■従順な補弼者■
 
 南総里見八犬伝第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評に於いて、馬琴は、足利持氏横死の原因を、足利尊氏の「下剋上」すなわち後醍醐帝を追い落とし北朝天皇を立てた行為に求めている。先祖の尊氏が後醍醐帝に対し下剋上したからこそ、持氏は上杉家によって下剋上されてしまったのだ。平衡の論理が、此処にも見られる。オナベとオカマの戦いで、男色家の将軍足利義尚をオカマとすれば、オナベは美女玉梓と配偶した伏姫……ではなく新田流の里見家である。南北朝の争乱には、釜蓋/二引両/足利尊氏と鍋蓋/中黒/新田義貞との対決という側面もあった。八犬伝で里見家は新田義貞の一族であり、現実に於いて徳川家は新田義貞と血縁があると主張していた。
 里見家を新田一族と見て、且つ第一回で里見季基が語った如く、嘗ては南朝の忠臣であったとの情報を強く注視すれば、史実で密接に繋がっていた関東公方足利成氏を敵に回して打ち砕く南関東大戦は、南朝/新田義貞による北朝/足利尊氏へのリベンジ・マッチに見えなくもない。しかし、ならば、後醍醐帝は何処だ。新田一族は里見家として残存している。しかし、南朝帝の後裔は、八犬伝に登場しない。しかも八犬伝では、ヽ大が万里小路藤房に擬せられている。藤房は太平記でも、暗愚なる後醍醐帝に愛想を尽かして失踪した南朝の忠臣であった。俗世を厭うが如く姿を消したヽ大は後に、里見家の徳が薄れたと警告し、安房を立ち去ったようだ。天が里見家を見離したと思しい。しかし、里見家が、後醍醐帝として八犬伝に現れているのではない。
 
 馬琴は、後醍醐帝に下剋上を犯した足利尊氏の行為に対し、およそ百年後に足利持氏が上杉一族に下剋上を以て滅ぼされた事実を以て報いている。筆誅である。勧善懲悪とも謂う。
 
 但し、足利尊氏が悪だからといって、其の悪人に犯された後醍醐帝が善人だとは限らない。八犬伝では、簸上宮六が大塚蟇六を殺す如く、毒を以て毒を制する場合がある。無能同士で舐め合う御仲間成果主義に陥り、実力ある武士たちを排除した後醍醐帝が、日常に生きる健全な一般読者の共感を得られるであろうか。太平記も読史余論も、南朝を正統と認めつつ、後醍醐帝の失政を躊躇わず指摘している。是は是、非は非とするのが、常識ある大人の態度だ。
 簡単に言えば、南朝は、正統だったが、正当ではなかった。北朝が代わった。武士/民衆の支持という正当性を喪ったが故に、天皇の正統性が絶たれたのである。正統性が正当性の証だと主張される場合もあるにはあったが、元来、正当性と正統性は全くの別物であるから、決して混同してはならない。
 馬琴が愛した太平記の万里小路藤房は、後醍醐帝に諫言した。取り巻き連中ばかり可愛がらないで役に立つ者を厚遇せよ、と。太平記を各所で引き合いに出してきた八犬伝が、ヽ大を万里小路藤房に擬した以上、後醍醐帝を本気で肯定評価しているとの想定は不可能である。
 但し、近世にあって、後醍醐帝をアカラサマに批判も出来まい。かといって八犬伝は、北朝に連なる後土御門帝を批判してもいない。八犬伝は南朝帝に下剋上を犯した足利尊氏を責めているし、南朝方の武士を称揚している。しかし其れは、南北天皇への評価と切り離して受け止めるべきことだ。馬琴は武士の去就に関して、評論しているに過ぎない。天皇の善悪に就いての言及は避け、ただ時勢に乗り下剋上を犯した足利尊氏を批判しているだけだ。そして帝の善悪を問わず、分を守って滅亡に身を委ねた南朝武士に、ロマンティックな美学を見出しているだけではないか。八犬伝で馬琴は、暗愚な君主をもちつつも忠義に殉じた小幡東良らを称揚している。暗愚な君を戴いたばっかりに、じり貧となりつつも裏切らなかった南朝武士への鎮魂歌か。
 
