八犬伝第九輯下帙下套之中後序

 

智は知なり。人生れて耳目の及ぶ所物として知ざるはなし。知るといへども其理を極めて是を弁ずるにあらざれば智の要を為さず。格物致知は則学者の先務なり。雖然是を知る而已にして慧なき者は悟るに由なく才なき者は智を致すこと得ならず。この故に智慧と云才智と云。仏説に所云般若は智慧なり。智と慧と具足して悟るべく致すべきを才と云。智慧も亦大なる哉。蓋智と慧と相佐けて用を做すや譬ば人の身に魂と魄と有るが如し。魂は則心神なり魄は則神系なり。人の心の欲する所魄の資助にあらざれば手を動し足を運し動静云為坐臥行止一も其如意ならず。智慧と才幹と相佐けて善致すことあるも是理りをもて知るべき而已。

 

然るに智に上智あり邪智あり。上智は良善の事に用ひて毫も奸悪の事に移らず。進退必度に称ふて動くといへども跌かず。是を賢才睿智といふ。才は智の垂なる者なり。是を以難しとす。才なく智なきは則下愚なり。又邪智は奸悪の事に用ひて仁義の心なく進むを知りて退くことを思はず動くときには人に害あり。奸民盗児の才あるは多く是なり。或は又良知にして心正しく博く学び得て奇才あれども命凶にして用ひられず且勢利に附かず富貴を羨まず同好同志の友稀なれば但いにしへの聖賢を師とし友として隠居放言春日秋夜を長しとせず常に書を著して、もてみづから其智を籠にしぬる者あり。元の羅貫中清の李笠翁是に庶とせんか。是より下唐山にて云稗官者流国俗の云戯作者是なり。そが中に彼大筆と陋筆あるは猶白狐と野狐あるがごとし。桂も柴も一縢に人見て並て狐と呼べども白狐は野狐の野に遊ばず功徳無功殊なればなり。然るを柱に膠せる村学究は玉と石とを択も得せず或は那才を忌み或は彼名を■女に冒/む者其書に出ると聞く毎に遮りに眉をうち顰めて是等の漢かくの如き学問ありながら何とて儒になりて章句を誦し子弟に教て真の道を伝へざるや。只是意匠を費し紙筆を費し多く梓棗に災して世を誣ひ俗を惑せる是憎むべし厭ふべしと呟くも間これあり。是等は腐乱の偏見而已蓋博く学得て退きて戯墨に遊ぶ彼大筆なる作者は然らず。

 

大凡経籍言葉章の学びは和漢の先哲叮寧に注疏して学者を教導くものから世俗は皆教を厭ふて無用の空言を歓び或は又奇を好みて人の好歹を聴まく欲す。こ丶をもて達者の戯墨に遊べるや、事を凡近に取て誼を勧懲に発し空言以塵俗の惑ひを覚す者水滸西遊三国演義平山冷燕両婚交伝の五奇書あり。文章巧致奇至妙其深意を推考れば則斉諧を鼻祖として反て三教の旨に違はず釈氏の所謂善巧方便五百の阿羅漢二十五の菩薩の功徳に伯仲すといふとも過たりとすべからず。しかれども水滸の如きは彼土なる具眼の者もよく其深意を悟れるなし。況や此土の俗客婦幼は漢文俗語を一行も読得べきにあらざれば通俗解詁の一書なきは其書舶来して久しくなりぬるも其趣を覘ふに由なし。只俗客婦幼のみならず、をさをさ戯墨を事としぬる名人達もよく唐山の俗語を読得て師としぬるや否を知らず。吾其冊子を一巻だも取て閲せざればなり。但作者の用心は寧勧懲の二字にあり。然るを淫娃を旨とせる者時好に媚時好に称ふて書肆の■黒土オオザト/を賑せるは吾羨ざる所なり。因て昨の非を知るよしあり。

 

