■小説比翼文のエロス■

 まず一文を掲げる。

     ◆
享和三年弥生も半過る頃、杜鵑鳴たつ春の青山のあなたなる。目黒の不動尊に参れり。此地は古しへの牧の荒駒出せしより驪{めぐろ}の名は有けるを。今は目黒と書を以て。後人附会の説をなすとかや。なほ此処彼処うかれ歩く程に。永き日あしもかたふきて。物ほしうなりぬ。爰にうたかたの粟餅ひさぐ家あり。是なん此あたりには。名たゝる物から。やがて其家に立よるに。餅は今爨侍る。少刻待せ給へと云。さらば憩て道の労をも晴すべし。とく搗{かち}てよと云つゝ枕して目睡ぬ。夢心に道の程五六町立出て見れば竹垣あやしく締捨たる庵あり。庭の遅桜咲みだれし。木の間たち潜{くき}。鳥の声/\。浮世の外の春に住馴けん人のうらやましく。暫し垣間見をれば。中より二八ばかりの女の。其さま唯妍{あてかは}に紫のいろ濃衣被たるが立出て誰そと問ふ。己しか\の者なりと名告に。■ニンベン者:さて/は年頃聞及びぬる風流士にておはせ。主人も友ほしく思ふ折にしあれば。此方へ入らせ給へと伴ひぬ。座敷は席四ひら斗り設。竹の柱は朽て馬蜂栖を得。軒端の萱すゝけて燕巣を失ふ。あるじはかゝる葎屋に似げなき美少年なりけり。深山の雪の消やらぬ身をかこち。くれ竹の世を捨たる人共見えず。如何なる故にや田舎には引籠居たまふらん。いと覚束無くこそと云に主人少し恥らひたる様にて。怪しみ給ふも道理なれ。己聖の文にもうとく。又山水を楽しむ者にも有ず。尊も卑きも。色に耽て夏虫の身をこがし。蝸牛の家をうしなひ。遠き国にさすらひ。知らぬ田舎に住はてぬる類なりかし。されば天地開けしより。男色女色の二道行はれて。天神七代の間女体なし。是男色の根本なる由大鏡の作者は云ける。こは槿の花の夕にしぼみ。朝顔の日影待で。盛いとみじかき物から。夫さへ百歳の身を果す人も侍るめり。昔空海法師此道を伝へん為に入唐して。石橋の危きを渡り。衆童の奥義を極しより。真雅僧都の常盤の山の岩つゝじと詠りしは。業平の俤わすれ難きをかこちけん。或は蓮生法師が弓卒塔婆。或は僧正坊が形見の羽団扇。兼好が命松丸をいたはり。義鑑坊が義晴にかしづくなど。此類なほ多し漢土の鄧通は。文帝に愛せられて孕りとも云。哀帝は董賢を后の如くし。弥子瑕が食さしの桃には衛の君の涎を流させ。東坡に涙こぼさせしは。李節推が手柄なりけり。異国本朝此たはぶれ盛に成行く儘に。伽羅に増したる甚之助殿てふ狂歌は。二百年前の秀句なりや。白拍子の流れ二筋に漲り落てより。歌舞伎の色子世に賞せられしは。竹中庄太夫。香之助。一学。初太夫。伊織。又中頃は。小紫。藤田皆之烝{ママ}。伊藤小太夫。松島半弥。坂田小伝次。つゞきて市村玉柏。山本かもん。山下亀之烝。袖崎歌流。中村千弥。岩井左源太。中村岸之助。津川半太夫。松本重巻。これらは都の花といふ。よしや難波の芳沢あやめ。浅尾十次。花井あづま。鈴木辰五郎が舞台顔心有る人に見せばや津の国の西鶴が発句にも。顔見せや判官贔屓鈴木方と。誉けるは是なりとか。峯の小ざらしが。きぬ/\の怨より放ちける。鶏が鳴く東路にその名聞えたる左近右近は三寸五分の振袖に。帯は蘇枋染の麻を組織にし。幅は二寸五分を限りとして跡先に房を付て。四五寸結び下け髪は百会の上にて元結まき立て額髪を左右に分。女形に出立つ時は。白き手拭を眉の上に掛て。是を後にて合せ。赤絵の扇をさしかざして。面白の海道下りや。筆に書とも及ばじと云歌一つを。二三年習ひて太夫と呼ばれ。小栗の清水の段。桶と柄杓を肩に掛け。照手の姫を狂言の始めとせし由。古老のいひ伝へ侍る。