南総里見八犬伝第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評

 

稗官野史の言風を捕り影を逐ふ。架空無根、何ぞ世の人に裨益あらん。其要は只春の日に独坐の睡魔を破るべく秋の夕に寂寥の鬱陶を■翳の羽が巫/すに足るのみ。是をもて漢土に斉諧異苑の二書あり。国朝に浦嶋子伝続浦嶋子伝あり。便是和漢小説の鼻祖戯墨の嚆矢といひつべし。是より以降彼も我も其才に匱しからず。宇都保源氏物語の艶にして且花多かる水滸西遊記の奇くて且巧なる其文絶妙句句錦繍寔に是稗史の大筆和文の師表なるものから只其足ざる所をいはば源語は事皆淫娃に過て反て勧懲に詳ならず。水滸は勧懲隠微にしてよく是を悟る者なし。うち見は強人の義侠に過ずぎ。是も亦惜むべし。其大柢を知るも知ざるも又善読得ぬるも読得ざるも南倍■低のツクリ/戯墨を事とせる己が如き曲学者流は皆其顰に倣まく欲りして糟を舐り垢脂を拈る、和漢今昔幾人ぞ。其才あるは骨を換胎を奪ふて傑出なる大筆殆世に罕にて多かるは其骨を換ず胎を奪はで■クニガマエに勿/■クニガマエに倫のツクリ/呑なれば似て非なる者武を接ぐ、今に至て衰へず。蓋其筆の遠祖、伝へて稗史物の本に聖なる所以にあらずとせんや。抑古昔の文人才子の稗史物の本を作り設るに必古人の姓名を借用して胡意其事を異にす。譬ば源氏物語の光君竹採物語の赫奕姫{昔赫奕姫といふ美女三人あり。詳に吾放言に載たり。見るべし}。水滸伝の宋江等三十六人及彼晁蓋高■ニンベンに求/等西遊記の三蔵法師曲曲にいふまでもなし。足ざる者は意匠もて作り設て要に充つ。未生の人も亦多かり。水滸伝なる地殺七十二人西遊記なる孫悟空■コロモヘンに楮のツクリ/悟能沙悟浄及諸魔君の如し。毛挙るに遑あらず。

 

又憶ふに稗史は胡意其歳月を具にせず。是将作者の用心にて正史と同じからざるを示すなり。然ば本伝に名を出しし北条長氏の事などを見て思ふべし。彼長氏の伊豆より起りて小田原なる大森実頼を伐走らして其城に拠りしは明応三年の事にて本伝に所云文明十五年より一元十二箇年後なり。然るを本伝には当時の事とす。況安房の里見氏の山内扇谷の両管領と兵を構し事などはあるべくもあらず。か丶る事猶多かり。しかるに本伝の正史に合ふ処はさらなり作設けし条にも年号をしるししは本意に違ふに似たれども只看官の与に某の事は某の年より某の年までと意識の栞に做ししなり。然るを柱に膠せる者は虚実の間に遊ぶを知らで世を誣し俗を惑すとて憎み論ずるは腐爛に庶かるべし。毛鶴山が琵琶記の評に其伝奇なる蔡■邑に温泉湯気みっつ/にして後漢の蔡■邑に温泉湯気みっつ/にして後漢の蔡■邑に温泉湯気みっつ/にあらず、おのづから是別人なりと見るべしといひしは、婦幼の疑ひを解くに足る老実者の言に似たり。只琵琶記の蔡■邑に温泉湯気みっつ/のみならず西廂記なる鶯鶯の類伝奇にも多くありて古人の姓名を借用しぬる者此間の能楽降りて歌舞伎浄瑠璃本の如し。看官誰か実事とせんや。明の謝肇■サンズイに制/がいへらく、今の人稗史小説を見て其年紀事実の正史に合ざるあれば云云といふ者あり。かくの如くならんには正史を読に不如。其事の実に過ぎたるは閭巷の小児を悦するのみ。士君子の為に道に足らずといへり。寔に是扈言なり。

 

