栗鼠の頬袋/八犬伝本文外資料


本資料の作成に当たっては、杏庫之介さんから多大な御教示を戴いた。底本は、岩波文庫新版である。

 

場所・回・回タイトル・挿絵タイトル・登場人物名(挿絵に表記分)の順。漢文の場合は、原文と登場人物名の間に書き下し文を附した。【】は挿絵描写。★が筆者註、■はJIS外漢字であり「/」で閉じた。▲は伏せ字、●は不明部分、◆で挟んだ箇所が引用箇所、*が引用リンクである。「()」は原文註、「{}」は筆者註。なお、原文は赤、書き下し文は緑、註は青で表記した。

 

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八犬士伝序

 

初里見氏之興於安房也、徳誼以率衆、英略以摧堅、平呑二総、伝之于十世、威服八州、良為百将冠、当是時、有勇臣八人、各以犬為姓、因称之八犬士、雖其賢不如虞舜八元、忠魂義胆、宜与楠家八臣同年談也、惜哉載筆者希於当時、唯坊闌R記及槙氏字考、僅足識其姓名、至今無由見其顛末、予嘗憾之、敢欲攻残珪、自是常畋猟旧記不已、然猶無有考据、一日低迷思寝、■黙のレンガが目/■目に徳/之際、有客自南総来、語次及八犬士事実、其説与軍記所伝者不同、敲之則曰、曾出于里老口碑、敢請主人識之、予曰諾、吾将広異聞、客喜而退、予送之于柴門下、有臥狗在門傍、予忙乎踏其尾、苦声倏発于足下、愕然覚来、則南柯一夢也、回頭覧四下、茅茨無客、柴門無狗吠、言熟々思客談、雖夢寐不可捨、且録之、既而忘失過半、莫奈之何、竊取唐山故事、撮合以綴之、如源礼部弁竜、根于王丹麓竜経、如霊鴿伝書於滝城、擬張九齢飛奴、如伏姫嫁八房、倣高辛氏以其女妻槃瓠、其他不遑毛挙、数月而草五巻、僅述其濫觴、未創八士列伝、雖然書肆豪奪登諸梨棗、刻成又乞其書名、予漫然不敢辞、即以八犬士伝命之

 

文化十一年甲戌秋九月十九日洗筆於著作堂下紫鴛池

蓑笠陳人解撰

 

はじめ里見氏の安房に興るや、徳誼を以て衆を率い、英略を以て堅を摧き、二総を平呑して之を十世に伝う。八州を威服して、よく百将の冠たり。この時に当たりて勇臣八人あり。おのおの犬を以て姓とす。よりて之を八犬士と称す。その賢は虞舜の八元に如かずといえども、忠魂義胆は、よろしく楠家の八臣と年を同じうして談ずべし。惜しいかな、筆に載せる者、当時において希し。ただ坊闌R記および槙氏が字考の、僅かにその姓名を識るに足る。今に至りて、その顛末を見る由なし。予、かつて之を憾む。あえて残珪を攻めんとす。これより常に旧記を畋猟して已まず。しかるもなお、考据あるはなし。一日低迷して寝を思う。■黙のレンガがヨンガシラ/■目に徳/の際、客の南総より来るあり。語を次ぎて八犬士の事実に及ぶ。その説は軍記に伝うる所と同じからず。之を敲けば則ち曰く、かつて里老の口碑に出たり。あえて請う、主人が之を識せよ。予曰く、諾と。吾まさに異聞を広げんとす。客は喜びて退く。予、之を柴門の下に送る。臥狗ありて門傍に在り。予が忙乎として、その尾を踏めば、苦声倏{たちま}ち足下に発る。愕然として覚め来れば則ち、南柯の一夢なり。頭を回して四下{あたり}を覧れば、茅茨に客なく、柴門に狗吠なし。ここに熟々客の談を思えば、夢寐といえども捨つべからず。まさに之を録せんとす。既にして忘失するもの半ばに過ぐ。之をいかんせんとするに、いかんともせんすべなし。竊に唐山の故事を取りて、撮合し以て之を綴る。源礼部が竜を弁ずるがごときは、王丹麓が竜経に根く。霊鴿の書を滝城に伝うるがごときは、張九齢の飛奴に擬す。伏姫の八房に嫁するがごときは、高辛氏の以てその女を槃瓠に妻するに倣えり。その他にも毛挙に遑あらず。数月にして五巻を草す。僅かにその濫觴を述べて、いまだ八士列伝を創せず。しかりといえども書肆は豪奪して諸を梨棗に登す。刻成りてまた、その書名を乞う。予は漫然として、あえて辞せず。即ち八犬士伝を以て之に命{なづ}く。

 

文化十一年甲戌秋九月十九日筆を著作堂下の紫鴛池に洗う

 

蓑笠陳人解、撰す

 

★面倒だから原則として序には註を付けない。ただ今回は、特別に「虞舜八元」を取り上げる。虞舜は古代中国の伝説的な帝王だ。「史記」の「五帝本紀」巻一に、

 

     ◆

前略……黄帝居軒轅之丘、而娶於西陵之女、是為■螺の虫が女/祖。■螺の虫が女/祖黄帝正妃生二子、其後皆有天下。其一曰玄囂、是為青陽降居江水。其二曰昌意、降居若水。昌意娶蜀山氏女、曰昌僕、生高陽有聖徳。黄帝崩、葬橋山。孫昌意之子高陽立、是為帝■瑞の王が頁/■王にオオガイ/也……中略……而玄囂之孫高辛立。是為帝■學の子が告/。帝■學の子が告/者高辛者、黄帝之曾孫也……中略……高辛生而神霊、自言其名。普施利物、不於其身。聡以知遠、明以察微、順天之義、知民之急、仁而威、恵而信、修身天下服。取地之財而節用之、撫教万民而利誨之、暦月日而迎送之、明鬼神而敬事之……中略……而摯代立。帝摯立、不善。崩。而弟放立、是為帝尭……中略……富而不驕、賢而不舒。黄収純衣、■丹に影のツクリ/車乗白馬。能明馴徳……中略……尭曰、蹉、四獄、朕在位七十載、汝能庸命、践朕位。獄応曰、鄙徳、忝帝位。尭曰、悉挙舅戚及疎遠隠匿者。衆皆言於尭曰、有矜在民間、曰虞舜……中略……舜受終於文祖。文祖者尭大祖也……中略……尭知子丹朱之不肖、不足授天下……中略……尭崩、三年之喪畢、舜譲辟丹朱於南河之南。諸侯朝観者不之丹朱而之舜、獄訟者不之丹朱而之舜、謳歌者不謳歌丹朱而謳歌舜。舜曰、天也夫。而後之中国踐天子位焉、是爲帝舜。虞舜者、名曰重華……中略……昔高陽氏有才子八人。世得其利、謂之八ト。高辛氏有才子八人。世謂之八元【賈逵曰元善也索隠曰左伝高辛氏有才子八人伯旧仲堪叔献季仲伯虎仲熊叔豹季狸】。此十六族者、世済其美、不隕其名至於堯。堯未能挙。舜挙八ト、使主后土、以揆百事。莫不時序。挙八元、使布五教于四方。父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成……

     ◆

 

長々と引用したけれども、「八元」が登場する条は最後の数行だけだ。モノには文脈というものがあるから、こうなってしまった。ご容赦いただきたい。要するに、傑物であった帝尭は不肖の息子に位を譲らずに民間から舜を起用した。舜は一旦は承知するものの、いざ帝位を嗣ぐべき時が来ると尭の息子に位を譲ってしまう。しかし人々は舜のもとに集まり、尭の息子を見放した。舜は漸く天命を悟って、帝位に就くを潔くする。帝位への抜擢に先立ち尭は、舜の才能を確認するために見習いとして官を務めさせた。このとき舜は優れた十六人の人物を任用した。うち八人が高辛氏の子である「八元」だった。八元の職掌は「布五教于四方」とあるが、別に宣教師になったり学校の先生になったりしたのではあるまい。他の八人が「主后土以揆百事」であるから徴税などの実務を担当したと思われるので、一方の八元は典礼や朝廷内の各種調整を行ったか。八犬伝流に解釈すれば、「婦幼のねふりを覚す」ことが務めであったか。また、尭の治世態度を述べた部分で自分は贅沢をせず倹約したと述べているが、それを「白馬に乗らなかった」ことなどで表現している。白馬に乗ることを、驕慢の典型としているのだ。八犬伝序盤で、白馬は「白妙の人喰い馬」山下定包の驕慢を示す。そして何より興味深いことは、八元が高辛氏の子供たちであった点だ。八元の父・高辛氏は、敵に攻められ苦し紛れに口走った「敵将を討ち取った者を婿とする」との約束を果たさざるを得ず、遂に娘を犬に娶せた帝である、とは此の序末尾近くで明かされている。勿論、里見義実を高辛氏とイコールだと言うのではない。義実はもとより八犬伝の登場人物は多種多様な過去の物語を背負っている。多面体たる義実にとって高辛氏は、一側面に過ぎない。因みに高/辛/氏に擬せられた義実は此の序文中で源礼部と表現されており、礼部は治部省の唐名だけれども、史料中で里見義実は刑部なんだが、太平記なんかの見出しに現れる治部大輔は、既に「MockingBird」で書いたように足利高氏なんだけれども、まぁ、此処では深く考えないようにしよう。ところで筆者の手元にある「史記」は、上総鶴牧藩校修来館が作った増訂史記評林の影印本だから【】で示した註は、其れに拠る。高辛氏の説話に就いては、後漢書を下に引く。