 義務教育修了程度の知性さえあれば、太平記が南朝の正統性を主張しつつも後醍醐帝に治天の正当性がないと隠微に語っていると認めざるを得ない。正統が正当性を喪い滅び行く物語、其れが太平記である。太平記は、王朝交代を嗚咽の裡に語っているのだ。南朝は間違いなく、滅んだ。自殺的戦闘を繰り広げる楠木正成ら忠臣たちは、時代に齟齬し親政の正当性を喪って崩れ落ちる正統天皇を、鎮魂する犠牲である。殉死に庶い。
 江戸期には殉死が禁じられていたが、其れは平時の話だ。有事にあっては主君の馬前に散るこそ武士の本懐……などといぅ夢想もしくは自慰満足が蔓延していたならば、南朝「忠臣」へのシンパシィは弥が上にも増幅しただろう。形式的名分論は、帝の不当性を棚に上げて正統性のみ言い募り、簒奪者の不当性のみを強調する。それで良いのか?
 
 八犬伝に於いて、暗愚なる神余光弘は、暗愚ゆえ玉梓に絆され山下定包を重用し、暗愚ゆえ農繁期に狩りへと誘い出され、命を落とした。悪逆なる山下定包が、神余家臣団を恫喝し奉戴されるに至った。形式上は、禅譲と強弁できぬものではない。馬琴は形式のみの名分論を否定していると思しい。
 簒奪者山下定包は天罰を受くべき者ではある。しかし、神余家の滅亡は、光弘の暗愚を原因としている。定包が悪逆非道だからと云って、実質的に彼のため滅ぼされた神余家が善だとは云えず、復旧すべき者とも思えない。過剰な忠臣金碗八郎孝吉さえ、庶流とはいえ神余一族の自分が君主になって家名を復興しようなぞツユ思わず、仁君里見義実を奉戴する。孝吉は、定包に復讐すれば満足なのだ。神余光弘が暗愚であったことは、八郎が一番よく知っている。
 結局、八犬伝は、統治の正当性を喪った暗愚な君主が下剋上で滅ぼされても、下剋上を犯した者は罰するが、暗愚の家を復旧しようとは考えていない。せめて南総里見領域では、正当性を有つ者が統治を行わなければならない。後に上甘理弘世が登場したとて、統治権は返還されない。新たなる君主の臣下として組み込まれる。弘世が戦国武将として無能な形で登場すること自体、統治の正当性を喪ったため滅びた神余家が治世者として復活しないことを明示し、無駄な議論を避けるためであっただろう。但し、弘世の存在は、あくまで一般論もしくは原理として、正統でありながらも正当性を欠いた君主の末路を示しているとはいえ、必ずしも南朝帝を映し出してはいない。天皇は特殊な存在である。弘世は里見家に軍役奉仕する。天皇が軍役奉仕せねばならぬ相手は、此の世に存在しない。
 
 犬江親兵衛が将軍の御膝元である京都に出た折、太平記が重要な出典としてアカラサマに頻用される。表記では蜜月関係を描きながら、足利家の犯した下剋上を、読者に強く意識させようとしている。しかし当然、八犬伝は、良臣を虐待、若しくは奸佞を蔓延らせる暗愚の君主を許さない。筆誅を加える。暗愚の君主が下剋上によって放逐されることは、あり得る。下剋上を犯せば子孫が報いを受けるのだが、下剋上そのものは、発生し得る事象である。
 四六城木工作を暗殺し犬塚信乃を陥れ浜路姫を売春婦として売り飛ばそうとした愚かなる泡雪奈四郎は、悪僕媼内に斬られて金を奪われた。奈四郎にトドメを刺したのは偶々通り掛かった信乃だが、六犬士に囚われ鬼四郎牛の角で劈かれるに当たり、「媼内は四谷の原にて主の淡雪奈四郎に痍を負し盤纒を奪ふて逃亡たる旧悪あり。恁ればその罪、船虫と勝劣のなきもの也」と言い渡されている。船虫と同格とは恐れ入った悪党だ。大袈裟に言えば、下剋上の罪だろう。悪を倒す者が善とは限らない。悪が悪を排除することもあり得る。悪を倒しても、其の行為が順逆に悖れば、罰せられる。それだけの話だ。
 君臣順逆の義は正さねばならないが、君主は暗愚であってはならない。元将軍/大御所である義政は、犬士金碗姓継承に当たっても将軍を指図しており実権を握っていることが明示されるが、暗愚なる故、馬琴は一休の名を騙り筆誅を加えている。道徳史観/勧善懲悪に本来なら、タブーはない。何者をも牙に掛ける。但し馬琴は、流石に後醍醐帝を足利成氏に変換してからでないと書けなかった。時代の限界である。
 