是等を今の世の色子にくらぶれば。花の傍なる深山木なるべけれ共。其頃この色現れし事。今に勝りたるこそいと怪しく侍れ。己も兄としたのめる人無きにあらねど。一度妓女の色に染みしより。其人としも遠くなりて。かゝる詫人とはなりぬと云。又彼女のいへりけるは。さなきにも女は五障の罪深きに。宿遊びと成ぬる身こそなほ浅間しくも悲しく侍れ。そが中に。傾色に名高きは葛城定家。その後京によし野江戸に勝山。大坂に利生とて。第一芸をむねとして和歌の道に心を寄せ。印籠巾着の緒じめに珊瑚琥珀を撰み太夫と呼れながら後帯にして。四つ折の半紙をふところ紙とし。茶の湯十種香をたしみ。琴三弦を攪ならし。こゝを通る熊野道者。手に持たも梛の葉。笠に挿たも梛の葉といふ歌を引染めて。是を梛ぶしと名付しを後に投節とあらためて籠の鳥かやうらめしやと云唱歌を箕山が作り出せしより。此一と節都鄙に伝へて。堺の陸達が妙音には。田舎人の耳を驚かし。東には八重梅といふ新曲行はれ。又土手ぶしてふ。小唄も是より出て英何がしが作も有りとぞ聞え侍る。されば中頃迄太夫道中する時は。禿二人に三弦を持せて。前に立せけるも。此等の名残とぞ知らる。■ニンベン者/よしなき昔語りそて。釈迦の御前に経を説心地し給ひけん。君が年々の冊子。絶えず雨後のつれ\を慰め侍る。此頃は如何なる事をか綴り給へる聞まほしと云。やつがれ此物語を聞て。膝の席に進むを覚えず。やがて懐中より二巻の冊子を取出して云らく。己才みじかければ。珍かなる筆ずさみも侍らず。此双紙は往年何がしが筆に著してより。年毎に歌舞伎狂言にすと云。平井幡随が事書る物なり。心に止むべき物ならねど。閑居の伽にもやと。打開きて差置ば。彼の人忽ち脳し気に見ゆ。こは如何なる故にか是等の事をば忌給ふると問ふに。主人の少年つと立上りて。君若し我々が名を知らんとならば行て彼処の塚を見給へといふ。声未だ終らず風さと吹来る程こそあれ。今迄在ける人は見えず。頂きの上に家も崩るゝが如き音するに怕れて一と声あと叫ばんとする時驚きさめぬ。是南柯の一夢なりけり。往昔唐の開元七年。処士廬生てふ人。邯鄲に旅宿りして呂翁が枕を枕とし。五十年の栄枯を夢見しと沈既済が枕中記に見えたり。我夢夫には異にしあれど。彼も我もさむる粟の蒸るを待ず嗚呼前身と云べきや。はた後身といふ可きや。今又呂翁を見る事無し遂に身を側て起上らんとすれば。比翼塚のほとり雉子しきりに鳴て。春の日漸く西に入ぬ
                       曲亭馬琴子
                        蓑笠隠居
     ◆

 性に就いて語っている。半ば過ぎまで男色、最後に女色を売る遊女に言及する。則ち、【正規の性】ではなく、性の逸脱をテーマにしている。日常茶飯なルーティンではなく、人生の祝祭/ハレの場としての性である。祝祭は、溜め込んだ日常のケ/ストレスを発散させるべく、過剰に消費する晴れやかな開放空間だ。此の発散は、或るいは性的放埒となり、或るいは大義名分を立てた闘争となる。非日常あるいは非現実を語る稗史で、勧善懲悪を標榜するなら、後者に親縁性が高い。日常のケ/社会矛盾を、ハレ/理想状態によって超克する虚構が、稗史である。
 馬琴が少年期、主家の伜に理不尽をされ、出奔した事実は有名である。「理不尽」の内実は必ずしも詳らかではないが、馬琴個人の常識を超えた扱いを受けたことは確かだ{→▼「九等分」参照}。例えば、身分制は身分制として、各身分間の鬩ぎ合いによって醸成され定着した常識が一般に履行されていれば、存続する。しかし例えば、大塩平八郎の乱時のように、統治階級である武士が、武力を以て治安を維持するという本来の義務を果たせないと暴露された場合、被支配階級からは不満が噴出する{→‎▼「のっぺらぽんのすっぺらぽん」など参照}。

