■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「犬士の出自」七・七バランス1

 犬士の出自を読めば、馬琴の考え方もしくは当時の民衆が階級・身分に如何ようなイメージを持っていたかが窺える、筈だ。犬士の出自・生い立ちは必ずしも単純ではないが、大雑把に見ていこう。

 親兵衛は、農民でありながら武芸を好み神余の家老筋・丶大の家に奉公していた杣木朴平の孫たる房八と、その朴平が殺した神余の近習・那古七郎の姪である沼藺との間に生まれた。小文吾の甥に当たる。半農半武だが、水運業者の子として生まれた。但し、幼いとき伏姫に拐かされ、人が踏み込めない富山の奥で育った。伏姫が教育に当たるが、実際の世話は武家奉公をしていた姥雪代四郎・音音夫婦と、其の嫁で豊島家中の軽輩の娘である曳手・単節および子供の尺八・力二郎が当たった。武士の子として育ったといえる。
 荘介は、堀越公方・足利政知に属した荘官の嫡男だ。馬琴が八犬伝中で云う荘官は、恐らく豪士を指しているのだろう。但し、一般の豪士より大名に対する従属性は強かったと思われる。豪士の嫡男として生まれた荘介だが、実際には豪農・蟇六の小者として育った。但し、武芸を心がけ、信乃に書を借りて学問も積んでいる。大角は、豪士・赤岩一角の子として生まれ、やはり豪士であった犬村家の養子となった。生粋の豪士として育ったと言える。毛野は、大大名・千葉の一門であり家老であった粟飯原家の庶子として生まれた。しかし生まれた時には一家は滅亡しており、芸人一座の中で育った。道節は、大名・豊島家の家老であった道策の嫡子であり、上士の子として育った。武士として合戦にも参加し、敗走した。上級武士としての、多様な局面を経験している。
 現八は、洲崎辺の半農半漁の民・糠助の独子だ。しかし生活苦のため、関東公方・足利成氏に属する軽輩・犬飼家の養子となった。少年期から養子であることを自分で知っている。二階松山城介なる武芸者の高弟で、允可を受けている。武士として育てられたことになる。武芸に秀でていた故か、飛脚よりは身分の高い典獄に抜擢されている。但し、無辜の人々さえ責めねばならぬ足利家の典獄は勤まらないと浪人を申し出て、死罪を言い渡されている。
 信乃は、考えようによっては、最も格式の高い家柄に生まれている。祖父・匠作は、関東公方の、嫡子ではないにせよ子供達の近習だった。関東公方は、制度が全く違うので比較は本来できないのだが、江戸期ならば関東公方、御三家、就中尾張大納言家にも当たろう。もしくは関東の公方であるから、密かに江戸幕府そのものに擬することも可能か。そして信乃本人は、浪人・番作の子として育ち、伯母・亀篠と蟇六の夫婦に引き取られて、小者同然に使われる。
 小文吾は、丶大の父・金碗八郎の友であり、杣木朴平に殺された、那古七郎の甥に当たる。武士の血筋とはいえ、父・文五兵衛は(商売が嫌いだったようだけども)宿屋の親爺に収まっていた。市井の人として育つ。武芸を好み大刀を帯びてはいたが、良い所で地回りの兄貴だ。宿屋の留守番として丶大に応対する場面ではソツがないし、大塚城内へ商人として潜入した実績もある。