 

     ◆

昔高辛氏有犬戎之寇。帝患其侵暴、而征伐不剋。乃訪募天下、有能得犬戎之将呉将軍頭者、購黄金千鎰、邑万家、又妻以少女。時帝有畜狗、其毛五采、名曰槃瓠。下令之後、槃瓠遂銜人頭造闕下、群臣怪而診之、乃呉将首也。帝大喜、而計槃瓠不可妻之以女、又無封爵之道、議欲有報而未知所宜。女聞之、以為帝皇下令、不可違信、因請行。帝不得已、乃以女配槃瓠。槃瓠得女、負而走入南山、止石室中。所処険絶、人跡不至。於是女解去衣裳、為僕鑒之結、著独力之衣。帝悲思之、遣使尋求、輒遇風雨震晦、使者不得進。経三年、生子一十二人、六男六女。槃瓠死後、因自相夫妻。織績木皮、染以草実、好五色衣服、製裁皆有尾形。其母後帰、以状白帝、於是使迎致諸子。衣裳班蘭、語言侏離、好入山壑、不楽平曠。帝順其意、賜以名山広沢。其後滋蔓、号曰野蛮夷。外癡内黠、安土重旧。以先父有功、母帝之女、田作賈販、無関梁符伝、租税之賦。有邑君長、皆賜印綬、冠用獺皮。名渠帥曰精夫、相呼為■女に央/徒。今長沙武陵蛮是也{後漢書巻八十六南蛮西南夷列伝第七十六}。

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世にいふ里見の八犬士は、犬山道節(乳名道松)犬塚信乃(乳名志之)犬坂上野(乳名毛野)犬飼見八(乳名玄吉)犬川荘佐、犬江親兵衛(乳名真平)犬村大角(乳名角太郎)犬田■サンズイに文/吾(乳名小文吾)則是なり。その名軍記に粗見えて、本貫終始を審にせず。いと惜むべき事ならずや。よりて唐山高辛氏の皇女、槃瓠(犬の名なり)に嫁したる故事に倣ふて、個小説を作設、因を推、果を説て、婦幼のねふりを覚すものなり。

肇輯五巻は里見氏の安房に起れるよしを演。亦是唐山演義の書、その趣に擬したれば、軍記と大同小異あり。且狂言綺語をもてし、或は俗語俚諺をまじへ、いと烏呼しげに綴れるは、固より翫物なればなり。

この書第八回、堀内蔵人貞行が犬懸の里に雛狗を獲たる条より、第十回義実の息女伏姫が富山の奥に入る条まで、これ全体の発端なり。しかれども首尾具足して、全体を闕ことなし。二輯三輯に及ては、八人ンおのおの列伝あり。来ん春毎に嗣出して、全本になさんこと、両三年の程になん。

蓑笠陳人再識

 

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第一輯口絵

 

【武装した里見義実が巨大な鯉に乗り鞭を当てている】

 

浪中得上龍門去不歎江河歳月深

 

浪中、龍門を上り去るを得。歎ぜず、江河歳月の深きを

 

里見治部大輔義実

 

★此だけ見れば義実は単なる変態だが、八犬伝には【虚花と実花】なる法則がある。則ち、浜路姫に対する浜路、鄙木に対する雛衣の如く、本体に先駆けて登場する者が虚花である。しかし八犬伝に於けるウェイトたるや、必ずしも虚花は軽視されていない。いや、それどころか、浜路や雛衣に至っては、本体たる浜路姫・鄙木姫なぞより遙かに読者のシンパシィを得ているだろう。虚花が却って本体の内包する真意、例えば浜路姫なら信乃と配偶する運命にあることを十全に語り尽くしてしまう。雛衣も、鄙木が大角と配偶すべき運命を示している。まだしも浜路姫は鷲に攫われていたため甲斐で信乃と運命的に出会う見せ場があるし妙椿に攫われかけて活劇に参加するが、浜路の悲劇と較べれば見劣りする。鄙木姫は単に大角と配偶するだけだ。虚花は、実花に先立ち退場する。虚花と実花は、互いに同種の存在なので、実花が登場するためには虚花が邪魔になる。

里見家が使用する大中黒/一引両の「両」は「霊」の転訛とも「龍」の転訛とも言われる。義実が鯉に乗る口絵は当然、龍の尾と足を見て南総の主となる運命と関連づけられている。龍は、支配者となる者に姿を見せる。そして八犬伝では、もう一度、龍が姿を現す。政木狐は龍に変じた姿を、河鯉孝嗣にこそ現す。なんか親兵衛も一緒にいて惚けたことを言うているが、気にしない。どうせ此奴はオマケだ。政木狐は龍としての姿を、河鯉孝嗣にこそ見せたのだ。三年後、石化した姿さえ曝す。また、政木狐が政木龍とでも謂うべき者となったとき、河鯉孝嗣は政木大全と改名する。鯉が龍に変じたらしい。

此処から八犬伝外の話となる。政木大全/正木大膳家は一旦、断絶する。里見家から当主を迎え、存続した。則ち、正木家の家名は残ったものの、血脈としては里見家傍流となる。家名と血脈は、家名が優先する。例えば、素盞嗚尊の産み出した子どもたちを天照大神が引き取り、此の系譜が天孫となって天皇家に繋がった。天皇家は天照大神を祖とするが、素盞嗚尊を祖神とはしない。実態としては里見家傍流であるが、正木家は正木家なんである。孝嗣が龍を見ることによって、正木家は日本を支配する資格を与えられた。龍に祝福され姿を見た者を【龍の一族】とすれば、里見家も義実が龍の一部を見たことで一応は、龍の一族と言える。正木家は一旦断絶するものの、里見家なる龍の一族が接続したことで、日本支配の契約も保持された。里見家嫡流は、南総から勢力を広げることなく、近世初頭に改易されて消滅した。正木家は、徳川家康の側室万を輩出する。よって正木家は、紀州徳川家外祖の家筋となる。徳川将軍職は「八代」吉宗から十四代家茂まで約百五十年間、紀州系が独占する。馬琴の生きた時代も含まれている。

八犬伝は里見家を廻る物語であるが、しかし恐らく馬琴の脳内で、里見家は虚花であった。実花は紀州徳川家である。政木孝嗣に対する龍の契約は、百数十年を経て徳川吉宗のとき果たされる。冒頭に掲げられた口絵は、八犬伝が龍/支配権を廻る物語であることを、高らかに宣言している

 

【乞食に身を窶した金碗八郎が右手に渋団扇を持ち首に巻き付け垂らした大中黒紋入り旗に左手を添え、右頁の義実を振り返っている】

 

碓子■カサに小/舂忍光八難波江乃始垂母辛之河■カサに小/加久■カサに小/世波 著作堂

 

金碗八郎孝吉

 

★試記:からうすにつきおしてるやなにわえのはたれもからしかにかくによは/唐臼に衝き押してるや難波江の葉たれも鹹し蟹/かに斯くに世は。万葉集巻第十五由縁有る雑歌「蟹のために痛みを述べて作る」{角川文庫版三九〇八。国歌大鑑三八八六}を元にしている。天皇の宴会に呼び出された蟹が宮に行き縛り上げられ、楡の葉を搗いたものと塩汁を塗りたくられ目にも擦り込まれ、美味い旨いと食われる様を蟹の側から歌ったものだ。万葉集には此の手の歌も多い。幼稚純朴な笑いが其処にあったか、何かの事件の被害者側の気持ちを蟹に仮託して代弁したものととるかは、読者の精神状態に依る。いつも鬱屈している筆者は後者だ。馬琴も自分の歌で下の句、「世知辛いものだ、色々あって世の中は」と換えて歌っているから、後者の立場だろう。また、第四回、全身漆で爛れた孝吉に蟹の汁を塗り服用させ、治癒に成功する里見義実のエピソードを暗示してもいる。

 

     ◆

蟹味鹹寒有毒主胸中邪気熱結痛■口に咼/僻面腫敗漆焼之致鼠解結散血愈漆瘡養筋益気○爪主破胞堕胎生伊洛池沢諸水中取無時{千金翼方巻第四本草下蟲魚部}

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○漆まけには杉の青葉を煎じ用ひてよし。又川蟹を叩き摧きて塗もよし{雲錦随筆}

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また、上に掲げたように、蟹が漆被れに効くとは、根拠は不明ながら、確かに云われていたことのようだ

 

【立てた琴を右手に抱く玉梓と座って玉梓を見上げる山下定包】

 

周公恐懼流言日王莽謙恭下士時若使当年身便死至今真偽有誰知 白居易読史詩

 

周公、流言を恐懼するの日。王莽、下士に謙恭する時。もし当年にして身、便ち死なしめば、今に至り、真偽を誰か知る有り

 

山下柵左衛門尉定包・神余長挟介光弘が嬖妾玉梓

 

★定包の上着は牡丹柄だ。他に花は沢山ある。チューリップでも何でも良いだろうに、わざわざ牡丹柄を着るには意味がなければならない。しかも隣に寄り添う玉梓の着衣は、薄墨を流した桜模様で、伏姫のリバースとなっている。

実のところ王莽は伯母を利用したけれども、通説で玉梓に比すべき者とは絡まない。安禄山なら楊貴妃に引き立てられて出世したとされているから、より定包に近い

 