 例えば田原藩の事例では、いや偶々馬琴と縁のある渡辺崋山が年寄{/家老}を務めたから引き合いに出すだけなのだが、藩財政が破綻しつつあったとき、執政の権利と義務を有する渡辺崋山は藩士の俸禄を抑える政策をとった。のべつまくなし領民に負担を転嫁するべきではないからだ。武士は食わねど高楊枝、小藩とはいえ家老クラスの意識は、統治者としての義務を明確に自覚するものであった。一方、上士ではあるが、やや下級の小姓クラスになると、統治者としての意識より奉公人としての感覚が勝るため、カットされた賃金では暮らしていけないからと三両の拝借を願ったりした。忠義の担保は俸禄だとの論理だ。現代風に云えば、労働組合の論理かもしれない。しかし労働組合はプロタリアート/被支配層の組織なんだから其れで相応なのだが、小姓とはいえ武士なんだから、庶民から見れば支配階級なんである。小姓だからといって、藩主にケツマンコ差し出すだけが仕事ではない筈だ。此の三両拝借を願い出た小姓クラスも領内の実情を調査し藩財政を立て直す業務に従事していたのだけれども、家老クラスと権限/自律性に差があるので、統治者側でありながらも奉公人/被支配者としての意識が前面に出てくるのだろう。則ち、主君の浪費を諫め藩士の収入低下を決定した崋山は、正しく統治側の人間であった。統治の執行権を分与されている家老らしい態度だ。対して、より権限の小さい小姓クラスには、奉公人の論理の方が強い。如何だけ主体的に統治と関わるか、関われるか、によって意識の差が生じるのだ。一口に「武士」と云っても、階層によって意識は異なる。贅言すれば、此の中途半端な支配層、下級武士が原動力となって成立した政権が、道徳上、極めて歪な意識を蔓延させたことは想像に難くない。則ち、統治者としての義務感・責任感が希薄でありながら、統治の中核に登り詰めた者どもによる、倫理破壊だ。下級武士でありながら、藩主や有力者に抜擢されることにより権限を授与されたから、藩主や有力者への絶対的忠誠のみを担保に権限を行使した。最終責任は当然、藩主や有力者が負う。其処には本来、統治者が統治の権限を行使する根拠である「民のため」という意識は生じ得ない。ただ上位者に対する忠誠さえ見せつければ、責任なき権限行使が許される。平成二十三年三月までに従来の原発行政が完全に間違っていたことが明らかになったが、公務員どもは間違いを認めていない。当たり前だ。前任者もしくは上位者に云われた通りにしていただけなのだから、自ら責任を感じることが出来ない。マッカーサー元帥は敗戦時の日本人を「十二歳」と揶揄した。云われた通りにしか出来ない、自律できないガキだとの謂いであった。現在の公務員は、当時の其れより退化しているので、三歳か五歳か七歳か、いや人であることすら辞めているのかもしれない。自らの間違いを認める知性や覚悟を期待する方が、如何かしている。