 八人の出自を分類すると、最大限遡り得る父系の血筋では、親兵衛・現八が農民、荘介・大角が豪士、毛野・道節・信乃・小文吾が武士、となる。何故に「父系の」血筋を「最大限遡」るかと云えば、「血筋」とは、そういうものだからだ。一世代前の父だけを論じても仕方がない。また、武士と豪士を分ける理由は、豪士は土着しており片足を農業に突っ込んでいるからだ。土佐の一両具足みたいな存在もあったが、幕末に於いては、帯刀を許されていた庄屋レベルの豪農が八犬伝読者のイメージの中にあったのではないか。幕末の動乱期に、草奔の志士として下級武士と共に元気の良かった階級である。一方、武士の場合は知行地から離れ、城下町に集住しているイメージだったろう。即ち、土地に土着しているとは言えず、農業からも剥離していた。
 生い立ちで云えば、農業従事者としては荘介。豪士(浪人含む)の子として育ったのは、大角と信乃。信乃の場合、亀篠夫婦に引き取られてからは荘介(額蔵)同様に農業従事者としての経験を積んだろうけども、番作が生きている十一歳の頃までにパーソナリティー/性格が確立していたようなので、豪士の類に入れる。毛野は芸能民、小文吾は宿屋の息子だ。親兵衛は、伏姫に浚われたとき既に他の子供よりも賢さを発揮していたとの記述から、やや物心ついていたとも思われる。その時分は、水運業者の息子として育てられていた。富山では武士として育ったので、中間的な位置にあろう。一貫して武士として育ったのは、おバカな道節と案外おバカな現八のみである。此処までで気付くセオリーは、〈武士はバカ〉、である。あ、いや、半分冗談だ。
 出自と生い立ちの関係で第一に気付くことは、二つの側面とも農民である犬士がいないことだ。「そんなの当たり前ぢゃぁん、『犬士』なんだから」と云う勿れ。だったら、八人すべてが何故に武士の子として生まれ、武士として育たなかったかが説明できない。武士として生まれ、純粋に武士として育った犬士は道節だけだし、彼も犬士の群に入る遙か以前に浪人している。また、道節は、事ある毎に信乃・毛野に窘められている。犬士同士を差別するワケではないが、犬士としての品質が、中位以下だと思われる。
逆に、養父が軽輩だったにも拘わらず、刑務所長にまで抜擢された現八は、唯一、純粋に農民の血筋だ。結果として勤め上げられずに浪人となったものの、サラリーマン武士社会で最も評価された人物が、農民の血筋である点は見逃せない。八犬伝が、「血筋」によって何かが伝えられると論じながらも、其れは身分と関係なく、自由意思と行為にかかっていると主張していることが解る。継承されるものは遺伝子ではなく、意思/霊なのだ。一方、親兵衛の場合、曾祖父の杣木朴平は金碗家の小者だったし、「純粋に農民」とは言えない。まぁ農民ではあるが、現八の実父・糠助みたいな農民らしい農民と比べれば、あまり農民らしくない。また、親兵衛は、朴平の血筋というだけでなく、神余の家臣・那古家の血も引いている。
 次に気になる犬士は、毛野・小文吾、そして親兵衛だ。毛野は旅芸人一座、小文吾は宿屋、親兵衛は伏姫に浚われるまで水運業者の子として育った。水運業者は、云うまでもなく、各地を動き回って荷物を運ぶ。流通に従事している。旅芸人一座も、各地を転々として暮らす。そして宿屋は、自分はウロウロ動き回ることをしないが、流通する者達が拠点とする場所だ。逆の性格を持つ者は、農民である。農民は、土地に縛られているとは云わない、土地と共に生きる者だ。八犬伝が書かれた近世、武士は土地から剥離された。大半の陪臣たちは知行地を治めるのではなく主の蔵から切米を支給されるようになっており、城下町もしくは江戸などの都市に住まわされていた。領主である大名達でさえ、参勤交代で一年ごとに江戸で暮らしていたし、それ以前に幕府の命令一つで領地を替えられる、転勤族でもあった。武士は、土地から剥離される存在であった。豪士は土着の側面を持つが、武士の側面もある。農業だけでなく、武芸という技術を持っているから、仕官するなど、土地から離れても生きる術がある。浮遊し得る側面もあるのだ。しかし、毛野・小文吾・親兵衛が、流通せる者達もしくは其れに親和性の高い、芸能民・水運業者そして宿屋として育った点は、甚だ興味深い。