【仁王立ちの安西景連と座って刀を懐紙で拭う麻呂信時。背景に、棒状の包みを踏まえ奪い合うか組み打つ朴平・無垢三、それぞれの背後に立つ堀内貞行と杉倉氏元】

 

何事をおもひけりともしられしなえミのうちにもかたなやハなき 衣笠内府

 

堀内蔵人貞行・朴平・無垢三・杉倉木曽介氏元・安西三郎大夫景連・麻呂小五郎信時

 

★夫木和歌抄巻第三十二雑部十四の一五一〇五にあり。ただし新撰和歌六帖第五帖一八二六では、「なにごとをおもひけりともしられしなゑみのうちにもかたなやはなき」。ちなみに本稿で歌の後に附記している番号は、特に断らない限り角川の国歌大鑑に拠る。衣笠内府は藤原定家の門弟である衣笠家良。藤原氏近衛流。正二位大納言忠良の男で母は大納言藤原定能女。大納言基良の弟に当たる。新撰和歌六帖第五帖の選者の一人

★不思議な図である。麻呂信時の腹の辺りから黒い霧状のものが湧き出ており、其処で朴平と無垢三が袋を奪い合っている。それぞれの背後に堀内貞行と杉倉氏元が控えている。貞行と氏元の代理として朴平と無垢三が争っているようにも見える。山林房八と犬田小文吾の相撲を思い出す。はたまた、袋を奪い合うことで、武術の稽古としているのか。貞行・氏元が稽古をつけてやっているのか。しかし、朴平・無垢三と貞行・氏元は、面識もない。いや、抑も、信時・景連と貞行・氏元は面識があり嫌い合っているけれども、朴平・無垢三が浮いているのだ。他の口絵に持って行き場がなかったから、此処に描き込んだのか そうかもしれない。ヒントは恐らく「黒い霧」だ。信時の性格描写としては、山下貞包の語った「利に進み人を侮る貪婪匹夫の勇将」{第二回}がある。里見義実と対面した折にも、とにかく義実を蔑む。事実関係と解釈に於いて、虚言を撒き散らすタイプだ。【自分】にだけは正直なんである。対する景連は、一応は相手の云うことを聞き常識的判断が那辺にあるかは心得ていて口には出すのだが、腹の中は貪婪であり、己を偽り相手を悪しき方向へと導こうとする。安房に棲息しない鯉を獲ってこいと義実に注文したのは、景連だ。よって、「黒い霧」にある朴平・無垢三と貞行・氏元の結合もしくは談合は、他者を矮小化してしか理解できない信時による【あらぬ疑い】でもあろうか。実際の所、里見家が安房国支配に乗り出す端緒は、簒奪者山下定包を放伐した点にある。だからこそ、善人面して安房国主を気取っていられるのだ。定包が神余家の所領を簒奪するという緩衝材があって初めて、里見家は強奪者とならずに旧神余領を手中にできた。穿ってみれば、個々人の幸不幸など眼中になく大局しか見ない善神が、南総に善政を敷かせるため里見家を領主にすべく、定包に一旦は簒奪させて里見家を迎え入れた、と見ることも可能だろう。なんたって、神/天は万能である。総ては神の御心に思し召す侭、なんである。八犬伝世界に於いては、禍福は糾える縄の如く、個々人の思惑を超えて、結果としては均衡がとれている。目先の結果は、善不善の報いとは思えないものの、代を替え生を変えれば、キッチリ報いがある。勧懲の理、である。朴平・無垢三は領主殺しの大罪を負ってしまい子孫まで負債を押しつけられるが、完済すれば、犬江親兵衛・磯崎増松に福が待ち受けていた。表面上、山下定包の簒奪は、里見家入国と無関係ではあるけれども、義実の安房支配にとって前提となる重大事であった。仁君里見家が安房を支配するため、神余家は排除されねばならなかった。こうした天機をエゲツなく解釈すれば、朴平・無垢三は、里見家の代理として神余光弘を殺した、となる。山下定包が暗殺の謀略を廻らせつつ光弘に狩りを勧めたとき「時はや夏の初にて」{第二回}であったから、四月には入っていた。まさに光弘の誤殺事件は、義実の安房入国直前に行われた。定包は自らの欲望のため神余光弘を死に追い遣ったわけだが、実は里見家の安房支配を正当化するため不可欠の過程であった

 

【生首をくわえる八房と手綱を首に掛け御している伏姫】

 

深宮飽食恣■ケモノヘンに争/獰臥毯眠氈慣不驚却被捲簾人放出宜男花下吠新晴 元貢性之詩

 

深宮に飽食の■ケモノヘンに争/獰を恣にし、毯に臥し氈に眠りて、慣れて驚かず。却りて簾を捲く人に放り出されて、わすれ草のもと、新晴に吠ゆる

 

伏姫・里見義実の愛犬八房

 

★読本「七・七バランス」シリーズで述べたように、挿絵は本文にない隠微な情報を隠し持っている。八犬伝の本文外で馬琴が言っているように、絵師には女性とあれば美人に描く習性があるらしい。また、絵師によって理想とする美人は微妙に差があるものの、総べて【引目鉤鼻】の伝統から大きくは逸脱していない。八犬伝の挿絵も絵師によって女性の顔立ちは異なるが、大雑把な年齢階層による類型化こそあれ、個々人の描き分けは顕著ではない。近世後期、肖像画こそ、かなり写実的になってはいたが、挿絵に就いては、絵師の裡なる女性像に強く拘束されるものであるからして、仕方のないことだ。例えば現在の漫画でも、さほど顕著に個々の登場人物を描き分けてはいないであろう。事情は同じである。しかしさて、着物の模様となれば、より描き分けは容易だ。牡丹・桜・梅・麻葉・青海波・千鳥格子などなど、八犬伝の挿絵に登場する文様は、かなり詳細かつ多様に描かれている。筆者の趣味は写真なのだが、カラー写真なら色で誤魔化せるので人の目を惹くことがより容易なのだが、黒白写真となれば構図/文様センスがモノを言う。一色刷が原則である挿絵では、構図と文様でこそ、読者の目を楽しませなければならない。八犬伝挿絵でも、文様は等閑視できなかったであろう。まるで歌舞伎役者の如く趣向を凝らした衣装を纏う八犬伝の登場人物たちだが、特に女性に注目したい。筆者は女好きなのである。さて、第一輯口絵に於いて指摘せねばならぬ事は、伏姫・信乃・玉梓が、共に桜模様の衣装を身に着けている点だ。馬琴自ら、伏姫と信乃が共に犬に乗る場面は、両者の繋がりを示すものだと語っている。二人には、共通点がある。此の事を口絵は、着物の模様で示していると考えられる。ならば、伏姫と玉梓が共に桜模様の着物を身に着けていることは、二人が深い関係にあることを示していなければならない。但し、二枚の着物は、対称的でもある。即ち、伏姫の着物は白く、玉梓の着物は薄墨をかけて黒くなっている。共に桜模様でありながら、白/陽と黒/陰なのだ。同じ表象/桜を持ちながら、対称的である。此の関係は、取りも直さず、伏姫と玉梓の位置関係を物語っているだろう。共通し且つ対称。此の様な関係は、戸山妙真と八百比丘尼妙椿の間にも見られる。妙真は在家の烏婆夷であり、妙椿は剃髪した比丘尼だ。共通し且つ対称である。「真」はマコトであるが、本質/natureから直截に表現されるモノ、ぐらいの意味だ。「椿」は植物……ではなく「椿説弓張月」の「椿」であって「珍」に庶い。「椿事ちんじ」)とは、天然自然が順調に運行しておれば起こり得ぬことが起こったことをいう。本質/nature/自然から逸脱した現象を指す。「真」と「椿」は、対称であって、しかも、シンとチンで音が通じている。共通かつ対称である両者は、或る登場人物に深く関係していく。妙真は孫の親兵衛を溺愛し、妙椿は親兵衛に祟り且つ親兵衛に滅ぼされる。筆者は「七・七バランス」シリーズで、妙真と妙椿の共通・対称性に着目し、【母なる者の両義性】に思いを至らせた。妙真は親兵衛にとって一般的もしくは【善い母親/祖母】{但し、ちょっと甘め}だ。一方、妙椿は親兵衛にとって【悪しき母親/祖母】である。【常識的】な方々から感情的な反論を受けそうだから具体的かつ詳細に書いたりはしないが、「五行大義」にも、母は凶、と明記している。母は子を、拘束するからだ。親兵衛は、大人への加入儀礼、言い換えれば子供世界からの脱出儀礼として、拘束する者即ち【母なる者】を滅ぼさねばならなかった。犬士の尊属で、生き残っていた者は妙真だけだ。他は殺されたり病死したり行き倒れたりしている。唯一残った妙真は、他ならぬ親兵衛に滅ぼされなければならない。ただ、そうなると色々と差し支えがある。読者の大きな支持は得られないだろう。故に、妙真から悪しき側面を分離、悪役・妙椿として登場させ、親兵衛と敵対させたのだ。そもそも妙真は親兵衛にとって実世界に於ける祖母だが、犬士の父たる八房の乳母は玉面嬢/妙椿であるので、両者の親兵衛に対する身等関係は庶い。また此と似たような関係に、政木狐と箙大刀自の対比があるが、長くなるので、また今度。とにかく、伏姫と玉梓が【共通し且つ対称】の関係ならば、妙真・妙椿の関係が大いに参考となる。有り体に言えば、「共通し且つ対称」の関係にあるとは、根を同一にしつつ分化した複数の存在、だ。陽も陰も、混沌から分化したものだ。伏姫と玉梓は……と、口絵に目を転ずれば、伏姫の足下には牡丹形の模様が付いた巨犬・八房、玉梓の足下には牡丹模様の衣装を着けた山下定包がいる。「闇からの発生」で「人」と「犬」が対語の関係にあることを示したが、対語とは【対称の関係】である。同じく牡丹を身に纏う、人と犬とは、「共通し且つ対称」の関係である。八房と定包もまた、「共通し且つ対称」の存在であることが解る。同一なる者から分化した、共通かつ対称の存在が並び置かれ、読者に提示される。此の口絵を前提として、八犬伝は幕を開ける