 そもそも「権力」そのものは、権{かり}の力だ。実体は、暴力だったり、宗教的あるいは倫理上の強制力だったりする。実力を行使するまでもなく、其の実力が背後に存在することを想定せしめ、以て人々を動かすモノが権力であって、実体を包むオブラートみたいなものだ。絶えず行使せねばならないなら疲弊が激しくなり、持続できない。監獄のように監視に都合よい建造物内ならマダシモ、社会全体に満遍なく暴力装置を配置すれば、とてつもなく効率が悪い。効率を考えれば、「必要最小限」の暴力のみ保持し、あとは睨みを利かせるだけで、暴力行使を連想させる方が良い。圧倒的暴力の連想により、近代国家の治安は守られている。此の意味に於いて、権力はフィクションに過ぎない。前近代国家であっても、刀剣・弓矢、せいぜい単発銃で武装した「武士・卒」が帯刀してウロウロしていた程度だ。庶民と武器に絶対的な差はない。其れでも治安を維持できた理由は、「武士」に対する幻想が存在したからだ。まともに武力を振るえない「武士」なぞ、単なる穀潰しに過ぎない。商業都市/大坂で、武士に対する幻想が完全に見透かされた大塩平八郎の乱は、まさに八犬伝刊行中の天保八年に起こった。所謂「明治維新」まで、あと三十年しかない。

 ……危うく本題を忘れるところであったが、冒頭に掲げた一文は、「小説比翼文」の自叙である。高尾舩字文に続く、馬琴の最初期読本{中型本}だ。ぶっちゃけ、あまり出来が佳いとは思えない。稚拙なのだ。ただ、性愛に関しては極めて濃厚甘美、有り体に云えば変態的ほどの記述がある。但し具体的行為の描写は皆無だ。筆者の関心に即して概略を掻い摘めば、以下の如きとなる{→▼より詳細な「要約」}。

     ◆
源頼光四天王の一人、保昌の後裔/平井家は代々武蔵国に住み武芸を教えていた。当主の右内は若い頃、折衝を好み、或るとき野に出て牡雉の首を射飛ばした。首が見つからぬまま翌日、牝雉を射殺した。牝雉は翼に、牡雉の首を抱いていた。雉は家族の恩愛が特に深いとの共通認識が背景に在る。右内は慙愧・感悟して、二度と殺生をしなくなった。
右内は武芸に秀でていたが、廉直の士であったため、弟子が少なく貧しかった。一方、同じく武術を教えていた分家の本所助太夫は、未熟なものの、口が巧いため、弟子が多く豊かだった。ある日、右内は、目黒瀧泉寺門前に、妻の従兄弟/西村保平を訪ねた。自分より貧しい保平に同情し、右内は、娘おきじを将来は自分の息子/権八に娶わせる約束で、引き取った。おきじは権八より一つ年上で、大人びてはいたが、二人は絶えず喧嘩ばかりしていた。右内が教訓しても直らない。権八が七歳のとき、庭先に小鳥を見つけ、破魔矢で射ようとした。突然おきじが障子を開けて飛び出してきた。小鳥は驚いて逃げた。狙っていた小鳥に逃げられ権八は激怒、おきじに向け破魔矢を放った。額に中り大量に出血したが、傷は深くなかった。見かねた右内夫婦は、占屋算に相談した。おきじは亥年午日生まれ、権八は子年戌日生まれだった。占屋算の見立てで、おきじは午/火性であり、火剋金、戌/金性の権八を剋する。一方、火性は戌/秋に衰える。互いに相手を滅ぼす。相性は最悪である。しかも子は正北/陰/水性、午は正南/陽で朱雀。朱雀は雉{おきじ}であり、子と真逆に位置する。陰陽敵し、水は火を剋するため、大凶。おきじと権八は、互いに剋し合う関係にある。成人すれば、意識の上では互いに睦み合いつつも、最悪の運命を辿る。右内は、若い頃に雉のツガイを殺したことを思い出し、自らの殺生が子に報いていると悟った。おきじを保平のもとへ帰した。困窮した保平は、右内を恨み、交わりを断った。
権八は十六歳、絶世の美少年となっていた。一つ下の妹/おつまも兄に劣らず美形に育った。右内は書にも長けており少年少女に手習いを指導していたが、おつまと机を並べて学ぶ助太夫の倅/助市は、いつしか、おつまを将来の妻と決めていた。伝染したのか、おつまも助市を慕うようになっていた。いつしか二人は成長し、助市が寺内に通わなくなる。会うことも稀となり、おまつは寂しさを感じている。