寛政文化の間に吾戯墨なる臭冊子てふ合巻物の画本にはいと恥かしきまでにいかにぞやと思ふもなきにあらず。然れども近曾は年々に吾編次ぬる合巻物の本は新編金瓶梅を除く外一書も新作あることなければ小利を欲する似而非書肆等が吾旧作なる物の本を恣に再板して画を新くし書名を更めたるもあり更めざるも皆新板と偽り記して看官を欺き作者を蔑如にしぬるあり。是等はいかなる心ぞや。既に去歳の冬も文化中吾旧作なる賽八丈てふ絵冊子の画を更めて恣に翻刻して新板と偽り記ししもの出たりと聞えしかば吾是を詰りて新板の二字を削らせにき。然るを其書肆今茲も亦懲りずまに文化三年丙寅の春出たる吾旧作大師河原撫子話てふ画冊子を又恣に再板して本文の画を減し端像二頁を附増て像賛をさへ書加え詞書をも増減して画は旧刻に由らず事皆恣にして是を新板と偽り記ししを告る者あるにより速に其偽を咎めて云云といはせしかども素より利の為に理義を弁知らぬ烏滸の痴漢なれば只強情を事として亟に承伏せずと聞えたり。畢竟児戯の冊子なれば恁る僻事をせらる丶とも久しく世に胎るべくもあらず。三十五年前の旧作なれば今の婦幼は欺れて新板なりと思ふもあらむ。又吾旧作なる物の本を多く蔵めたる壮佼達はふるしといふとも必知るべし。然るを一時の瞋怒に乗して彼烏滸人の己が自恣傍若無人にて理義も廉恥も弁知らぬにしうねく懲さんは大人気なしと思ひ棄てものせざれども実に是憎べし。彼も此も吾虚名を愆り知らる丶戯墨久くなりぬれば名号をしも誣て売らる丶烏滸の僻言を見も聞もしぬるうるさ丶よ。

 

本伝既に末三巻六回になりにたり。速に局を結びて四方の看官に彼杣木樵る斧の柄の朽しを知せまく欲りす。然らでも老眼衰■目に毛/して編述不如意になりたれば爰に戯墨の筆を絶つべし。嚮に画工佐藤正持が武北の旅舎にて八犬士を画きて贈り来せしに題する歌

 

根はひとつ葉ずゑはやつにおく露のあはにつどひて玉となりぬる

 

粟と安房とは同訓にて盧生が夢は五十年又吾戯墨も五十年只一炊の隙ならで嗚乎久しい哉吾衰へたる。吾夢にすら思ひ寐の腹稿将に尽さまくす。後序に代たる口状は老の諄言ながながしとて飽れやすらむ。已なむ已なむ。

天保十一年陽月

蓑笠漁隠

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

八犬伝第九輯下帙下套之中口絵

 

【縄を手にする潤鷲手古内美容と松明を片手に猪を押さえ付ける振照倶教二弘経】

 

性美而名亦艶汝是佳人後身 愚山人

 

性は美にして名もまた艶、汝これ佳人の後身

 

潤鷲手古内美容うるはしてこないよしたか・振照倶教二弘経ふるてりぐきやうじひろつね

 

【若鷹を見遣る長尾太郎為景と太刀を捧げて控える梶原后平二景純。絵の周りは小鳥】

 

あされともあハてぞかへるわか鷹の夢には何をまつのしけ山■頼のした鳥/斎

 

梶原后平二景純かぢハらごへいじかげすみ・長尾太郎為景ながをのたらうためしげ

 

【座って刀を拭う須々利壇五郎と槍を地に衝いている二四的寄舎五郎。絵の周りは矢と靫か】

 

非是穿兪之鼠輩当為知王之狗党 信天翁

 

是、穿兪の鼠輩にあらず。当に王を知る狗党たるべし

 

二四的寄舎五郎やつあたりきしやごらう・須々利壇五郎すすりだんごらう

 

★狗党は字面からして相当に悪印象で【ごろつき】ほどの意味だが、語感から孟嘗君の多彩な食客を意味する鶏鳴狗盗の狗盗を思い出させる。党はPartyであり一つの旗印の下に集まった集団ぐらいの意味だから、王を知る【狗の仲間】となろう。馬琴得意のダブル・ミーニング

 

【薙刀を手にして座る三浦暴二郎義武を見下ろす三浦陸奥守義同。絵の周りは采と軍配】

 