★上で伏姫と玉梓、八房と山下定包を、対称関係にあると考えた。馬琴は、八房を玉梓の後身としている。ならば伏姫が定包の後身かと云えば、そうはならない。筆者は「宿祢姓金碗氏の謎」に於いて、伏姫を金碗八郎の後身と考えた。或いは、八房には山下定包も含まれているかもしれない。序盤で里見家と敵対した安西景連は出来介景次・就介景重、麻呂信時は復太郎重時・満呂再太郎景色重なる子孫・縁者を得て、善へと転換した。玉梓も解脱し犬士の父となった。序盤で里見家と敵対した主要登場人物は、挙って里見側に属く。山下定包だけが、後生を八犬伝本文で明確にされていない。定包は、目立つ割に実は重要ではないのかもしれない。事件と同時進行の叙述では、定包が主体となって神余光弘を誑かし暗殺死に追い込み安房半国を奪った。しかし、簒奪後は玉梓を嫡妻に迎え、滝田を「玉下」と改める。定包の立身は玉梓の御蔭だから、感謝の気持ちを誠実に表した……わけがない。そんな善い奴ではない。ならば、簒奪の動機は権力欲だけでなく、いや寧ろ、玉梓を欲したが故ではなかったか。男を迷わせ狂わせる魔性の女が玉梓である。里見義実さえ、絆されそうになった。行動面でも、抑も玉梓が定包を引き立てなければ、話が始まらない。定包が国を簒奪可能な地位に昇れない。元凶は、あくまで玉梓であるから、物語として玉梓の重要性の方が大きいことまでは諒解できる。が、里見義実が旗揚げしたとき、定包の要請もあって攻めてきた麻呂信時、すなわち戦国大名として、さほど異常性を発揮しておらずアッサリ杉倉氏元に返り討ちにされた、単に横合いでゴチャゴチャ要らんことしただけの信時まで、後生は明確になっている。定包も後生があって然るべきだ。但し、筆者は「緻密な差別」で、親兵衛の館山攻略は、義実が白竜を見てから玉梓怨霊が成仏するまでを軽く反復投影していると考えた。蟇田素藤に山下定包・安西景連が投影されているということだ。しかし投影に過ぎず、後生という程ではなさそうだ。やや消極的であるが、此の挿絵を元に、或いは八房は、あくまで玉梓が主であるけれども、定包も包含されている可能性を感じはする

★玉梓の着衣に文字がある。左袖の辺りにある字を鷽と読む論者もいる。或いは、そうかもしれない。筆者は「言離の神」で、天満宮の鷽替え神事、不幸を嘘/虚として取り替える祭りに言及した。玉梓怨霊を、怨霊としては無化する事に通ずる

★ところで、詩にある「宜男花」を筆者は、本草綱目に載す萱草と考え、日本の「わすれ草」とした。

 

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萱草(宋嘉祐)

【釈名】忘憂(説文)療愁(綱目)丹棘(古今注)鹿葱(嘉祐)鹿剣(土宿)妓女(呉普)宜男(【自珍曰】萱、本作■言に爰/。■言に爰/、忘也。詩云、焉得■言に爰/草、言樹之背、謂憂思不能自遺。故欲樹此草、玩味以忘憂也。呉人謂之療愁。董子云、欲忘人之憂、則贈之丹棘、一名忘憂故也。其苗烹食、気味如葱。鹿食九種解毒之草、萱乃其一。故又名鹿葱。周処風土記云、懐妊婦人■ニンベンに風/其花、則生男、故名宜男。李九華延寿書云、嫩苗為蔬、食之動風、令人昏然如酔。因名忘憂。此亦一説也。■ノギヘンに尤したに山/康養生論神農経言、中薬養性、故合歓■謚の旁に蜀/忿、萱草忘憂、亦謂食之也。鄭樵通志乃言、萱草一名合歓者誤矣。合歓見水部)

【集解】(【頌曰】萱草処処田野有之。俗名鹿葱。五月採花、八月採根。今人多採其嫩苗及■足に付/作■クサカンムリに俎/食【時珍曰】萱宜下■サンズイに横一したにイトガシラ二つしたに土/地。冬月叢生。葉如蒲蒜輩而柔弱。新旧相代。四時青翠。五月抽茎開花。六出四垂。朝開暮■クサカンムリに焉/至秋深乃尽。其花有紅黄紫三色。細実三角。内有子大如梧子。黒而光沢。其根与多門冬相似。最易繁衍。南方草木状言、広中一種水葱。状如鹿葱。其花或紫或黄。蓋亦此類也。或言、鹿葱花有斑文、与萱花不同時者、謬也。肥土所生、則花厚色深、有斑文、起重台、開有数月。瘠土所生、則花薄而色淡、開亦不久。■ノギヘンに尤したに山/含宜男花序亦云、荊楚之土、号為鹿葱。可以薦■クサカンムリに俎/尤可憑拠。今東人採其花■足に付/乾而貨之。名為黄花菜)

苗花【気味】甘涼無毒

【主治】煮食治小便赤渋、煩熱、除酒疸(大明)消食利■サンズイに横一したにイトガシラ二つしたに土/熱(時珍)作■クサカンムリに俎/、利胸膈、安五臓、令人好歓楽、無憂、軽身明目(蘇頌)

根【主治】沙淋下水気、酒疸黄色遍身者、擣汁服(臓器)大熱衄血、研汁一大盞、和生薑汁半盞細呷之(宗■夾の人が百/)吹乳乳廱腫痛擂酒服以滓封之(時珍)

【発明】(【震亨曰】萱属水性、下走陰分、一名宜男、寧無微意存焉)

【附方】(新四)通身水腫(鹿葱根葉■日に麗/乾為末、毎服二銭、入席下塵半銭、食前米飲方)小便不通(萱草根煎永頻飲。杏林摘要)大便後血(萱草根和生薑油炒酒衝服。聖済総録)食丹薬毒(萱草根、研汁服之。事林広記){本草綱目巻十六}

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色々と特徴を挙げてるが、変わった所では、「周処風土記云、懐妊婦人■ニンベンに風/其花、則生男、故名宜男」がある。純陽犬士を思い出す。また、陳王植{曹植}の「宜男花頌」には「草号宜男、既曄且貞、厥貞伊何、惟乾之嘉、其曄伊何、緑葉丹花、光采晃曜、配彼朝日、君子耽楽、好和琴瑟、固作■冬のした虫ふたつ/斯、微立孔臧、福斉大■女に以/、永世克昌」{芸文類聚八十一}とあり、男を喜ばせるものとしている。予め断っておくが、筆者は「微立孔臧」を「微{かす}かに立ちて、孔{あな}も臧{よ}し」とは読んでいない。「微かに立ちても孔{はなは}だ臧し」と読んでいる。控えめに立っていても輝くばかりの美しさのため目を惹いてしまう、ほどの意であろう。輝かしいばかりに美しく、貞節で、楽器に通じ、イナゴのように子沢山。「好和琴瑟」は植物に不適切かもしれないが、揺らめく様を、楽器に和すと譬えたか。植物に貞も何もないようなものだが、蒼く瑞々しく清廉な印象で、スッキリ立っている形からか。とにかく男の崇拝に足る素晴らしい女性に譬えている。よって、詩にある「宜男花下吠新晴」は、素晴らしい女性を思い出させる宜男花のもと彼女を慕って雨上がりの月に吠える、とする。或るいは貢性之は、宜男に忘憂・治愁の名もあり愁いを忘れさせる効果がある点をこそ用いたとも思えるが、「宜男」としての特徴を優先して解釈した。だいたい玉梓怨念が潜む段階の八房に、愁いを癒し伏姫を忘れようとする気持ちなぞ、湧く筈もない。ただ、伏姫を欲するのみである

 

【弓矢を持った金碗大輔が右頁の八房を狙っており、二人の侍女が十手を握り大輔を捕らえようとしている】

 

正夢と起き行く鹿や照射山 東岡舎羅文

 

金鞠大輔孝徳

 

★列子卷第三周穆王篇「前略……鄭人有薪於野者、偶駭鹿、御而撃之斃之、恐人見之也。遽而藏諸隍中、覆之以蕉、不勝其喜、俄而遺其所藏之處。遂以為夢焉、順塗而詠其事。傍人有聞者、用其言而取之。既歸告其室人曰、向薪者夢得鹿、而不知其處、吾今得之彼、直真夢矣。室人曰、若將是夢見薪者之得鹿邪、■ゴンベンに巨/有薪者邪、今真得鹿是若之夢真邪。夫曰、吾據得鹿、何用知彼夢我夢邪。薪者之歸、不厭失鹿。其夜真夢藏之之處、又夢得之之主。爽旦、案所夢、而尋得之。遂訟而爭之、歸之士師。士師曰、若初真得鹿、妄謂之夢、真夢得鹿、妄謂之實、彼真取若鹿、而與若爭鹿、室人又謂、夢仞人鹿、無人得鹿、今據有此鹿、請二分之、以聞鄭君。鄭君曰、■クチヘンに喜/士師將復夢分人鹿乎、訪之國相。國相曰、夢與不夢、臣所不能辨也、欲辨覺夢、唯黄帝孔丘、今亡黄帝孔丘、孰辨之哉、且恂士師之言可也……後略」。