右内の家には長年飼っている犬がいた。黒い毛に白い斑が三つ四つ交じっているので名は「三四白{みよし}」。おまつは三四白の首に着けた筒に手紙を入れ、助市のもとへ走らせた。文通が始まる。おつまが余りに三四白を可愛がり手元から放さないため、人々は、おまつが三四白に魅入られたのだと噂する。要するに、獣姦である。
この年の秋、右内の妻は病床に就く。医者は、高価な人参と熊の膽でなければ効果がないと云う。右内は、ある限りの衣服・雑具を売り尽くし、薬に代えた。話を聞いた助市が十両をもたらす。この後も助市は折に触れ訪れ、右内を労う。九月二十一日、妻は亡くなる。法事が済み右内は、十両の担保として累代の宝刀/夜行丸を助太夫に託す。
天下は泰平、文武は盛ん、一芸に秀でた者は禄を受ける世であった。奥羽の大名が、右内・助太夫に試合をさせ勝った者を召し抱えると云ってくる。その夕、助太夫が右内宅へ忍んで来る。自分は年も若く未熟で負けることが分かっている、せっかく多くの門人がいて豊かな生活を送っているが、負けると弟子も離れ住み慣れた土地から出て行かねばならない、何より弟の助市が可哀想なので、手加減をしてほしい、夜光丸を返し新たに得た禄を分けて権八を養う、と涙ながらに口説く。右内は、十両の恩を思い、負けを覚悟する。「そは足下と我心にあるべきなり」とだけ云って、助太夫を帰す。
試合が始まった途端、右内の木刀が折れる。実検使は木刀を替えて再試合するよう促すが、右内は負けを認めて立ち去る。後で聞けば、右内が休憩所で鍔元に小刀目を入れていたという。父の勝利を確信していた権八は、負けと聞いて驚き、今から自分が行って父の代わりに勝負を決すると息巻いて、飛び出そうとする。右内は、行くなら親子の愛も此までだと制する。おつまは、父が負けたことのみならず、助太夫が陸奥に行けば助市と永く別れることになると悲む。したためた文を三四白の首に結び付け、助市のもとへ走らせる。夜分に返書を首に提げ、三四白が戻る。高く吠えると、おまつが急いで出てくる。おまつが三四白に魅入られていると聞いた右内は、おまつと三四白との逢い引きかと誤解する。三四白を射殺す。おつまは助市との文通に三四白を使ったのだと白状し、返書を見せる。返書の短冊には、「むさし野にありといふなる迯水のにげ隠れても世を過すかな」俊頼朝臣の古歌。逃げ出すようにとの謎であった。右内は、三四白の亡骸を吾妻の森辺りに埋め石を建て懇ろに弔った。今でも残っているという漂板{みよし}塚である。右内は権八に短冊を渡し、おまつと助市を婚姻させる決意を語り、時を見て二人に伝えるよう命じる。
本所助太夫の祝宴に招かれたものの、右内は行かない。ただ挨拶だけはしておこうと翌朝、助太夫を訪ねる。試合に負けたのだから夜光丸を返すよう求めるが、助太夫は言を左右して返さない。挙げ句に、おつまが三四白に魅入られたこと、右内が三四白を射殺したことを挙げ、犬侍と罵る。右内は屈辱に耐え、家に帰る。話を聞いた権八は激昂し、飛び出して行く。助太夫宅に至った権八は、一刀のもと助太夫を切り伏せ、逃げ出す。外出から帰った助市は驚き、右内の家に走る。右内は驚く様子も見せず、権八を油断させるため、おつまを嫁にしろと云う。嫁にすれば助市に、仇を討つつもりがないと思って油断するのだと諭す。助市は、おつまを嫁にする。
