ。ちなみに狩野元信は、本朝画史に次の如く紹介されている。

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狩野元信 祐勢之長子也。小名四郎二郎。始称大炊助、後任越前守。祝髪号永仙。曾叙法眼位。学画遠過於父。遂作一家。世称古法眼、狩野氏所宗也。……中略……毎歳正月二日、画末広扇、以献公方家而成賀。公挙土器而賜酒。大地典薬頭某、次元信、以及諸士。……中略……世謂鞍馬寺之僧正者山中魔鬼之長也。先是公方家夢一山僧。曰、我是鞍馬僧正也、願公使狩野元信図我像、以安於寺中。公驚寤而告之元信。元信亦同夢。公乃欲令元信写其像。元信実不知其形。而世亦無図像。茫然臨紙上、不得下手。忽有蜘蛛引糸行紙面。随其跡以観之而彷彿得儀表。於是三像画成。中僧正坊、左役行者、右源牛若(義経幼名也。世謂学兵法於僧正坊。人知其霊妙通神)其画方六尺余、元信家其門狭小而難出之。時其屋旧矣。破其簷以出之。当時児女相言曰、図既成而風破屋也。……後略(本朝画史巻第四)
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 此処でも何やら怪しい話が紹介されている。将軍の夢に鞍馬僧正(日本の天狗を束ねる大天狗)が現れ、自分の姿を元信に描かせろと云った。流行のカメラマンに裸身を撮られたがる少女の心境か。だが、人の夢に出てきたものを描くったって、そりゃ無理だ。将軍も無茶を言うものだ。馬鹿なんぢゃないか? が、元信が虚心坦懐で紙の前に座ると(ってぇか描けると思ったところに無理がある)、紙の上を糸を出しながら歩く蜘蛛を見た。糸を辿ると、鞍馬僧正・役行者・源義経の三尊像となった(えぇんか、そんなん!)。
 此処で「日本滅亡」で紹介した邪馬台詩を思い出した方もおられよう。遣唐使・吉備真備がグチャグチャに文字列を崩した漢詩を突き付けられ、読めねば殺すと脅された。すると真備、「黙然祈仏天及本国之神祇、俄而有蜘蛛随其紙上、漸歩曳絲遂認其跡、読之不謬一字」。長谷寺観音本人か使いかの蜘蛛が紙の上を歩き回り、読む順を教えてくれた。神が天才を救うときには蜘蛛の糸が登場するらしい。まぁ絵が完成すると六尺余りの大作となったが、当時の元信宅の門は狭かったため、運び出すことが出来ないでいた。そうこうするうち、門が壊れ、漸く運び出すことができた。児女は、こう云い合った。「絵が完成すると風が吹いて屋根が壊れちゃったんだって」。即ち、大天狗たる鞍馬僧正が、風を吹かせて門を壊し、絵を運び出させたって、暗に言いたいんだろう。いきなり姿も見せずに絵を描けと言ってみたり、出来たら家を壊したり、全く傍迷惑な天狗もいたもんだ。まぁ偉大な人物の周囲には不可思議なことが起こる、偉大な人物は神仏と近い場所にいる、ってぇのが前近代のイメージだろうから、狩野派の美術史書である本朝画史が、元信に纏わる奇妙なエピソードを紹介することは、不自然ではない。箔を付けたかったんだろう。と、此処で、お約束の制限行数だ。次回も引き続き「傾城反魂香」の話題である。(お粗末様)

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