これは老荘思想の得意技、【夢だと思っていた感覚が本当に夢だったのか、それとも目覚めている筈の現在の感覚が夢なのか】とのドグラマグラだ。樵(きこり)が木を伐りに行き鹿を得た。樵は鹿を芭蕉葉で隠し帰ってきたが、場所を忘れた。自分では其れを夢だと思った。夢ならば鹿は得られておらず、得られていないから失うこともない。樵は経緯を詞にして歌い歩いていた。歌を聞いた者が山に行き、芭蕉葉で隠した鹿を得た。樵は、得た筈の鹿が歌を聞いた者に奪われた夢を見て、さては夢でなく実際に鹿を得て奪われたと思い至って取り返しに向かう……。無限に続く【夢】のループ、合わせ鏡の無間地獄。しかし考えてみれば、天/陽も地/陰も、共に混沌から生まれた。夢と現/ウツツ、峻別する必要が抑もあろうか

★上記の如きドグラマグラが、創作家馬琴の背景にあることは、終盤付近の挿絵からも窺える。しかし、ほかの初輯口絵賛に、描かれた人物評として、不適切なものはない。かなり直截なものばかりだ。が、此の画面は難解である。列子の寓話と仏教説話が組み合わさっている。

 

     ◆

龍門聖鹿に欲替事

大和国に龍門といふ所に聖ありけり。すみける所の名にて龍門の聖とぞいひける。そのひじりのしたしくしりたりける男の、あけくれしゝ{鹿}をころしけるに、ともしといふことをしける比、いみじうくらかりける夜、照射に出にけり。鹿をもとめありく程に目をあはせたりければ、しゝありけりとて、をしまはし/\するに、たしかに目をあはせたり。矢比にまはしよりて、ほぐしに引かけて矢をはげていんとて弓ふりたてみるに、この鹿の目のあはひのれいの鹿の目のあはひよりも近くて、目の色もかはりたりければ、あやしとおもひて、弓を引さしてよくみけるに、なをあやしかりければ、矢をはづして火をとりてみるに、鹿の目にはあらぬなりけりとみて、おきばおきよとおもひて、ちかくまはしよせてみれば、身は一ちやうの革にてあり。なを鹿なりとて又いんとするに、なを目のあらざりければたゞうちにうちよせてみるに、法師の頭にみなしつ。こはいかにとみて、おり走て火うちふきて、しひをりとりてみれば、この聖の目うちたゝきて、しゝの皮を引かづきえつぉひふし給へり。こはいかにかくておはしますぞといへば、ほろ/\となきて、わぬしがせいすることをきかず、いたくこの鹿をころす、われ鹿にかはりてころされなば、さりともすこしはとゞまりなんと思へば、かくていられんとしておるなり、くちおしういざりつ、との給ふに、この男ふしまろびなきて、かくまでおぼしけることをあながちにし侍ける事とて、そこにて刀をぬきて弓うちきり、やなぐひみなくだきて、もとどりきりて、やがて聖にぐして法師になりて、聖のおはしけるかぎり、ひじりにつかはれて、ひじりうせ給ければ、かはりて又そこにぞおこなひてゐたりけるとなん{国史大系版・巻一・宇治拾遺物語}。

     ◆

 

大和の龍門に聖がいた。龍門聖と呼ばれていた。よく知った男に、いつも鹿を殺す者がいた。龍門聖は常々殺生を止めるよう諭していた。或る夜、男は常日の如く、鹿を狙って山に入り、照射山に出た。果たして鹿と遭遇した。弓を引いて狙いを付けると、違和感があった。何度か狙いを付けたが、やはりオカシイ。近付いて見ると、龍門聖が鹿の皮を被っていた。驚いて事情を尋ねる男に龍門聖は答えた。いくら言い聞かせても鹿を殺すことを止めないので、いっそ自分が身代わりとなって殺されたら、流石に殺生を止めるだろうと考えたのだ。其処まで自分の往生を考えていてくれたんかと感激した男は、其の場で弓弦を断ち矢を折り髻を切って、法師となった。龍門聖の下男となり、聖が亡くなっても龍門で仏道修行を続けた。

口絵にある歌は馬琴の兄が作ったものだ。列子は、夢現の曖昧さを語るが、もう一段穿つと、【人は思いたいように思う】とのテーゼが窺える。樵は実際に鹿を得たのであるが、隠した場所を忘れてしまった。鹿を失ったにも拘わらず、失ったことを認めたくないので、鹿を得たことまで夢だと思いこむようにした。夢であれば、得ていないので、失うこともない。しかし今度は、鹿を失う夢を見た。即ち隣人が奪ったことを察知した。取り返しに行き、訴訟となった。失いたくないとの思いが、鹿を得たことを夢だと思いこませたり、現実だと信じ込ませたりしたのだ。結局、人の語る【事実】とは、意思/欲望によって、幾らでも変わる。都合の良いように思い込むのだ。「事実」なんざ所詮、其の程度のものだ。さて、問題の歌を直訳すると、【夢で得たと思い込んでいた鹿を現実のものだと考え直して行ったよ、照射山へ】となる。ところが照射山で男が遭遇した者は、実際の鹿ではなく、鹿の皮を被った聖{私渡僧か}であった{伏姫/人犬姫は、人の皮を被った犬か、はたまた逆か……}。恐らく列子と宇治拾遺の間に直接の関係はない。ありていに云って、「鹿」しか共通点がない。強いて云えば、両話とも【心の置き所によって現実は変わる】ぐらいのことは語っているが、其れは老荘思想と仏教の重なる部分ってだけのことだ。宇治拾遺の男は、鹿を殺すことを当然として毫も疑問を感じなかった。しかし狩りを止めても、生き続けた。現代とは違って、誰のものでもない山奥で、八房ではないが、木の実や芋などを採取し生き延びることが出来たのだろう。殆ど縄文人であるが、それでも人はサバイバルできはする。殺生を止めても、男は生き続けた。心の置きどころ如何によって、現実は変わり、生き方も変わる。しかし、八犬伝に於ける金碗大輔の物語は、宇治拾遺の如きハッピーエンドではない。宇治拾遺の男は、龍門聖を殺さずに済んだ。しかし大輔は、救出すべき伏姫を傷つけ、死なせてしまった。自分で髻を切らず出家する積もりもなかった。死ぬ覚悟であった。出家させたのは、里見義実の温情である……とまで相違点を殊更に強調する積もりもないが、表面上の共通点は余りない。

宇治拾遺の心惹かれる部分は、「龍門」である。富山に籠もった伏姫は、末期に及んで法華経提婆達多品を八房に読み聞かせる。八歳龍女成仏を語る章だ。数丁前では里見義実が巨大な鯉に跨っている。まさしく龍門を登る図だ。そして口絵の歌が示す方向にも龍門があるならば、八犬伝に於ける龍門は、富山である。但し、義実の見た龍は、天命による国土支配の象徴だ。中国で、龍は皇帝の象徴である。馬琴は中国の文物に親しんでいた。また、民俗仏教で龍は観音の象徴もしくは眷属であった。弁財天とも相性が良い。滝野川弁天は、伏姫観音の分身たる信乃にとって、守護神もしくは本人そのものにも見える。八犬伝に於いて、龍は、天命による国土支配と観音の両方を象徴している。義実と伏姫の父娘は、龍なる共通の象徴を用い、全く別のものを体現している。但し、強いて伏姫観音の大悲を「仁」と言い換えれば、義実の仁と共通してはいる。しかも歌にある「照射{ともし}」は、明かりを灯す行為を指す。とにかく【光】に関わりがある語彙だ。宇治拾遺の照射山を八犬伝に置き換えれば、富山に当たる。富山は、或いは富士山をも意味しているかもしれないが、第一義としては、戸{隠}山だ。伏姫/天照が隠れ、そして再び光を照射する場所こそ、富山であるのだから。歌と八犬伝は無関係である筈なのだが、偶然にも強く響き合う羅文と弟馬琴であることよ{此の歌をもとに馬琴が八犬伝を創案したとまで筆者には言えないが}

 

【子とろ子とろで遊ぶ幼少八犬士と中年丶大】

 

八犬士髻歳白地蔵之図

 

平居勿恃汝青年趁此青年好勉旃

 

平居、恃むなかれ汝が青年。此の青年に趁りて好く努めよや

 

犬塚信乃・犬江真平・犬村角太郎・犬坂毛野・犬田小文吾・犬川荘介・犬飼玄吉・犬山道松

 

あげまきはあとだにたゆる庭もせにおのれ結べとしげる夏草 定家卿和歌

 

丶大和尚

 