平井権八は、あてどなく南へと走る。浪速へ向かおうと考える。高輪に至る頃には日が西に傾く。休憩をとった茶店の主に、鈴ヶ森は物騒なのだと警告される。権八は冷笑し、刀があると言い捨てて出て行く。偶々居合わせた幡随長兵衞は、美少年の胆力を賞美し、万が一のときは助けようと追い掛ける。鈴ヶ森に辿り着けば、権八が多くの盗賊と戦っている真っ最中、忽ち三四人を切り倒している。長兵衞は暫く木陰に佇んで様子を窺っていたが、堪えかねて走り出し、「少年助太刀するぞ」と矢庭に二人を斬り殺す。賊は加勢があると見て、逃げ散る。長兵衞は、権八を自宅に匿う。事情を聞いた長兵衛は、権八が事件を起こした本所から大河一筋を隔てたのみだから危ういと考え、権八に女装させる。しかし侠客たちが、権八を美少女と思いこみ口説く始末。却って目立つので、長兵衛は権八を自分の姪だと偽り、遊郭を経営する三浦に預ける。三浦も男子とは気付かない。遊女の小紫に付ける。小紫は権八の誠実さに、権八は小紫の美しさに惹かれる。冬の夜、小紫は権八に向かい、遊郭に来て初めて心開ける相手に出会った、男ならば愛人にしたいと告白する。権八は、自分は男だと明かす。愛し合う。
翌年の星祭る頃から、小紫の妊娠が露わとなる。相手を明かさない。主は、「長兵衛の姪」が半月{ふたなり}ではないかと疑って確かめると、男。長兵衛に相談する。長兵衛は、仇のある身で色に耽るなと諭し、目黒の一朗庵に送り込む。一朗庵は普化道者の流れを汲み一節截を指南して過ごしている。小紫と引き離された権八は、金のない中、遊郭に入り浸る。通えば小紫の出費。其れも続かず、恋路に関を据えられ、中宿の敷居も高くなる。権八は、辻斬り強盗を始める。噂を聞いた長兵衛は怒り、権八を待ち伏せて捕らえる。此の地を離れるように言い含める。
権八は、小紫に別れを告げに行く。自分を殺して行けと迫る小紫と心中の約束。二人は酒を飲む。小紫の額に三日月形の傷が忽然と顕れる。小紫は、おきじであった。権八の破魔矢で付いた傷だった。二人は浅茅が原へ走り去る。十一月二十九日、雪降る夜、黒白も分かぬなか、付出茶屋の軒で雪をしのぎ、最期への準備。がやがや人声が聞こえる。廓の追っ手。権八は小紫を茶店の軒下に残し、道を引き返し追っ手を斬り散らす。
本所助市は千住に住んで権八の行方を捜していたが、おつまが病に伏す。右内に預けようと、おつまを背負い平井村へ向かう。浅茅が原。道を急いだため途中で懐包を落としたことに気付く。おつまを茶屋の軒下に下ろし、探しに行く。戻るとき迷い、偶々近くにいた小紫を、おつまと間違えて背負う。負われた小紫は、助市を権八だと思い込んでいる。権八が元の茶店に戻ると、小紫が見当たらない。隣の軒下で女の呻く声。待ち兼ねて早くも自害したかと疑い、夜光丸で胸の辺りにトドメの一刺し。女は小紫ではなく妹おつま。驚く権八。追っ手が近付く。権八を、おつまの首を打ち落とし、抱えて立ち去る。
一方、本所助市は、遊郭の追っ手に取り囲まれ、初めて小紫を背負っていたことに気付く。敵討ちの大望があるのに捕まるわけにはいかないと、傍らの三谷川へ飛び込む。行方知れずとなる。追っ手は小紫を取り返し、廓へ帰る。
権八は目黒一朗庵に走り、庵主に顛末を語って懺悔、妹お妻の首と短冊を差し出し、本所助市という者が来たら渡してほしいと託す。短冊は、おつまに助市が送った古歌。一朗庵は驚き、自分は西村保平で、小紫は自分の娘おきじだと明かす。権八は奇縁に感悟し、小紫への書き置きを一通残して腹を切る。