しかるに近属雄飛録の作者其書の中に本伝の実録と年紀合ざるを咎めて甚しく誹りしを予は烏滸しく思ひしのみ。歯に掛るに足ざれば当時解嘲に及ざりしを今思ひ出ければ筆の次に聊い鮒り。然れば上に解く如く本伝なる里見父子並に八犬士てふ善士等は昔の里見氏にして昔の里見氏ならず。昔ありける八犬士にて昔ありける八犬士ならず。且本伝の歳月も則昔の歳月にて亦是昔の歳月ならず。いはでもしるき架空の言、畢竟遊戯三昧にて毫も世に裨益なし。這裨益なき技に幾春秋の意匠と倶に多く人工を費して老の至るを知ずやありけん。本伝都て百七十回、杖にはならぬ筆ながら只旦暮につくづくと幾遍物をおもへども思ひ難つ丶脚曳の山鶏の尾のしたり尾の、したり貌なる長物語は烏滸がまし。この烏滸人の烏滸のすさみにあなれども欲するよしは善を勧め悪を懲しつ世間に教ならして頑なる女子童蒙翁媼達の迷津の一筏にもなれかしとての所為なれば戯墨に筆を把り初ける。吾少壮の昔より懋て久しうなる随に六史九経女教女訓の貴きを手にだも触れず聖教賢晦の忝きを夢にだも知らぬ婦女子の予が綴れる物の本をのみ好て読こと年来になる儘に稍仁義八行の人身に在る道理をも不義隠■匿に心/の身を亡す所以をもおのづからに弁知りて近隣き人の女の子輩に教るまでになりにきとて其歓びを人伝に云云といはれしことあり。こは切てものことにして本意に称ひぬ。さりながら世の諺に云鰯の頭も深信によればなるべし。然ば是等の人の為に猶諄反して解くべきよしあり。

 

大凡稗史物の本に古人の姓名を借用するは上にもいひしことながら昔の孝子順孫忠臣貞女を誣て悪人に作り易べからず。其善悪を転倒せば縦新奇といふといへども勧懲に甚害あり。譬ば本伝なる金碗八郎孝吉は故君の為に怨を復して且二君に仕へず自殺しける義烈の士なり。又山林房八は身を殺して仁を為しし義侠の良民なり。倶に未生の人なれども是等を弑逆窃盗の大悪人に作り易られんは予が甘ぜざる所なり。稗史伝奇の果敢なきも見るべき所は勧懲に在り。勧懲正しからざれば■ゴンベンに毎/淫導欲の外あらず。或は善人不幸にして悪人の惨毒に死辱を曝す事なども作者宜く憚るべし。こも勧懲に係ればなり。因て意ふに和漢今昔学得たる奇才子あり。未君子の大道を得聞ざる才子あり。其才は是一なれどもいまだ学ばず又思はず遂に君子の大道を知ずして勧懲正しからん事は最難しともかたかるべし。

 

この故に予常にいふ。この故に予常にいふ。唐山にて大筆なる稗史の作者は皆能学得て君子の大道を知ざるはなし。■しか/るに其稗史中に淫奔猥褻の段間これあり。見て悟らざる者は作者時好に媚て這醜情を写したりとのみ思へり。豈然らんや、しからんや。其淫奔なる者は残忍兇悪の男女にして善人にはこの事なし。譬ば水滸伝に武太郎の妻潘金蓮が西門啓と奸通の醜態を写し又揚雄の妻潘巧雲が裴如海と奸通あるが如し。潘金蓮潘巧雲西門啓裴如海等は毒悪惨刻罪死を容ざる■ケモノヘンに竟/■号に鳥/虎狼の大悪人なり。這姦夫淫婦等が不義の淫欲に■身に耽のツクリ/りぬるを看官羨しく思はんや。便是勧懲に係る所後の姦淫を戒る作者の隠微を猜すべし。是よりして下冷山平燕を師として才子佳人の奇遇を作り設たる者近日舶来の小刻に特に多かる。好逑伝柳鶯囀の如きは僂尽すべくもあらず。孰も相似て時好に媚ざるにあらねども然しも只其真情を写して淫奔猥褻なる筆を要せず。則是本伝なる信乃と浜路の情態を見て思ふべし。其情態に好人と歹人の差別あるよしは又本伝なる籠山縁連と船虫と竹林巽と於兎子の如し。皆是水滸に潘金蓮西門啓等を作り設てもて邪淫の戒になしし心操に同じ。況や美少年録なる陶朱之助が荒淫の甚しきを予が筆には似げなしと看官思はば予が本意にあらず。那朱之助は後に陶晴賢と成登るべき弑逆の大悪人なり。他が少年なりし時淫奔なるを羨て誰か晴賢たらんことを願ふべき。是も亦勧懲に係るよしあるを思ふべし。只善にもあらず悪にもあらぬ貴介の公子閨門の麗人及び市井の男女の闕隙を鑚り相援きて野合の淫楽の痴情を宗と写す者は■ゴンベンに毎/淫導欲ならざることを得ざるべし。そは予がせざる所なり。