★漢詩・和歌とも同様趣旨で、「少年時に自ら勉め強くなる」ことを勧めている。直前の挿絵では老荘的な達観が描かれていたために夢幻の狭間に遊んだ読者は、急に世俗的な教訓歌で現実に引き戻される。哲学/夢想と世智/現実を急に移動した読者は、改めて夢想と現実の差が紙一重だと気付く。だって、一瞬にして移動できる【距離】しかないのだ。さて、挿絵背景で歌われた教訓歌だが、此は何も現在に於けるような【勉強】は勧めていないだろう。第一、挿絵自体は犬士が勢揃いして丶大と遊んでいるのだ。丶大の目つきが何だかエロくイヤラシイが、誰が狙われているかと言えば、当然、美少女信乃だ。挿絵タイトルには「白地蔵」いはばカクレンボ/とあるが、挿絵自体は「子とろ子とろ」いはば数珠繋ぎオニゴッコ/の様子を描いている。幼少期、喧嘩とか戦争ごっこと並び、カクレンボ・オニゴッコは主要な遊戯だ。関東各所に潜在している犬士たちを、鬼である丶大が見つけて回るストーリーは、カクレンボだ。だから口絵のタイトルは「白地蔵」になったんだろう。しかし絵は「子とろ子とろ」だ。簡単にルールを説明すると、一人の鬼が、その他の子供を追う。その他の子供は各々前の子供にしがみつき、数珠繋ぎになる。先頭の子供は親だ。鬼は最後尾の子供を捕まえようと走り回る。先頭の「親」は最後尾を取られまいと鬼の前に立ちはだかる。後ろの子供達は「親」の背後に急いで回り込んで鬼から逃れようとする。だから丶大は当然、最後尾の信乃を狙っているのだ。但し、毛野も最後尾だ。此の「子とろ子とろ」は如何やら変則らしく、道節を先頭に現八・荘介・小文吾・角太郎・親兵衛・信乃の順で繋がっているのだが、毛野一人だけが横から角太郎の辺りに接続している。一列になっていないのである。毛野は【特別な存在】であるらしい

{ところで、小国が大国に侵略されそうになったとき、効果のありそうな呪法に、七星如意輪曼荼羅法がある{「輪宝剣」参照}。本尊は如意輪菩薩で、周囲を北斗七星と訶梨底母が取り巻く。訶梨底母が先頭に立ち、北斗七星を率いる。訶梨底母は鬼子母神とも呼ばれる仏教を守護する女神の一柱だ。如意輪は、云う迄もなく、観音の一形態である。伏姫の小隊は、観音であった。

八犬士は何となく運命に導かれ意味もなく里見家へと参集したのではない。役行者と思しい翁が語った「禍福は糾る纒の如し。譬ば一個の子を失ふて後に夥の翼を得ば、その禍は禍ならず」{第八回}との言葉からすれば、翼{たすけ}となる場面がなければならない。八犬士が何をしたかと云えば、南関東大戦に於いて、防禦使として働き、数の上で圧倒せる侵略軍を撃退した。ほかに特筆すべき事跡はない。彼等は武人として、強大な侵略軍から南総を守った。小国が大国の侵略を受けたとき用いる七星如意輪曼荼羅に、筆者が注目する所以である。この曼荼羅で、如意輪観音を囲む八尊は、北斗七星と訶梨底母であり、外形上、【七+一】である。また、この口絵で、七犬士が一列に並び、毛野だけ横合いから接続している。「七+一」である。七星如意輪曼荼羅は、訶梨底母が七星を率いる形をとる。南関東大戦に於いて、毛野は全軍を総覧する軍師の地位に就く。残る七犬士は防禦正副使として各方面軍の現地指揮官となる。毛野は、元々賢い信乃らに一々細かい指図をしないが、荘介や小文吾が稲戸由充に温情をかけることを想定して先手を打っていた。おバカな道節に至っては、毛野の掌上でドタバタ駆け回るに過ぎない。総大将は当然ながら里見義成であるが、実質的に全軍を指揮していたのは、軍師毛野である。毛野は、七星如意輪曼荼羅の訶梨底母に当たる}。

また、此の口絵で、小文吾が最も幼く描かれている理由は、実年齢とは関係なく、本質として彼が悌の犬士であるからだろう。また丁度、犬夷評判記稿料に此の挿絵に就いての言及がある

 

     ◆

前略……前編乃口絵ハ八士乃をさなたちを図セしとき聊か思ふよしありて信乃と毛野を女子に画せおきつ。そ乃故は信乃ハ偽女子ニして八士列伝の第一に出さん為也。八犬士乃本伝詳ならすといへとも世に伝る所ハミな丈夫也。女武者は一人もなし。しからは八人こと/\く男子にして難なし。これを仮女子にしたるは無益也と思ひ給ふはいまた八犬士乃起る所以をよく思ひ合せ給ハさる故なるべし。玉梓は淫婦也、後身ハいと猛き牡犬となれり。伏姫は孝義之賢女也、かたち女子といへとも心さま丈夫にまされり。こ乃縁因をもて八犬士を出すときは亦復かく乃ことくなるべし。信乃が男子にして女服を■に見/ひたる、伏姫女子にして丈夫乃気韵あるを表セり。こゝをもて信乃を列伝乃第一におけり。是さし絵ニ女子と見セて男子たるか新案也。この後乃毛野も又偽女子なるへし。これを信乃とは大にその趣をかゆるか又一趣向なり。これは近年よミ本の趣向になき所にして信乃を第一番に出し毛野を八人め乃末に出す。前後、男子にして女子たり、女子にして男子たり。この二士のかたちをもて母伏姫の志操を表セり。これを無用の趣向と見給ふは後々乃編まて見果給ハさる故なるべし。……後略{犬夷評判記二編稿料早稲田大蔵版/句読点は筆者}

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八犬士のうち二人が女装する理由を、美少女でありながら男魂ある伏姫との縁を表現するためだと云っている。故に信乃・毛野は、「男子にして女子たり、女子にして男子たり」。そして、此の段階で馬琴は、信乃を初出の犬士、毛野を最後に登場する犬士としていた。最初と最後で全体を挟み込み、八犬士が伏姫の子どもである点を強調しようとしていたのだ。逆に言えば、女装犬士が二人である点に、其れ以上の意味はないかもしれない{あるかもしれない

 

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第一回

 

「季基訓を遺して節に死す白竜雲を挟みて南に帰く」

 

【松のもとに腰掛け空を見上げる里見義実と海を見詰める杉倉氏元。暗雲のうちに龍の尾と足が見える。海には舟を調達して近付く堀内貞行】

 

義実三浦に白龍を見る

 

里見よしざね・杉倉木曽之介氏元・堀内蔵人貞行

 

★龍の一部が見えている。本文には「契あれば卯の葉葺ける浜屋にも竜の宮媛かよひてしかな」仲正家集/勿論、背景には八幡神話が存在している。日本武尊の孫にして神功皇后の息子である応神天皇が八幡であるとは、馬琴の時代には常識であった。里見義実は八犬伝冒頭で、執拗なほど源頼朝に擬せられている。八幡は源家の氏神であり八犬伝中、義実にも八幡神の擁護がある。「八幡愚童訓」などで応神の母・神功皇后は、朝鮮半島を侵略する際に、美人の妹を龍宮に遣わして海の干満を自在に起こす双玉を借りた。引き替えに胎内に在る子を、龍王の婿もしくは愛人として差し出す約束をした。干満の玉を使って日本軍は大勝し、神功皇后は降伏した相手の王を「ほほほほほっ、お前は犬よ、犬なのよぉぉぉっっ。はぁはぁ、じょっ女王様と、お呼びぃぃっっ」と罵りつつハイヒールで踏みにじった。いや、ハイヒールは嘘だが、朝鮮王を犬呼ばわりして貶めたとは、愚童訓ほかに書いている。鎌倉武士の遊び/訓練であった、「犬追物」逃げる犬を騎射するゲームは、犬を朝鮮軍に擬したものといぅ説も近世には流布していた。干満の玉を借りる代わりに応神を龍王に差し出す「契り」が貞行の歌である。龍王の娘が海辺の白屋に訪ねて来て、応神を姦した状況を歌っている。即ち此処で義実は、頼朝を飛び越えて八幡神/応神に擬せられている。ところで八幡は、伊勢と並んで「二祖宗廟」とされ最高の格式を以て朝廷に遇された。実は真の初代天皇は応神であるとの説は古くからあった。だいたい、干満の呪文を操り兄の海彦を服従せしめた山彦が龍宮の姫と姦して出来た子と、其の姫の妹すなわち叔母が交合した結果が、神武天皇だ。日本の建国には「龍宮」との交渉が重要な意味合いを持っているのだが、応神も龍宮と深い関係に陥っている。応神の祖父・日本武尊は、死に結果する東国侵略の途中、安房洲崎沖辺りで海神の怒りに触れ難破しそうになったが、嬬である弟橘姫が犠牲として没した為に、漸く難を逃れた。海を制御するため水底に沈んだ弟橘姫と、海を制御する龍宮の干満双玉は、無関係だろうか。リフレイン、照応や伏線や下染めが好きな馬琴が日本神話を書いたとしたら、応神付近の物語を、遙か過去に始点を移動し、応神前史として手を変え品を換え繰り返し描いたかもしれない。即ち、日本書紀と似たものとなったことだろう

 

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第二回

 

「一箭を飛して侠者白馬を■(リッシンベンに呉)つ両郡を奪ふて賊臣朱門に倚る」

 

【杣木朴平の前に立ち塞がる那古七郎。天津兵内は既に倒されている。洲崎無垢三は武士を討ったところ。武士が何人か斬られて折り重なっている。山下定包が軍勢を率い近付いている】

 

落羽岡に朴平無垢三光弘の近習とたたかふ

 

山下定かね・那古ノ七郎・杣木ノぼく平・洲さきのむく蔵・天津ノ兵内

 