権八の最期を聞いた小紫は、寝食を断って死のうとする。長兵衞は見るに忍びず引き取る。長兵衞は、子供を産んだ後にこそ尼ともなって亡き人を弔え、と言い聞かせる。権八の初月忌、小紫は墓に参る。一朗庵と親子の名乗りをして、権八からの書き置きを受け取る。小紫は涙に暮れ、夜すがら仏前で通夜をしていたが、いつの間にか走り出て、権八の墓前で自刃する。一朗庵は小紫を権八の隣に葬る。此の時の石の標が、目黒比翼塚である。後に平井右内は子どもたちの凶事を聞き、忽ち髻を落として清浄の行者となって目黒に至り、一朗庵と共に住み果てる。庵を結んだ場所を行人坂と呼びなしている。
     ◆

 江戸前期に起きた、平井権八一件を題材に採っている。有名な辻斬り強盗事件で、被害者は百三十人に上るとも言われている。実録物など多くの文物に取り上げられた。実のところは、鳥取藩士同士のイザコザが発端の仇討ち事件からハッテンしたのであって、別に男色が本旨ではない。馬琴の小説比翼文では主要登場人物として、旗本奴の播随院長兵衛が登場するけれども、そもそも時代がズレているのでテキトーだ。尤も此の確信犯的錯誤/著名人同士のコラボレーションは、馬琴独自のものではなく、既に先行する文物で強行されていた。但し馬琴は、興味深い事件を好みで脚色/換骨奪胎するのみならず、権八の親が雉子のツガイを殺したことで、子に祟りが及んだことにした。禁断殺生・因果応報という仏教思想により必然性を与えたのだ。

 馬琴は、いきなり読本作家としてデビューしたわけではない。黄表紙などでキャリアを積み重ねた上で、読本作家に移行した。プロ作家として創作活動を行いながら抱き続けたイメージは醸成され続け、より強固なものへとなっていったのだろう。
云う迄もなく比翼文で提出された、鈴ヶ森で血闘する美少年やら女装する美少年やらの要素は、八犬伝でも採用されている。美少年/毛野と仁侠者/小文吾の組み合わせは、伊達ではなかろう。長い間一つのイメージを大切に抱えていたのだからモノ持ちが良いと云うか、筋骨逞しい馬琴の粘着気質が窺える執拗さであるが、言い換えれば、上記の如き断片的なイメージ/イルージョンによって脳裡に提示されたものの【総体】を、長きに亘る読本創作活動を通じて、追求し続けたとも思われる。勿論、四十八歳の時点までに朧気ながらでも、自らの裡に秘めていた「総体」を掴み、執筆した作品が、八犬伝に違いない。
自らの裡に追い求めた一個の宇宙、其れは馬琴にとって外界の投影でもある。人間の意識に於いて、性は少なからざる部分を占める。特に若い頃なら、最優先の行動原理ともなるだろう。貫けば腕の中で強ばる筋肉、耳ざわめかせる喘ぎ、火照った肌から発散する汗の臭いと湿度……抱き締めた【生】を愛し愉しんだ経験が、馬琴に皆無であると決め付けることこそ野暮だ。一個の完結した宇宙を描いたならば、性の要素は必ず存在しなければならない。存在しないならば、「宇宙」を描き切れていないだけの話だ。

 心憎いことに、自叙に於いては、男色に言及した部分にこそ「小紫」の名前が挙がっている。歌舞伎女形の大名跡/岩井半四郎が幼い頃、「小紫」を名乗ることがある。因みに岩井半四郎は、女と見まごう程の美形/平井権八を演じたりもする。元より比翼文が題材にとった平井権八一件に、遊女小紫は登場する。しかし馬琴は自叙で、女形の名優として、わざわざ「小紫」を挙げているから、ヤヤコシイ。自叙を含めた比翼文世界に於いて、「小紫」は遊女/真性の女性でありながら、女形俳優に同名者がいると竊に注釈が付いている。そして遊女/小紫は、「長兵衛の姪」とばかり思い込んでいる美少女に向かって、顔を赤らめつつ性愛をカミングアウトするのである。女形が遊女として登場し、女装した美少年に思いの丈を吐露するのだ。トレビアァァンなレズビアァァン場面にしか見えないが、読者は告白された側が女装した男だと知ってはいる。知りつつ眩惑される。しかも告白した側が、実は遊女に扮した女形であるならば……女-女、女-男、男-男……幻影が目くるめく入れ替わり差し換わる、ドグラマグラ。