沖の石をさしあけ潮に影みちてたへなるちなみ{ちからカ}もちの夜の月 半閑人

 

三浦陸奥守義同みうらむつのかミよしあつ・三浦暴二郎義武みうらあらじらうよしたけ

 

★試記:沖の石差し上げ潮に影満ちて、妙なる千波望の夜の月/これも文庫本印刷の都合で読めない部分があるのだが、筆者は写真が趣味で少年の頃は夕焼けだというだけで心切なくなり撮りたくなったものだけれども、海の千波/無数の細波が銅色に輝き且つ暗く落ちる油絵タッチのコントラストは、如何しようもなくアハレなるものだ。千波は美しい。銀には魔を払う力があり貴人の箸には銀箔を施して毒を察知しようとしていた日本なる民俗に於いて、銀なる月は、猥雑なる虚飾を拭い去り、世界を形/影だけにする。千波/細波が形成するグレーと暗黒の小刻み且つ揺らめく模様は、心を固まらせ鏡の如くする。或は己を責め或は自ら励まし、とことん素直にさせる聖なる夜景を詠めば、斯くの如きか。趣味を離れて「ちから」と読めば、天命による力/里見勢が海の向こうから押し寄せ三浦の城を落とす様を写すとも。海族・三浦ゆえに海に縁する歌を詠むか

 

【片手を載せた三宝を手にして立つ河堀殿。手前に「禁札」を持つ箕田源二兵衛后綱。絵の周りは雲】

 

臨難苟不免瓦礫場片玉葱韮中■クサカンムリに恵/蘭 蓑笠漁隠

 

難に臨みて苟も免がれず。瓦礫場の片玉、葱韮中の■クサカンムリに恵/蘭

 

箕田源二兵衛后綱みたのげんじひやうゑのちつな・河堀刀祢かハほりとの

 

【稚児姿の里見次麿実堯と、角隠を着けた山鳩。着衣は藤花模様。絵の周りは各種の貝】

 

も丶あまりやそちめくりに書つめて人に見せぬるゑみのくさはひ 曲亭陳人

 

山鳩やまはと・里見次麿実尭さとミつぐまるさねたか

 

★試記:百余り八十路巡りに書き詰めて人に見せぬる笑みの草這い/馬琴は二百以上の作品をものしたとされるが、七十を過ぎた此の時点でも執筆…口述 を続けていた。十年を単位として七十を超せば八単位目であり、「八十路巡り」と謂うたか。やや卑下した自評

 

 

 

里見八犬伝、一百八十一回、以多歳苦楽将尽稿、因而自賛曰。

知吾者其唯八犬伝歟

不知吾者其唯八犬伝歟

伝伝可知可知、伝可痴可知(上ノ伝以下十一言読以音)

敗鼓亦蔵革以傚良医

辛丑孟春

七十五翁蓑笠又戯識

 

里見八犬伝。一百八十一回、多歳の苦楽を以てまさに稿を尽くさんとす。よりて自賛して曰く、

吾を知る者は、それただ八犬伝か。吾を知らざる者も、それただ八犬伝か。ででかちかちでかちかち(上の伝以下十一言は音を以て読む)

敗れ鼓もまた革を蔵して良医に倣う。

辛丑孟春

七十五翁蓑笠また戯れて識す

 