★背景に地蔵を載せた「供養塔」。地蔵は宝珠を手にしていると思しい。七郎の胸の紋は描き込まず

 

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第三回

 

「景連信時暗に義実を阻む氏元貞行厄に館山に従ふ」

 

【館山城内。里見義実が二人の侍に矢を向けられ廊下を歩いている。堀内貞行と杉倉氏元は、それぞれ数人に槍を突き付けられ義実に従う。貞行は右手の三方に宝珠らしきものを二つ載せている。奥の上座に安西景連と麻呂信時。近臣が左右に居流れている】

 

景連信時義実を威す

 

安西かげつら・麻呂のぶ時・里見よしざね・杉倉氏元・堀内貞行

 

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第四回

 

「小湊に義実義を聚む笆内に孝吉讐を逐ふ」

 

【細かい葉の茂った木のもとに床几を立て座って釣り竿を構える里見義実。向かって左手に堀内貞行が座位、立位で杉倉氏元が控えている。右手から漆に膚を被れさせた怪しい男が近付いてくる。左奥の画面では、煙を上げる竹叢の前に金碗八郎が立っている。農民が集まりつつある】

 

白箸河に釣して義実義士にあふ

 

里見よしさね・堀内貞行・杉倉氏元

 

金碗孝吉夜里人をあつむ

 

金まり八郎

 

【金碗八郎の槍に喉を突かれて萎毛酷六が谷に落ちている。左奥の場面では、八郎が酷六の妻子を谷底に追い落としている】

 

笆内に孝吉酷六を撃

 

金まり八郎・しへた毛こく六

 

★酷六を討つ八郎の背に立てた旗は五輪塔。画面に奥に酷六の妻子を谷底に追い落とす八郎が描かれているが、此方の旗は鮮明でなく判別は不能だが、五輪塔ではない。八郎の手勢は狭い山道にも拘わらず、鶴翼に連なって酷六たちと戦った

 

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第五回

 

「良将策を退て衆兵仁を知る霊鴿書を伝へて逆賊頭を贈る」

 

【玉下城攻めの図。里見義実に寄り添う金碗八郎。旗本は十人ほどか。堀内貞行は少し離れた場所にいる。妻立戸五郎が城に向かって馬を走らせている】

 

瀧田の城攻に貞行等妻立戸五郎を追ふ

 

里見よしざね・金まり八郎・堀内貞行・妻立戸五郎

 

★此処での金碗八郎は旗を差していない。里見義実の辺を「南無妙法蓮華経」の旗を差した騎兵が走る。妻立戸五郎を追うつもりのようだ。第四回に於いて、八郎は義実を小湊に連れて行く。安房は日蓮の出身地のため題目宗が多く、「就中長狭郡は祖師誕生の地なればにや苟且にも他宗をまじへず偏固の信者多かりける」。八郎は日蓮出生地すなわち聖地である誕生寺近くの竹叢に放火した。聖地の一大事だと多くの信者が集まったところでアジテーションを始めた。即ち、義実を奉戴して山下定包と戦った者たちには、日蓮宗の信者が多かったのだ。義実挙兵は、日蓮宗信者あってのものであった。正木家出身で家康の側室として紀州徳川家の源流となった万は熱心な日蓮宗信者であった。徳川家康も一時は日蓮宗の僧侶に帰依していた。後に宗派を改める。八犬伝は特段、日蓮宗の色彩は感じさせない。丶大は如何やら禅宗だ。故に八犬伝を読む上で日蓮宗に特別な注目をする必要は感じないのだが、作中事実として義実を奉戴した者の多くが日蓮宗信者である点は、或いは記憶しておいて良いだろう。頑固で通っていた日蓮宗信者だからこそ、これぞと認めた義実を奉戴し軍事行動にまで突っ走った、との隠し設定ぐらいは馬琴は抱いていたかもしれないから

 

【御簾を引きちぎり向かって左手に逃げようとする山下定包が振り返りざま尺八を妻立戸五郎に投げつける。右手に当たって戸五郎が倒れる。其の背後で岩熊鈍平が太刀を抜きかけている。頭上を三羽の鳥が飛ぶ。脚に手紙を付けている。本文では鳩が運ぶが、挿絵では鳩に見えない】

 

鈍平戸五郎便室に定包を撃

 

岩熊どん平・妻立戸五郎・山下定かね

 

★三人の頭上に里見側の宣伝文を運ぶ鳥が描かれている。宣伝文は山下定包の非を挙げるものであった。効果は大きく、山下側は動揺し里見側に降伏しようとする。妻立戸五郎と岩熊鈍平は状況の変化を察知し、定包を裏切る。持久戦に持ち込めば、山下側に勝機はあった。里見側の勝利は、まさに此の宣伝文による。穿ちこそないが、本文内容を巧く表現している

 

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第六回

 

「倉廩を開きて義実二郡を賑す君命を奉りて孝吉三賊を誅す」

 

【二人の雑兵に押さえ付けられ藻掻く玉梓に死刑執行人が刃を振り下ろそうとしている。山下定包・妻立戸五郎・岩熊鈍平の首が手前に転がっている】

 

賞罰を締にして義実玉梓を誅戮す

 

玉つさ・定かねが首級・戸五郎が首級・どん平が首級

 

★美女が刑戮されようとしている残酷な場面。際どい描写/毒も大衆小説の魅力に数える者もいる

 

【馬同士で擦れ違いざま麻呂信時を長刀で討ち取った杉倉氏元。左奥の画面で、信時の首実検をする里見義実。横に座る武将は一人。金碗八郎か堀内貞行だが、不明】

 

氏元勇を奮て麻呂信時を撃

 

杉倉氏元・麻呂信時

 

★麻呂信時の首を実検する里見義実に朝日が降り注いでいる

 

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第七回

 

「景連奸計信時を売る孝吉節義義実に辞す」

 

【滝田城内。縁側で金碗八郎が切腹している。傍らの三方に感状。背後で杉倉氏元が座ったまま扇を開いて振り上げている。八郎の腹の辺りから玉梓怨霊が漂い出て振り向き心地よさげに八郎を見下ろしている。八郎の傍らに立ち玉梓を見上げる里見義実。庭に加多三を背負った一作が左手で洟をぬぐい泣き顔で八郎を見詰めている。襖には体に百八ほども白斑がありそうな唐獅子が描かれ、玉梓を睨んでいる。足下には牡丹が描かれている。堀内貞行も同座している筈だが描かれていない】

 

一子を遺して孝吉大義に死す

 

杉倉氏元・金まり八郎・里見よしさね・百姓一作・上総の大介・玉つさ怨霊

 

★賞を辞して金碗孝徳が唐突に切腹した事件を、「春秋左氏伝」の描く晋文公/重耳説話に登場する介之推に擬する論者もあるか。

 

     ◆

晋侯賞従亡者介之推不言禄禄亦弗及也。推曰献公之子九人唯君在矣恵懐無親外内棄之天未絶晋必将有主主晋祀者非君而誰天実置之而二三子以為己力不亦誣乎竊人之財猶謂之盗況貪天之功以為己力乎下義其罪上賞其姦上下相蒙難与処矣。其母曰盍亦求之以死誰■對のしたに心/。対曰尤效之罪又甚焉且出怨言不食其食。其母曰亦便知之若何。対曰言身之文也身将隠焉用文之是求顕也。其母曰能如是乎与汝偕隠。遂隠而死{僖公廿四年}

     ◆

 

実は、この話の前段として、放浪から凱旋した重耳を幾人かの者が訪ねてくる。旧法を犯してまで苦境にあった重耳を援助した者達だ。当初は敬遠していた此らの恩人を、遂に重耳は賞する。このように積極的な申し出を以て賞を得た者たちに続いて、介之推のストイックに過ぎる説話を載す以上、後者が強調されている。介之推の論理は【天の意思が重耳を晋公の座に就けたのであり人為の介在は意味を成さない。故に人為を施したといって賞を求めるは、無価値なものによって賞を受け取ることであり、盗みに等しい。重耳も人々も、此の天の理を理解していない。だから当然、自分は禄を求めることはしないし、重耳たちと同じ空気を吸うことさえ厭わしいので、世俗から隠れて生きることにする】ぐらいだろう。

実を言えば、放浪生活の中で重耳は何度か暗殺されかけた。其のうち幾度かは、【天に愛され晋公に就くであろう重耳を犯せば重い天罰が降る】との論理によって暗殺者が思い止まっている。重耳を守っていたものは、【天の意思が重耳を守っている】との幻想もしくは預言であった。此の論理は、介之推ら、重耳に忠節を尽くした者達の主張でもあったろう。そういえば、重耳が晋に帰還する直前、亡命当初から従っていた子犯が袂を分かつて遁世する。子犯は重耳から預かっていた璧を返して去ろうとするが、重耳は黄河に壁を投げ捨て子犯の前途を祝福する。実は此の子犯こそ、逃亡当初に重耳が狄でヌクヌクと安住しようとした折、重耳を酔い潰した挙げ句に拉致して無理遣り逃亡生活を続けさせた張本人である。従者たちの論理からすれば、重耳の意思に反していようが如何しようが、重耳は晋に戻って公とならねば、天の意思に背くことになるのだ。総ての反論、重耳の意思すら踏みにじって、従者たちは重耳を晋に戻すべく尽力した。天の理を主君に遵守させることこそ、本来的な忠であり義である。そして、自ら主張していた文脈に、自らを従属させることは、信である。従者たちは、天の理を強調し続けなければ自らの主張してきたことを全うできないと、考えてしまったのだろう。だが例えば一旦は重耳のもとを去った子犯は、いつの間にか舞い戻って上将軍に納まっている。結局、介之推が死ななければならなかった理由は、【重耳が介之推のことを忘れていた】からに尽きる。積極的に褒賞を求めることは天の理の成果を盗むことになるので出来ない。このことを母に説明する中で、重耳が馬鹿だと悪口を叩いた。当時は君臣関係が、組織への従属ではなく個人的関係の側面が強い。主君個人を否定することは君臣関係の解除に繋がる。現在の従属関係とは決定的に異なる点だ。介之推は、故に出奔せねばならず、伯夷の如く死ななければならなかった。