 芸能民は流れ行く者だ。喩えるならば、流水であろう。水運業者も同様だ。宿屋は、流れゆく者達が留まる池・湖と言えようか。さて、此の読本シリーズでは、水気の犬士として信乃・毛野・小文吾を配した。親兵衛は木気だ。毛野は正に流れゆく水の如き存在だ。八犬伝で云うならば、「智は動く智者は水を楽む」(第百八十回下)。彼が小波姫を娶る所以だ。智は水気で太陰ではあるが、其の中の陽/プラス/兄エであろう。一方、宿屋が池・湖、溜水であるならば、水気なる者の陰/マイナス/弟トであろう。流れ流れ行く壬(ミズノエ)の犬士・毛野を、広い胸で包み込み抱き締め一時にせよ留まらせる者は、癸(ミズノト)たる湖、小文吾の他に誰があろう。
 また、もう一人、水気の犬士がいる。言わずと知れた信乃だ。彼は流通業者でも宿屋でもなく、武士の血を引く豪士/浪人の子として生まれた。彼が水気であることは、今まで何度も述べたように、水気の剣・村雨に依る。次に、彼の女装癖だ。女性→水気である。毛野と同様、水関係の名前「浜路」を娶るところからも、彼が水気だと解る。そして余りに匠作・番作の存在が派手である為に忘れがちになるが彼は、信濃の住人・井丹三の孫でもある。井丹三の存在は決して小さくない。何せ、八犬伝抑もの発端、結城合戦で春王・安王方に就いて戦った武士だ。終盤の結城法会では、娘の手束と共に供養されている。信乃の妻となる浜路姫を養い育てた人物も、井丹三ゆかりの木工作であった。だいたい信乃は信濃の受領となるべくして名付けられ、実際にそうなったのだが、井丹三が信濃の住人でなければ手束と番作が信濃で結ばれることもなかったであろうし、信乃と名付けられることもなかっただろう。いや、だいたい、信乃は生まれていない筈だ。井丹三の孫である彼の結局は、井戸の修復であった(第百八十回上)。井戸は、水関係だ。
 親兵衛に就いては、やや事情が複雑だ。彼は、水運業者の子として生まれる。水関係だ。が、伏姫に誘拐されて、山に籠もる。「仁者は山を楽む」(第百八十回下)から、山と仁/木気は相性が良い。木気である以上、水生木、水を親とする。水関係の家に生まれ、山に育つことは、親兵衛にとって理想的な境遇だったかもしれない。
 逆に最も土着性の高い育ち方をした荘介は、義玉だから金気だ。土生金、金属は土中から発掘され、そして一般に火克金、火に溶かされて、人の用に立つ。確かに金気は火気に弱いのだが、イニシエーション、薄っぺらなインテリ染みてて歯が浮きそうだから嫌いな言葉の一つだが、死と再生の儀式を潜り抜けてこそ、金気は一人前となる。彼は簸上宮六を討ったことで、簸上社平に殺されそうになる。馬琴の場合、表記も然ること乍ら、訓みにも注意せねばならない。簸上は「ひかみ」であるから、「ひ/火」に通ずる。彼は一度、火に炙られなければならなかった。拷問を受け、殺されそうになり、すんでの所を信乃らに救われる。そして初めて彼は、独立した一人の犬士として行動するようになるのだ。荒芽山騒動の後、サラマンダー道節と珍道中、甲斐・指月院に転げ込むが、あんなバカと旅をしたのだから苦労しただろう、さぞかし人格が練れて立派な漢に成長したと思われる。火克金、火は金を克するが其の実、金を有為なる者とする……かもしれない関係なんである。この様な金気の犬士は、まず土中に蔵(かく)されていなければならず、故に土に生きる農業従事者として立ち現れるのだろう。彼は水・土の仲間の助けを借りて土中から転がりだし、流浪の日々に転ずる。此の事は、源氏、金気に配される白を服色とする里見家が、三伏の頃に生まれた、即ち金気が火気に克されることを意味する「三伏」から名を取った伏姫を犠牲として、より強力な氏族となる点と共通である。火気は陽であるから生を好む。火気が克したからといって、金気の死滅を意味しない。これは同様に、土が木に克されても、却って豊かな地となることと同様である。逆に陰なる水に克されると火は消え、金に木は殺される。水と金は陰、陰は殺を好む。
 道節は、火遁の術を得意技にしている所からも、火気の犬士であることは、明らかだ。大角の礼は、火気に配当される。