★「吾を知る者は、それただ八犬伝か」余りにも有名な馬琴の詠嘆である。此の句を聞けば、或いは「孟子」巻六縢文公章句下「世衰道微邪説暴行有作臣弑其君者有之子弑其父者有之孔子懼作春秋春秋天子之事也。是故孔子曰知我者其惟春秋乎罪我者其惟春秋乎」を思い出す人も多いだろう。史記世家伝の孔子条にも、同様の台詞はある。そしてまた「第五才子書施耐菴水滸傅卷之一」の「聖歎外書序一」には、「無聖人之位則無其権、無其権而不免有作、此仲尼是也。仲尼無聖人之位而有聖人之コ、有聖人之コ則知其故、知其故而不能已於作。此春秋是也。顧仲尼必曰知我者其惟春秋乎罪我者其惟春秋乎」がある。ちなみに「孟子」は「(呂氏/春秋」を孔子の作としているが、現在では否定されている。さて、史官を務めたこともあるという孔子は周時代の歴史を描いた春秋に惚れ込んでいたようだが、それは偏に、春秋が人の世の理を教えているかのように思ったからだろう。当時の状況を幼稚なパワーポリティックスで分析することも当然、可能だ。力強き者が克つ。当たり前のことだ。力強き者とは例えば巨大な軍備を有つ者だが、何故に巨大な軍備を有つに至ったかといえば、天然自然気候資源災害など地の利も影響するけれども、物理的条件を同一対照とすれば、より多くの人の心を集めた者が強くなる。より多くの人の心を掴むためには例えば物資の豊富な分配も有効だが、これとて物理的条件を同一対照とすれば……と唯物的に論を重ねると独り【人のココロ】そのものの理コトワリが残る。確かに現在の世界には多様な価値観が存在する。価値観とは、ココロの形とも言える。そして世界は前提として各地各所で物理的状況を異にする。「価値観が違う」と聞けば人のココロの在り様が、個々人で全く根本を異にするかの如く思えたりするけれども、実は置かれている物理的状況にココロの表層が影響されて多様な変態を示しているに過ぎず、根本たる所の者は、実は人によって代わり映えする程の差がないかもしれない。そして、根本とする所のものは、「善」もしくは「仁」かもしれない。此の「かもしれない」を極端なまでに信じ切り断定すれば、孔子の一丁上がり、となろうか。衣食足って礼節を知る、とは論語にある句だ。上記の如く考えるとき、初めて史家は過去を見詰める勇気を得る。時を共有する個体間でさえ表皮によって絶対的に隔絶されている。いわんや時空を越えて、人は人を理解することが出来るのか この単純素朴な不安を払拭するための信念が、史家の最低条件であり、孔子には孔子流の信念があったのだ。当時の史書には、冷徹なパワーポリティックスによって強き者が弱き者を虐待する様がテンコ盛りだ。が、そのような中にあって一部の者は理想を失わずに苦闘し、そのうち一部の者は権を握り平和な時代を築いた。背後に無数の挫折が隠されてはいるが、ごく一部でも挫折を乗り越える者がいた、その存在証明が、当時の「史」であったように思う。愚かさも弱さも散々に書き連ねつつ、【人】には理想を抱く力もあると主張する者こそが、「史」であった。孔子にとっては「春秋」の描く「理想」が、趣味にピッタリ合致したのだろう。言い換えれば、孔子の「理想」そのもの、現実的な状況/環境をも含めて描いた者が、「春秋」であった。故に初めて、「理想」たる「春秋」のみが、孔子を「知り」そして「罪する」ことが出来る。これは、馬琴に言わせれば、八犬伝をはじめとする「稗史」に庶い。通念としては、「史」は客観性をもたねばならぬ。このことは、近世でも同様である。実現していたか否かは全く別の話だが……。事実を理想に則って選択・強調したものが孔子の「春秋」なら、理想に則って事実を創作・捏造・歪曲することが馬琴の「小説/稗史」であった。では、馬琴の詠嘆、「知吾者其唯八犬伝歟不知吾者其唯八犬伝歟」は、八犬伝が馬琴の理想そのものであると言っているのか。……そんなワケがない。孔子の場合は、自分の理想と「春秋」がピッタリ合致したからこそ、「知我者其惟春秋乎罪我者其惟春秋乎」なんである。自分を理解しているだけでなく、自分が理想を外れたときには罪する/引き戻すことさえ出来て、はじめて【ピッタリ合致】していると言える。孔子の場合は、自らの【枠】が「春秋」と合致しているからこそ、其処から出られない。此の過剰な【自律】こそ、孔子が「聖人」たる所以だ。しかし馬琴の場合は、「不知吾者其唯八犬伝」との後半がある。即ち、馬琴の【枠】は八犬伝を軽々と超えている。……それにしても変だ。それまで馬琴は本文で或いは序で、八犬伝は「婦幼」の為に掲げる理想の光だと何度も口角泡飛ばす勢いで述べている。にも拘わらず急展開し、「まぁ世の中、八犬伝みたいには行かないわな」みたいに言われたんじゃぁ、読者は良い面の皮だ。鯱張って高論を長々と捲し立てた挙げ句に、「……って、みぃんな嘘!てけってってってん」とヒョコヒョコ退場しようと言うのか、七十五歳翁・馬琴。そうではない。先立つ「第九輯下套下」序で馬琴は、先立った息子・興嗣の詩を載せている。「休向世間訴不平…」だ。此の詩自体は八犬伝に向けたものではないが、馬琴には「小説に昇華して高い評価を受けてるけど、結局は世の中に拗ねてるだけじゃん。近所に友達も居ないし」ぐらいに聞こえたんだろう。心当たりがあったに違いない。老境に至り、漸く大作の結局が近付いた。友人たちは世辞にも誉める言葉を贈って労ってくれている。旧友は、是非とも自分の句を掲載してくれと擦り寄ってくる。頑固爺も得意になっただろう。其処に「世の中に拗ねてるだけじゃん」。口走った者は、若死にした息子である。目の前にいるなら親子喧嘩して日記に怒りをブチ撒け終わったかもしれない。が、死者は絶対的存在である。裸の王様が、七十五歳にもなって裸にひん剥かれたことを悟ったら、心中如何ばかりか、察するに余りある。……「休向世間訴不平」の詞はテクストに過ぎない。「世の中に拗ねてるだけじゃん」、此の答えは馬琴の胸中にこそあった。八犬伝で理想を描いた馬琴は、理想と相反するモノをも包含してしまっている馬琴だ。「知吾者其唯八犬伝歟不知吾者其唯八犬伝歟」である。私は馬琴を「世の中に拗ねてるだけじゃん」とは思っていない。人には、それぞれの才能/得意分野がある。馬琴は革命屋ではない。しかし現実の矛盾/人のココロからの乖離を鋭く衝いていることこそ、馬琴の才である。これは他の何人も能く成し得なかったものだ。馬琴、あんまり自分を責めるんじゃぁないよ……と筆者も「稗史/事実の捏造」を気取ってみた。てけってってんてん。失敬