八犬伝に於いて、暗愚の君を見放して良将に雇われ直すことは是認されている。政木大善をはじめとして、枚挙に遑がない。八犬伝で二君に見えることが禁じられているならば、道節だって現八だって切腹しなければならなくなる。だいたい八郎自身が、裁きの場で、里見義実に仕え直すことを、玉梓に対し釈明している。切腹の場で八郎は、神余家を「故主」としている。八犬伝後半で、犬山道節は、姥雪代四郎の「故主」とされている。代四郎が、里見家に仕えるようになり、犬江親兵衛にベッタリ寄り添うからであった。里見家に仕え直すことは切腹の理由に、なり得ない。二君に見えること自体ではなく、「あの世この世」の主君に対する忠義が両立しないことこそ理由だった。

孝徳が説き破った如く、玉梓が責められるべき罪の中核は、光弘から定包に乗り換えたこと自体ではない。あくまで、密通/裏切りこそが罪であった。しかし、玉梓としては、陳述したことこそ、自らの違法性棄却事由だ。自分が断罪されるならば、二君に見えた者も罪せられねばならない、と主張する。しかし、八犬伝世界では、二君に見えることは禁止されていない。八郎の論理では、里見義実に仕え直すことで、山下定包を討ち、神余光弘への仇を返したのだから、仕え直すことも故主の為になっている。即ち玉梓と八郎では、抑も話が食い違っているのだ。

八郎は元々、【奇妙な程に過剰な正義感をもつ一種の変態さん】なのである。八郎の胸中を想像してみる。元々互いに無関係な事実、A【洲崎無垢三と杣木朴平が共同で神余光弘を殺した】B【洲崎無垢三と杣木朴平は金碗八郎の元従僕であり八郎が武芸を教えた】が八郎の中で、結び付いてしまった。八郎の心は、押し潰されそうだった。其処に義実が、C【里見家が君主となって八郎は神余家時代より優遇される】を重ねた。心の重みが、八郎のキャパシティーを超えた。八郎は、自分の心に追い詰められ、切腹するしかなくなったのだ。

神の傍らから八犬伝世界を覗いている読者にとって、ABCが互いに無関係であることは自明である。が、八犬伝世界の住人にとっては、如何か。特に悪人は邪推し、とにかく相手を貶める。ABCを操作すれば、【金碗八郎は里見義実に仕え直して神余時代よりも優遇されているが、其れは八郎が無垢三・朴平に武芸を仕込み神余光弘を暗殺させ、義実が領主になる道を開いたからではないか】と、疑おうとすれば疑える。あり得ぬ事とはいえ、敢えて如斯く邪推するならば、八郎を裏切者と指摘し得る。玉梓裁判に於ける争点の一つ、裏切り/密通を、八郎も為したことになる。玉梓糾弾の理由の一つに裏切り/密通を挙げた八郎は、自らの裏切りを否定し潔白を証明せねばならない。異常/ナンセンスな程に、潔癖症だ。そんな非常識な邪推なぞ、無視すれば良い。其れが、常識だ。例えば筆者は、一人暮らしの女性が犬と暮らしていても、別段、獣姦しているとかバター犬だと疑ったりしない。此処を読んで下さっている方も、同じだろう。しかし例えば、八房と水入らずに暮らす伏姫は、身の潔白を証明しようと、切腹までした。伏姫と同様に八郎も、過剰な正義感/潔癖症によって、悪人の陰口を妄想し、自分を追い込み切腹したのだ。八犬伝では、義士に怨霊が憑くことはない。玉梓は八郎が「刀の錆」になることを願い呪ったが、八郎の切腹は、玉梓の呪い故ではない。八郎の切腹は、あくまで八郎の{異常なキャラクターに根差した}意思による。伏姫も同様だ。

偏執的なほど潔癖な伏姫と八郎は、本質を同じくする。また、八犬士は宿祢姓金碗氏を継ぐが、丶大の義子としてではなく、八郎の子としてであった。犬士は八郎の子として扱うべき者なのだ。筆者は、金碗八郎が、伏姫の宿世だと考えている。七夕の日に金碗八郎の切り開かれた腹から漂い出た玉梓は金碗大輔と出会い、恐らく七夕、八房として大輔に殺された。八郎は伏姫として再び切腹し、玉梓/八房と伏姫/八郎の気が相感して成った犬士の精が、虚空に飛び散る

 

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第八回

 

「行者の岩窟に翁伏姫を相す滝田の近邨に狸雛狗を養ふ」

 

【斑子犬が狸に抱かれている。狸の背中に空から「玉つさ怨霊」が入っているように見える。堀内貞行が怨霊の来る方向を見上げている。僕二人も同様の箇所に目を向けている。夜空の月は二十四、五夜。左奥に五十子らしき女性が役行者に伏姫を捧げる恰好をとる。女房・童女が侍る】

 

玉つさ怨霊

 

伏姫を相て異人後難を知る

 

伏姫

 

瀧田の近村に狸狗児を孕む

 

堀内貞行

 

★堀内貞行が纏う羽織の紋は星梅にも見えるが未詳。但し、此の時点で貞行の紋所は定まっていないと見るべきだろう。後に「内」字紋を使う

 

【松の根本に股立ち取りつつ仁王立つ金碗大輔。足下にバラバラ死体や鑓など散乱。斬り捨てた敵兵か、味方の雑兵か。松の向こうから騎馬の蕪戸訥平が迫っている】

 

真野の松原に訥平大輔を逐ふ

 

金まり大すけ・かぶ戸とつ平

 

★目立たないが詳細に見れば、雑兵のバラバラ死体が散乱している残酷な描写

 

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第九回

 

「盟誓を破て景連両城を囲む戯言を信て八房首級を献る」

 

【安西勢に攻められている滝田城内。踏ん張り立つ里見義実を、安西景連の首級を銜えた八房が見上げている。義実の左右に前髪立てた嫡子義成、杉倉氏元。別室窓から伏姫と女性一人が八房を見下ろしている】

 

戯言を信じて八房敵将の首級を献る

 

里見よしさね・杉倉氏元・里見よし成・伏姫

 

【座敷らしい場所で、伏姫が背後から八房に裾を踏まれ帯を噛まれ、立ち上がれないでいる。横合いから里見義実が鑓の石突を八房の脇腹に突き付けている】

 

義実怒て八房を追んとす

 

伏姫・八ツ房・里見よしさね

 

援引事実昔高辛氏有、犬戎之寇。帝患其侵暴、而征伐不克。乃訪募天下、有能得犬戎之将呉将軍者、賜黄金千■(カネヘンに益)邑万家、又妻以少女。有畜狗、其毛五彩、名曰槃瓠。下令之後、槃瓠俄頃銜一頭、泊闕下。群臣怪而診之、乃呉将軍首也。帝大喜、且謂、槃瓠不可妻之以女、又無封爵之道、議欲報之、而未知所宜。女聞以為、皇帝下令不可違信、因請行。帝不得已、以女妻槃瓠。槃瓠得女、負而走入南山石室中。険絶人跡、不至経三年、生六男六女。槃瓠因自決妻。好色衣服製裁皆有尾。其母後以状白帝。於是迎諸子。衣裳■文に欄のツクリ/斑、言語侏■ニンベンに離のツクリ/、好入山壑不楽平曠。帝順其意、賜以名山広沢。其後滋蔓、号曰蛮夷。今長沙武陵蛮是也』又北狗国、人身狗首、長毛不衣。其妻皆人、生男為狗、生女為人。云見五代史

 

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第十回

 

「禁を犯して孝徳一婦人を失ふ腹を裂て伏姫八犬士を走らす」

 

【富山石窟内。文机に硯を置き巻物を広げている。脚を曲げ横座りになった伏姫が右手に巻物を持ち、腰の辺りに突き付けている。背後から優しい瞳の巨犬八房が見下ろす。右上から金碗大輔が鉄砲の狙いを八房に定めている。横に小さく女性三人と供人らしき男三人が座って控えている】

 

一言信を守て伏姫深山に畜生に伴はる

 

やつふさ・伏姫

 

★スケベェ故の僻目かもしれないが、伏姫が腰の辺りに経典らしき巻物を突き当てている点が気になる。自慰しているのだとは決して云わないが、其の様にも見える。いや、だから、自慰しているとは思っていないってば!……ただ、法華経と思しき経典から、伏姫の子宮に何かが迸り注ぎ込まれているようにも見える。より精確に云えば、八房の気/精が法華経を経て浄化され、伏姫の子宮に奔入している。ならば、金碗大輔の銃から発した弾が八房に届き、混じり合い、伏姫の胎内に注がれている、とも解ける。但し、大輔/丶大は、犬士を自分の義子にすることを拒んだ。拒否は出家者ゆえであったが、犬士が八郎/伏姫の子であると、馬琴が隠微に示したのだろう

 

 
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