 

昔孔子の詩を削るや、猶淫娃の詞を遺して芟も尽さざりけるは後の戒を垂る丶なり。又心誅の文法をもて春秋を作るに及びて乱臣賊子は怕れしと云。果敢なき稗史物の本なりとも、学問の余力もてせる真の作者はこの心操を見すもありけり。しかるに本伝なる定正顕定成氏の如きは皆暴悪暗愚の君ならぬも酷く貶して作り做ししを看官訝しく思ふもあるべし。彼定正顕定は其先世に主君持氏を弑し且乱世の蔽に乗して京都将軍の命令をもて持氏の幼息春王安王を生拘り害して且故君の職を横領しける不義逆悪の行ひあり。定正顕定は其児孫として大職を承続ぎながら徳を脩めて先世の罪を償まく欲せず屡成氏を攻伐走して君臣順逆の義を見かへらず剰扇谷定正は最後に仇の誣言を信容れて持資入道道灌を誅ししより兵権いよいよ衰へて子孫凋落せざるを得ざりき。こ丶をもて本伝には貶してもて愚将とす。又成氏の如きは冤家の為に立られながら時務を知ず、叨に憲忠を誅して鎌倉を追出され滸我に移りて其城をも顕定に攻破られて千葉に寓居したれども仁義をもて家を興すことを知ず。先父持氏の弑逆に逢るは乃祖尊氏の下剋上の余殃なるを悟らざりしは不賢なり。こ丶をもて貶たり。意衷は清の逸田叟が女仙外史に所謂春秋心誅の筆に倣ふといはんは烏滸がましかるべけれども、この余も本伝に褒貶あり。そは知る人ぞ知るべからむ。

 

又本伝に経文聖教を雑識ししを人或は訝咎めて物の本にはあるべくもあらぬに、かくては経文聖教を慢侮しぬるか僻事なりとて嗤ふ賢もあるならば、そは予が志と異なり。本伝は新奇の小説なれども其仁義を説き善悪を弁ずるに至りては虚実の二あるべくもあらず。いまだ四書五経を一語一句も学得ざる婦幼も本伝を愛読序に肇て其経文聖語の尊きを知るよしありて且感じ且悟りて学びの道に志す人しもあれ、と思ひぬる。只是老婆親切もて言儒経にすら及びたり。なでふ聖語を慢侮せんや。用捨は看官の随意なるべし。

 

時己亥の秋■サンズイに七したに木/月著作堂の南窓に静坐して本伝の作者みづから評

 

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南総里見八犬伝第九輯巻之三十三口絵

 

【安西就介景重が小さい壷を手にして波打ち際に立つ。人魚の膏でも入っているのか。水際に人魚。肩から上は人間の女性であるが、乳房が胸鰭となっている。胸より下は鯛か鯉の如き。絵の周りは波、と云っても規則的な青海波】

 

賢童在里巷貝宮莫佳人

 

賢童は里巷に在り、貝宮に佳人なし

 

安西就介景重あんさいなりすけかげしげ・人魚にんぎよ

 