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百六十七回

 

「奔馬北るを逐て犬江暴雛禽を籠にす再戦場に親兵衛五知己に会す」

 

【馬に乗りつつ片手で騎馬の長尾為景を捕らえる親兵衛】

 

親兵衛馬上に為景を擒にす

 

為かげ・しん兵衛

 

★勇力少年同士の対決により親兵衛の値打ちが強調される。ちなみに為景は景春の嫡子とされているが、史実では恐らく越後長尾家、能景の息子であった為景であった。主家ともいえる関東管領山内上杉顕定を敗死せしめた人物である。景春は主家に反抗して関東を戦国状態に陥れた人物であるが、為景も越後で下克上人生を突っ走った男であった{とはいえ守護代だけど}。

箙大刀自は史実に編入した場合、越後長尾重景あたりの妻と思しいが、だとすれば為景の祖母に当たる。景春は越後長尾ではなく白井長尾氏なんだが、八犬伝で箙大刀自は景春の母親であるから、史実の白井長尾と越後長尾が合併してしまっている。史実の越後守護代である長尾能景は存在を無視され景春に取って代わられている。馬琴は恐らく下克上繋がり、周囲を戦国状態に陥れるとの共通項を以て、長尾景春と為景を親子関係に設定したくなり、其れが故に越後長尾家と白井長男家を合併してしまったのではないか。また、箙大刀自が越後守護代長尾為景の祖母とすれば、即ち上杉謙信の曾祖母となる。謙信{長尾景虎}は為景の二男であった。ちなみに八犬伝に登場する甲斐の名君、武田信昌は武田信玄の曾祖父に当たる。戦国の両雄の曾祖父母が八犬伝に登場し、共に英傑として描かれていることになる。旭将軍源義仲の愛人で武勇に優れた巴御前が、義仲の死後は尼となって越後で過ごしたとの伝説はあるし、何と云っても越後には板額御前もいた。越後は何かと勇婦と縁が深い