 犬士は性の機微を知らぬトーヘンボク揃いではない。年齢の関係上、親兵衞がオコチャマであることは否めないが、一億人の恋人/八犬伝の犬塚信乃は、雷電神社で浜路に対し貞操を守ることを誓う。子孫を残すため愛の無いセックスはするかもしれないが、と限定しつつも、性愛の対象を浜路に限定し封印する。性愛の存在を肯定しつつ封印するのだから当然、其れは極限まで濃縮される。信乃が携える濃縮された性愛は、やがて浜路姫の登場で、再び放出の標的を得る。初出の犬士であるが故に、信乃は犬士全員を代表して、其の性格を描写される。性愛は信乃独りのものではない。犬士の性愛は、拡散し希釈され水っぽいものではなく、摺り下ろした山芋のようにドロドロなんである。ドロドロの性愛は、雷電神社に於いて信乃が告白した直後に霧消するものではなく、キャラクター設定として終盤まで持続していなければならない。信乃ひいては犬士の存在には、絶えずドロドロの性愛が潜在している筈だ。閑話休題。

 結論である。美少年は、社会に於いて男の行動基準で動くけれども、セクシャリティーとしては男と別個であり、男女双方から欲望の対象とされる。擬似的な両性具有/アンドロギュノスである。小説比翼文の本文だけ読めば、目を惹く点は、上記因果応報の色彩を帯びたぐらいのことで、先行する芝居などをノベライズした程度のものだ。ただ其の「ノベライズ」のレベルが半端ではない。表面的なものではなく、歌舞伎そのものを文字に移し替えようとしている。
歌舞伎は、幕府の禁令によって、女優を有しない。一部の選ばれた男優が女性を演じる様式がハッテンした。美しい女形は、男にとって性欲対象であった。其れが女装して舞台に上がり、男と絡み合うのだ。単に「男」が女装して男と絡んでいるのではない。また女形は、平井{/白井}権八など美少年も演じ、男との男色関係も見せ付ける。男-美少年-女という、【三つの性】が流動化しているのだ。
 小説比翼文では、男の中の男/播随院長兵衞と男色関係にある権八が女装して、遊女/小紫と性交に及ぶ。女装した男が女と性交する発想は、先行する中国小説{}にもあるようだが、当時の読者にとって歌舞伎で知られた平井権八物語で採用した点を見逃すことは出来ない。更に云えば、小説比翼文の「自叙」では権八と長兵衞が男色関係にあったと語られ、男の欲望を集めた歴代の女形が列挙されるが、「小紫」の名もある。元々権八物語に登場する遊女は小紫/濃紫だから小説比翼文に登場する小紫も女性である筈だけれども、「自叙」により、其の前提が揺るがされている。作中事実は女性でありながら、わざわざ「自叙」で小紫という女形の存在に言及し、動もすれば絶対化されがちなセクシャリティーというものに、疑問符を突き付けているのだ。其れは平井権八物語のストーリーのみならず、歌舞伎というものが醸す濃厚な妖しささえ、「ノベライズ」する試みではなかったか。

 

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