★本朝列仙伝巻三「白比丘尼(神社考)」に「若狭ノ州ニ白比丘尼トイヘル尼アリソノ父ハシメ。或山中ニイリテ。仙人ニアヘリ。トモニアルトコロニツレタチユケハ。人間ヲヘタテシ。別ノ世界ナリ。仙人トキニ。一物ヲアタヘテイフヤウ。コレハ人魚ナリ。コレヲ食スレハ。命ヲノヘテ。老ズト。父ウケテ家ニカヘリ。衣服ヲキカヘケルトキ。女ウケトリナヲストテ。袖ノ裏ヨリ。人魚ノヲチタルヲ見テ。スナハチトリテ。コレヲ喰ケルガ。ツイニ長生シテ。四百余歳ノ寿ヲ得タリ。世ニコレヲ白比丘尼トイヘリ神社考ニ。人魚ヲ肉芝かと評せリ。肉芝トハ千歳イキタルヒキカヘルノコトナリ。ソレニハカシラニ。角ヲ生ジ。腹ニ丹色ナル文字ソナハレリ。コレヲナヅケテ。肉芝トイ鮒リ。ツ子ニ山中ノ精気ヲクラヘルモノナリ。人若コレヲトリテ。食スレバ。仙人ニナルナリト。抱朴子トイフ書ニイデタルヲ。本草網目ノ蟾蜍ノ註ニ引タリ。昔妃■羽のしたに舁の臼なし/トイフ人。西王母トイヘル仙女ニアフテ。長生不死ノ薬ヲ得テ。カヘリケルヲ。其妻嫦娥トイフ者。ヒソカニヌスミトリ。コレヲ服シテ。ツイニ飛行自在ノ仙人トナリ。月宮殿ニ飛入シト事文類聚前集巻之二ニ見ヘタリ。白比丘尼ガ。ヒソカニトリテ食シタルモ嫦娥ニコトナラズ」とある。なお、貝宮は所謂【竜宮城】。「文妖」と呼ばれた元末江南の詩人・楊維禎の「龍王嫁女辭」に、「小龍啼春大龍惱、海田雨落成沙炮。天呉擘山成海道、鱗車魚馬紛來到。鳴鞘聲隱佩鏘琅、■王に橘のツクリ/姫玉女桃花妝。貝宮美人笄十八、新嫁南山白石郎。西來態盈慶春婿、結子蟠桃不論歳。秋深寄字湖龍姑、蘭番廟下一雙魚」とある

 

【弓矢を握った武田信隆が空を見上げる。鳥が御教書を銜えて運んできている。櫂を手にした磯崎増松有親が腰簑と一体化した藁の具足を身に纏っている。絵の周りは波、と云っても菊花や片輪車が浮いていそうな波紋】

 

友はみなつはさをさめてねる小田にあたもる雁のひとりさかしき ■頼のした鳥/斎

 

武田左京亮信隆たけたさきやうのすけのぶたか・磯崎増松有親いそさきましまつありちか

 

★試記:友は皆、翼収めて寝る小田に、仇守る雁の独り賢しき/一旦は関東連合軍の呼びかけに応じた武田信隆が実は里見に寝返る意図を秘めていることを示すと同時に増松の父・南弥六が偽清澄の首級を提げて蟇六に降り暗殺を期した孤忠を暗示する。悪に対する【裏切り】は戦術/方便として認められるとの倫理観を示している。ちなみに、八犬伝では善悪ともに「間諜」を使う。信乃のもとへ送り込まれつつも却って信乃のために働くカウンタースパイ/荘介が代表か。則ち馬琴/八犬伝は、間諜を倫理に悖るものだと考えていないようだ。理想だけで治安は守れないと考えた、新井白石にも通じる、合理的な政治道徳である

 

【狐の面を手にして見得を切る天岩餅九郎。毛深い。鉄砲を手にする東峰萌三春高と十手を口に銜え捕縄を手にする小湊目堅宗。絵の周りは菊】

 

野狐香餌斃何待犬牙傷

 

野狐は香餌に斃る。何ぞ犬牙に傷らるるを待つか

 

小湊目堅宗こみなとさくわんかたむね・東峰萌三春高とうみねもえざうはるたか・天嵒餅九郎あまいハもちくらう

 

★野狐香餌斃は政木狐の夫が鼠の胡麻油揚げに釣られて殺されたことを云うか。狂言「狐釣り」にある如く、近世には、狐は知性をもちながらも、罠の餌に強く惹かれ葛藤を生ずると設定されていたと思われる