 さて次に、犬士らは何故に犬士と成ったかを考える。四つの類型に分けてみよう。まず第一に、〈安房関連〉である。親兵衛の祖父は、蒼海湊の民・杣木朴平だし、母方は那古七郎に連なる。小文吾も那古七郎の一族だ。現八の実父は、洲崎辺の半農半漁民だった糠助だ。
 此の類型は更に二つに分けられる。神余家滅亡時の変事に関わった者の子孫、親兵衛と小文吾、そして単に安房の住民の子供である現八だ。前者は、里見家勃興に関わる。何となれば、里見家が南総を支配するに至った契機は、山下定包の謀反であった。まがりなりにも安房半国の正当な主である神余家を直接に里見家が倒すのは具合が悪い。安定した社会を乱し民を苦しめる簒奪に当たる。史実でも、神余家と里見家の間には、謀反者・山下定包が介在する。則ち、里見家が興る為には、神余家が滅ぶことが必要だが、直接に手を下してはマズイ。この神余家滅亡に関わった人々の子孫が、犬士となっていることは意味深長である。一方、里見の安房支配が安定したとき、神余の子孫が登場する。里見義実を簒奪者として討とうとしたのだ。あわや安房の支配権が神余に再び帰するかと思われた瞬間、丶大の姓・金碗/神余を襲う犬士の一人・親兵衛仁が登場し、仁すなわち天命の所在が未だ里見に在ることを明示すると共に、神余(の霊)が里見を支持することを確認させる。このときも里見と神余は、文脈としては、直接に対峙しているとは言えず、謀反者・素藤が介在している。
 因みに、神余が金碗と置換可能であることは、「神」が「金」と置換可能であることを意味している。金気の氏族・里見を本とし、金余、神余の方がサブであるよう仕組まれている。八犬伝では前後の浜路などに「虚花」なる概念が用いられている。真性なる者が登場する前に形を現す権(か)りの存在だ。時間的に先だからとて、正統とは限らない。逆もあり得るのだ。或いは神余、里見の虚花であった可能性もある。
 更に、金気の犬士・犬川荘介の親戚・蜑崎照文は八犬伝中かなり重要な機能を有しているが、安房里見家に仕えて十全に開花した。金気もしくは親和性の高い土気であると想定できる。
 また、地に神があり、国霊が存在するならば、国霊の支持を受けることが、現世の支配者には必要となる。地神は、現八・大角が庚申山エピソードで出会っているし、蟇田素藤が神社で神々の会話を漏れ聞くエピソードでも登場する。地神もしくは国霊の概念は、確かに八犬伝中に見出せる。そして国霊が、其の国に生まれ住む人たちに憑いたとき、その人々の支持を得ることが、支配の条件となろう。若しくは国霊を有する者を支配することが、其の国を支配することに繋がるのだ。「セックス健康法」で紹介した〈采女制の論理〉である。この国霊の論理が更に明らかとなる犬士が、現八だ。現八の父・糠助は、善い人だ。しかし、それ以上の人物ではない。親兵衛の場合は、祖父・朴平と父・房八の英雄的行為が影響していようし、小文吾だって那古七郎の壮烈な忠死も関わって犬士となったと考えられる。しかし、糠助は、ただ単に善い人なのだ。
 糠助の話を要約すれば、長禄三年十月二十日、玄吉(現八)は生まれた。生後七日目の祝いに糠助が釣った鯛の腹中から、信玉は現れた。痣は生まれながらに在ったようだ。産後の肥立ちが悪く母は死ぬ。そして玄吉三歳の時、食うに困った糠助は役行者の聖地で禁を犯し魚を獲った。捕らえられ死罪を申し付けられたが、五十子・伏姫の三回忌恩赦で、追放に変えられた。
 玉と痣の揃うことが犬士の身分証明であるならば、現八の場合、生後七日までに犬士となったことになる。しかし糠助、それまで特段の行為はしていない。行為が犬士たる理由になっていないなら、糠助の属性自体が理由となっているのだろう。即ち、善良な洲崎の民、ただそれだけだ。八犬伝に於いて、洲崎は主宰神・役行者の住処とされているし、恐らくは其れ以上の存在に関わる最重要地点だ。即ち、現八が犬士となる理由は、父・糠助が洲崎の民であって極めて善良である点しかないのである。此のことは逆に、洲崎が深い意味を持つ土地であることを裏書きしている。また、そうであるならば、洲崎の民であった糠助が正に役行者の聖地を犯して安房を追放されたことも、役行者の深慮遠謀であったことに気付く。糠助は大塚に定着し、善良さ故に信乃父子と親交を結ぶ。そして、信乃・荘介以外にも犬士が存在することを伝える。其の犬士は他ならず、信乃が会わねばならない足利成氏家中にこそ在ると、伝えるのだ。第一の犬士が旅立ち、物語が大きく動き始める。いや、此の情報は信乃に伝えられるべきものと言うより、八犬伝読者に伝えられるべきものだったかもしれない。物語の動きに、因果が籠められていく。役行者の深慮は、馬琴の遠謀である。

 第二の類型は、〈父もしくは先祖筋の英雄的行為が犬士たる原因〉となった者達だ。此には前出の親兵衛・小文吾もダブるが、信乃と荘介が典型的だ。信乃の場合は、祖父・匠作と父・番作が、幼君の為に華々しい活躍を見せたことに依る。荘介の場合は、匠作・番作ほどの華やかさはないが、父・衛士が民の為に主君である堀越公方・足利政知の苛政を諌めた点に、犬士たる原因が求められよう。衛士は立派なヒーローだ。付け加えれば衛士の切腹は、民の為に苛政を諌めた義が、真実のモノであったことを強調しているに過ぎない。何故なら、痣は生まれつき背中に在ったのだし玉も胞衣を埋めた出産直後に得られている。犬士となった後の現象は、当然、犬士となった原因からは排除される。故に、荘介が犬士になる原因は、衛士の諌言のみに求められる。支配層でありながらも被支配層の側に立った衛士に、馬琴はイデアを見たのだろう。さて、紙幅が尽きた。次の機会には残る二つの類型を見ていくことになろう。(お粗末様)
  
  

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