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百六十八回

 

「三陣を衝突して霊豬再功を奏す旧恩を報答して戍孝前言を全うす」

 

【体長四メートル程もあろうかという猪が跳ね回っている。狂ってはいるが嬉しそうな目。画面を囲む雲気の中、朧に天女姿の伏姫。連合軍側兵士が突き飛ばされている】

 

霊猪二たび神力を見す

 

なりうじ・伏姫神霊

 

【馬上で弓を握った信乃。房八を顕彰する幌。新織帆大夫素行が背を射られて仰け反っている。横堀史在村は懸命に馬を走らせて逃げる】

 

征箭を飛して信乃怨を復す

 

しの・もとゆき・あり村{信乃の衣布に「義士山林房八之紀」}

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百六十九回

 

「野坑を擡出されて親兵衛賜を受く風葉を帚除して諸勇士立談す」

 

【穴から雲気が湧き、親兵衛が青海波に乗ったまま迫り出されている。騎馬の信乃が、折り重なって俯せに倒れている梶原後平二景澄と荻野五九郎泰儀を槍で突こうとしている】

 

底不知野に信乃親兵衛を救ふ

 

しん兵衛・やすのり・かげすミ・しの

 

【親兵衛が信乃の前に座り節刀を押し頂いている。信乃の背後に田税逸友・杉倉直元・現八が控えている。左右には真間井樅二郎秋季・枝独鈷素手吉・漕地五十三太・次団太・鮒三・須々利壇五郎・二四的寄舎五郎・直塚紀二六・姥雪代四郎・政木孝嗣。代四郎の横顔が嬉しそう】

 

信乃松下に君命を親兵衛に伝ふ

 

すて吉・じだん太・いさん太・鮒三・あきすゑ・しん兵衛・しの・たかつぐ・よ四郎・はや友・きじ六・きしや五郎・なほもと・げん八・だん五郎

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十回

 

「神薬施し得て敵兵再生す現八箭を抜て水死の将を活す」

 

【悩ましげな表情で気絶している美少年の扇谷上杉朝寧の顔を現八が覗き込んでいる。傍らを千鳥が縦隊飛行】

 

箭斫川に現八敵将を■医のしたに巫/す

 

かこ・げん八・ざふ兵・水死の武者・ざふ兵・かこ

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十一回

 

「神変を操りて伏姫猶子の初陣を華やかにす旧君に謁して信乃父祖の忠義を詳にす」

 

【夜の稲村城内。ブルドッグの如き頬の足利成氏が胡座を掻いて座る。信乃・現八・親兵衛が対面している】

 

成氏擒になりて夜三犬士に吊慰めらる

 

げん八・しん兵衛・しの・なりうじ・けいごの武士・けいごの武士・けいごの武士

 

【国府台から稲村へ見参する途中、今井柵に立ち寄り荘介・小文吾と対面する親兵衛。親兵衛の隣には政木孝嗣。前髪姿の満呂再太郎信重が杯を台に乗せ給仕している。傍らに安西就介景重。大樟俊故・満呂復五郎重時・鮒三・次団太・須々利壇五郎・二四的寄舎五郎。中央にある大火鉢の脚は獅子】

 

親兵衛孝嗣等を領て今井の柵に造る

 

なり介・としふる・しげとき・小文吾・鮒ざう・さう介・たかつぐ・じだん太・だん五郎・しん兵衛・きしや五郎

 

★真面目腐った親兵衛に対面している小文吾の表情が戯けているようで変。何やら以下の如き光景が浮かぶ。

「ふぅん、で、政元には、どんな事されたんだ」「え 何も……」「うっそだぁぁ。妙に艶っぽくなっちゃってるぞぉ。正直に云っちゃいなよ、姦ったんだろ」「してませんっ!あんな変態と、なんでしなきゃイケナイんですかっ」「変態だから、親兵衛と姦りたがったんだろ。青少年保護条例違反だぞ。まぁ良いや。じゃぁさ、広当とは 」「将曹さまとは……」「そぉか、してないんだな。解った。じゃぁ広当が勅使代として来たとき、親兵衛はオマエなんかと姦ってない、あんな奴と姦る筈がないって云ってたぜ、と伝えてやる」「や、やめて下さいっ」「やぁい、真っ赤になってやがるぅぅ」「叔父ちゃん、怒りますよっ」「へへぇん、信乃に云ってやろ。親兵衛が京都で浮気してきたって。けけけけけっっ」「叔父ちゃん、何でもしますから、それだけは……」「ぐふふぅぅ、何してもらおぉかなぁ」