 

【朝時技太郎の刀を踏み付け額を十手で打ち据える鱆舩貝六郎繁足。技太郎は毛深い。絵の周りは土筆と松葉か】

 

たちもせめなかすはありと人しらし山ほと丶きす雪のしら鷺 愚山人

 

鱆船貝六郎繁足たこふねかひろくらうしげたる・朝時技太郎あさときわざたらう

 

★試記:立ちもせめ、鳴かずば在りと人知らじ、山不如帰、雪の白鷺/飛び立つならまだしも、鳴かなければ在ると人は分からない、山不如帰や雪に紛れる白鷺は、間諜を歌う

 

廉吉彫ユ之

 

【合羽姿の大石憲儀と仁田山晋六。豪雨。憲儀の傘は風のせいか裏返っている。晋六は笠を翳し一つ巴紋入り提灯を持つが何故か顔に隈取り。絵の周りは雲】

 

勁風盪艦甘雨洗干

 

勁風艦を盪し、甘雨干を洗う

 

仁田山晋六武佐にたやましんろくたけすけ・大石源左衛門尉憲儀おほいしげんざゑもんのぜうのりかた

 

【籠鞠でもする気か遊具を持ち座位の天津九三四郎と立位の貌姑姫。着衣の紋は宝珠など。絵の周りは梅花】

 

せんあくの池の無何有にゐつ岡を貌姑射の山と箱鳥そなく 著作堂

 

天津九三四郎員明あまつくさしらうかずあき・貌姑姫はこひめ

 

★わかあしの池の無何有にゐる岡を貌姑射の山と箱鳥ぞなく、とも。箱鳥は郭公だが、世間知らずの箱の中の鳥/貌姑姫を指すのだろう。貌姑射山は仙境。世間知らずの者は、大したことないモノでも、絶対的存在だと感じてしまう。興味深いことは、貌姑姫も河堀殿も、伏姫や音音ほど明らかな正義感を見せないが、悪役としては描かれていない点。犬士に多大な迷惑をかける箙大刀自さえ、馬琴は完全な悪役としては描いておらず、【許容できる愚かさ】ほどの扱いに止めている。一般に、女性で目立つ悪役は玉梓・船虫・亀篠・夏引ぐらいのもので、この四人だけが応報されている。裏を返せば、「応報」が完全な悪役か否かの境界線となる。別に馬琴が、頗るつきの女好きで甘い態度をとりたがる暗愚の男であったとも思えない。女性に甘いというよりは、恐らく根拠もなく何となく、女性なる抽象的な概念に対して暗黙の信頼/甘えを寄せていたのではないか。……もぉ馬琴ちゃんったら、甘えん坊なんだから!

 

ホリ百次郎

 

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自評余論

 

或云近曾文人の好事なる江戸を東都と書て是に国字を施してアツマノミヤコと読せたるあり。遮莫みやこは皇居の地をいふべし。武蔵は古より皇居の地にあらぬに、みやこと称するは仮事なりと云国学者流の弁論あり。そは翁も知れるなるべし。然るを翁の作れる物の本毎に東都曲亭云々と録したり。こも仮事にあらずやと詰れるに予答ていへらく然なり、皇居の地をみやこと称するはみやところ{宮所}の略省なり。是に都字を借用したるは漢土にて天子の居る所を都といへばなり。か丶れども都の字義は猶多かり。正字通に天子所居曰都又十邑曰都又邑都名相通周礼距国五百里為都又総也聚也皆也歎美辞也凡言倶者曰都又麗也濶也と注したり。学者の知る所なれば具にせず。只其要を摘むのみ。是に由てこれを観れば和漢其差あるものから都の和訓みやこのみならずスベテといふにも用ひたり。すべては則都会の義なり。然ば東都と書てアツマノミヤコと読するこそ仮事なりといはれけめ。己は東都を字音にて則是トウトと読て東の都会といふ義に用ひしなり。かくはいへども唐山に東都西京の称呼あり。又天朝にて中葉より南楽を南都としもいへば東都を字音の随に読むとも都をみやこの義なりと思ざる者なからんや。然るを都会の都とすなるは牽強傅会なりといふ理論あらんか知らねども其頭の論議は物によるべし。抑吾作れる物の本は皆是無根の小説にて面正しくもなき技なれば作者の本貫を録するに胡意江戸といはずして則東都と称したり。この故に名号も曲亭主人と自称して玄同■頼のしたに鳥/斎としも云一二の雅号をもて著さず。予が別号のいと多かる其が中に馬琴曲亭の二称は始よりして戯墨にのみ用ひ来れる賤号なり。名号にすらこの用心あり。地名にも亦この心なからんや。ある人などて猜せざりける。予が編集玄同放言この余も真面目なる随筆には必姓名を見はして則江門と録したり。敢請世間億兆の君子物によりて予が用意にこの差別あるを思ふべし。吾少かりし時愆て只この一技に羈されしより名利の奴になりぬべき名の不可を今悔て及ばず。既にして痛く老たり大部かくの如き物の本を二たびは作りかたかるべくかばかりの事だにも今この或問微りせば後の人吾用意を悟らで必論するもあらんと思ふばかりに自評と倶に又この編を附記してもて後の譏嘲を解まくす。多弁は徳の害なりといふ文中子の為には恥べし。

 

○前板{第九輯巻の二十九、百四十六回より巻の三十二第百五十三回まで}五冊にも亦校訂の遺漏あるべしとは思へども今この五冊を稿じ果るまで前板いまだ彫尽さず才に一二冊成を告しを倉卒に披閲しぬるのみ。何ぞ今再訂に由あらん。そは又後板巻の三十六第百六十二回の簡端に録すべし。

自評余論終

 

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第百五十四回

 

「百中売卜両将を倡ふ風外風術巽二を招く」

 

【高畷浜辺。赤岩百中/大角が編笠を目深にかぶり易者を装っている。好色そうな女客二人が足を止めている。漁民らしき男性が籠に魚を入れ運んでいる。裏返って左向きだからカレイらしきものも。画面奥で騎馬の定正と顕定が浦人に尋ねごと】

 

高畷に両管領水路を浦人に問しむ

 

ひやくちう・うら人・うら人・うら人・しげかつ・のりかた・さだまさ・あきさた

 

【谷山から海を見下ろす。扇を開いた定正と顕定が床几に腰掛けている。風外道人が錫杖を手に立っている。大角が側に控える。海辺は極めて平和な光景】

 

谷山に風外房総の便路を指南す

 

さだまさ・しけかつ・のりかた・あきさだ・ふうぐわい・百中

 

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第百五十五回

 

「豊俊時を得て恩赦を請う妙真愁愬して軍役に入る」

 

【姥雪代四郎宅……というより音音宅。床の間に信乃・小文吾の大刀。上座に座る二人の前に、それぞれ菓子。音音・妙真・曳手・単節が対面。妙真は掌で瞼を押さえている。画面奥の部屋で愛らしい寝顔を見せる力二郎・尺八郎。枕元に達磨と独楽】

 

信乃小文吾夜音音等と密談す

 

ひとよ・ひくて・妙しん・りきじ・しやく八・おとね・小ぶんご・しの

 

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第百五十六回

 

「貞行奧に託て穉子を留む毛野明に察して死囚を免す」

 

【堀内蔵人邸書院。縛り上げられ縁側に引き据えられている千代丸図書介豊俊。右手に縄の端を握り鮠内葉四郎。毛野・荘介・道節・小文吾が対面。紋は描かず。裾に逆巻く白波模様を描く障子を開き奥から音音・単節が窺う。衝立は逆巻く波に燕】

 

堀内の書院に智玉忠義信と倶に豊俊を鞫問す

 

さたすミ・は四郎・とよとし・げん八・どうせつ・さうすけ・けの・さだゆき・おとね【・ひとよ】

 

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第百五十七回

 

「上総の民孝義再恩を稟く安房侯仁心軍令を定む」

 

【幕には恐らく篠竜胆と大中黒が交互に描かれている。上に里見義成、傍らに義通。親兵衛と大角除く六犬士が鎧姿で控える。増松・阿弥七・墜八が見参している。対面する荒川清澄は総髪で学者風の好々爺。九三四郎も笑ましげ】