みたいな表情なんである。小文吾は、性格が悪いわけではないが、理念上、犬士の末弟として設定されている筈なので、幼稚さを残しているのではなかろうか

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十二回

 

「定正水路に大兵を行る音音江中に一船を焼く」

 

【軍船が燃えている。雑兵が海に転げ落ちている。仁田山晋六武佐も船縁から身を乗り出し火炎を避ける仕草。白波を掻き分け音音が泳ぎ去ろうとしている】

 

音音身を殺して仁田山が柴薪船を燔く

 

おとね・しん六

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十三回

 

「数艘を借て大角義武を■テヘンに圭/ゆ降旗を建て豊俊定正を愚にす」

 

【新井城内の座敷。床几に腰掛けた三浦義同と畳に座った大角が対面している。隣の部屋で前髪姿に鉢巻きをした三浦義武が様子を窺っている】

 

大角謀て艨艦を借る

 

よしたけ・大かく・よしあつ

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十四回

 

「万里一水道節小仇を射る八百八人毛野大敵を鏖にす」

 

【小幡木工頭東良が海に落ちた兵を槍で突いている傍らに九本仏九郎望洋。里見方は比較的小さな舟で押し寄せている。手前に軍師らしく軍配を握った毛野。隣の舟に千代丸図書介豊俊・小森但一郎高宗・浦安牛助友勝。奥で道節が矢を放った様子。前方で背を射られ仰け反る扇谷上杉式部少輔朝寧。隣に白峰麻生介広原の舟。先に進む舟に箕田源次郎后綱。扇谷上杉定正・大石源左衛門尉憲儀。道節の奥に荒川清英・印東明相】

 

道節恋戦して朝寧を射る

 

きよひで・あけすけ・友かつ・たかむね・どうせつ・とよとし・けの・すゑもと・はるよし・もちうミ・のちつな・ともふさ・ひろもと・定正・のりしげ

 

火攻の功成て毛野又東良を虜にす

 

★此の場面の毛野は、ちょっぴり源九郎判官義経が入っているようだ。弓を流すか、八艘を跳ぶか

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十五回

 

「南弥六霊を顕して子を祐く礼儀時を失ふて時に為すこと有り」

 

【舟の上で戦う磯崎増松有親。鬚モジャの錦帆八四九郎近範に斬り掛かっている。菫野阿弥七が横でひっくり返っている。増松の背後に薄墨で描かれた荒磯南弥六。奥の舟では天津九三四郎と水禽隼四郎緑林が戦っている。椿村墜八は船底に刀を衝いて弱っている】

 

増松勇を奮ふて両勍敵を撃

 

おち八・はるしげ・くさ四郎・あミ七・ちかのり・まし松・なミ六霊

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

第百七十六回

 

「禍福反覆して三士功を同くす追兵屡逼りて忠臣主を拯ふ」

 

【新井城攻防戦。騎馬の大角と堀内雑魚太郎貞住が兵を率いて囲む。城内に三引両の幟。隅櫓から三浦義同・草占八郎/苫屋八郎景能・勇無頭九郎/田税戸賀九郎逸時が顔を覗かせている】

 

義武を擒にして大角新井の城に逼る

 

貞住・大角・よしたけ・むづ九郎・よしあつ・八郎

 

【騎馬で争う巨田薪六郎助友と道節。助友は太刀、道節は槍】

 

河崎河原に道節大に助友と戦ふ

 

すけとも・道節

  

 

→Next
←Prev  
→栗鼠の頬袋_Index
→犬の曠野_Index
→旧版・犬の曠野_Index