 

仁義八行の徳以無理の大敵を待つ

 

げん八・小ぶんご・さうすけ・どうせつ・しの・けの・おち八・あみ七・ましまつ・くさ四郎・きよすミ・よしゆき・ともかつ・はやとも・たかむね・もえざう・さだすミ・なほもと・かひ六郎・ときすけ・さくわん・よしなり・よしみち

 

★此処での犬士の紋は、毛野が月星、信乃が五三桐、道節が浮線蝶、小文吾が「古」字、現八が「犬」字、荘介が雪篠

 

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第百五十八回

 

「滝田の三士生拘を献る扇谷の間諜仮使を導く」

 

【毛深い朝時技太郎の腕を後に捻じ上げる小湊目。傍らに貝六郎、萌三が詰問の姿勢。背後で浦の乙女が驚き逃げている仕草。沖に白帆、浜に浦人】

 

三士路に技太郎を捕ふ

 

さふ兵・かひ六・わざ太郎・さくわん・もえざう・浦をとめ

 

【合羽姿の友勝が毛深い■ケモノヘンに爰/八を投げ飛ばしている。傍らに女っぽい仕草で立つ妙真・単節。桜の木に寄り掛かり櫂を立て掛けた餅九郎が窺う】

 

猿八友勝と猿楽して餅九郎を釣る

 

妙しん・ひとよ・友かつ・さる八・もち九郎

 

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第百五十九回

 

「助友忠諌父の志に代る信隆機変族の兵を借る」

 

【五十子城内。床の間に甲冑。胴には竹雀紋。いきり立った定正を武田信隆が背中で制している。座った巨田助友が半身になって定正を睨み返している。馭蘭二・憲儀が控えている。馭蘭二は鎧を纏っていない】

 

定正怒て助友を斬らんとす

 

のりかた・さだまさ・のぶたか・すけ友・ぎよらん二

 

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第百六十回

 

「衛士相挑両枝の花名将許容る内応の質」

 

【五十子城内。憲儀が豊俊の書状を立ったまま読んでいる。巨田助友が厳しい表情で見詰めている。疑惑の表現か。餅九郎は書状の箱を開いたまま呆やりした横顔。友勝は緊張した面持ちで座っている。妙真は穏やかな表情、単節は俯いている。音音・曳手は後ろ姿。画面左上の小枠に、一条端四郎信有・印東小六郎明相・荒川太郎一郎清英が談合の様子】

 

女流を留めて憲儀豊俊の諜書を受く

 

ざふ兵・もち九郎・のりたか・ざふ兵・おとね・ひくて・しん六・友かつ・妙しん・ひとよ

 

明相あけすけ清英きよひで怪ミて信有等を生拘

 

あけすけ・のぶあり・きよひで・ともひと・ともひと

 

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第百六十一回

 

「重時異同両姓に逢ふ義任藁人三勇を先にす」

 

【鍛冶屋店頭。作業場の壁に丸に「屋」字紋。ヤットコで何かを金床に載せ鎚で叩く木瓜八。長い鎚を手にして立ち首筋の汗を拭う再太郎。神棚に鍛冶らしく稲荷を祭っている様子。重時が鎧姿で腰掛けている。店先に旅装の安西就之介。閾の縁に斑犬が大人しく腹這いになり作業を見詰めている】

 

鍛鉄以為刀剣冶心宜為武士

 

鉄を鍛え以て刀剣を為し、心を冶して宜しく武士たるべし

 

しげとき・さい太郎・ぼけ八

 

★稲荷を祀っている←鍛冶の神

 

【今井河原の柵。彦別夜叉吾数世が大上段に刀を振り上げた恰好のまま小文吾の左手で持ち上げられている。画面左上では就介・再太郎が水に入って柵に近付いている。重時は既に柵に上がっている】

 

この出像の本文ハ上下共第百六十二回に在り後板出るに及て詳なるべし

 

かず世・小文吾・みつかど・ざふ兵・ざふ兵・なりすけ・さい太郎・しげとき

 

今井河原の柵

 

★「みつかど」は未詳

  

   
 
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