 第一回、里見季基の言葉からして南朝武士を贔屓していることは自明であり、里見家は同じく南朝方として戦った者の末裔、隣尾判官伊近や北畠中将と親交を結ぶに至った。単純に考えて、八犬伝が南朝天皇贔屓とするむきもあろうか。八犬伝は、太平記のストーリーを引き、引用故事を転用している。太平記から、かなり強く影響を受けたと思しい。太平記は後醍醐帝の暗愚を隠さず記し、万里小路藤房の行為を以て強い批判の声を上げている。正統論と正当論は、まるっきり違う。南朝が正統だとしても、皇統は北朝に移って存続したのだ。存続したが、明治維新まで実権を失った侭であった。南朝が滅び北朝が存続した後に、皇統の何連が正統かなぞという議論自体が無意味である。
 
 足利成氏は、安房捕囚から許我に帰るとき、「迎の伴当多からぬに憲房朝良の下風に立て相模へ渡さんことの朽惜ければ立も得去らで在し程」とウジウジしている。成氏の場合は虚栄心の強さを表現するエピソードだが、同様のことを秋篠将曹広当が遣ると、天皇権威の保持に苦心する忠臣に見えるから不思議だ。人徳の差である。広当は京へ帰るに当たって、両管領の使者を伴い大勢になった直親に対し、勅使代であり勲功あった犬士を伴う自分が下風に立つわけにはいかないと、出発をズラす{→▼}。
 しかし、此は不可思議な論理である。犬士も同行するのだから、里見家に員数を出させれば済む。しかも広当ならびに八犬士・ヽ大の十人が揃えば、人数が少なくとも侮られることはあるまい。犬飼現八だけで一騎当千……を通り越して一騎当万である。冗談はサテ措き、相手は諚使に率いられてはいるものの、敗戦国の使者に過ぎない。しかも広当と犬士らが一緒に京へ向かっても何も事件は起こらない。広当が直親と別行動をとる必要はないように見える。結局、二人が別行動をとる理由は、恐らく美男子であろう広当に直親が怪しからぬ事をしたため嫌われた、とかではなく、やはり、「他が下風に立かたかり」であろう。但し、下風に立つ、との予測が不可思議だ。何も言わずに一緒に京都に向かっても、読者は疑問を抱かずに読み飛ばすだろう。殊更、直親一行の人数が増えただの何だの説明する必要は、抑も無い。則ち、「他が下風に立かたかり」は、実際に下風に立つからではなく、「下風に立かたかり」との台詞を広当に云わせ、直親と出発をズラせること自体が目的だったと思しい。
 馬琴は、わざと不必要な記述をして、直親・広当の関係を、両管領・関東公方成氏の関係に対応させているのだ。両管領と関東公方成氏の関係は、此まで述べてきた如く、実は、かなり複雑なものであり、純粋な君臣関係にあったとは認め難い。関東管領の主君は、関東公方ではなく京都将軍であると云った方が良かろう。しかし、第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評に於いて明らかな如く、馬琴は両者の間に君臣関係を見ていた。八犬伝で、関東管領上杉家は、主君である関東公方足利持氏を攻め滅ぼし、一族の長を暗殺されたとはいえ主筋の成氏を攻撃し続けた。南関東大戦でも無礼を働く。「君臣順逆の義」を無視しているのである。一方、京都の場面でこそ、天皇と将軍は蜜月関係にある。将軍は、バカ親父の義政とは打って変わって「賢明」{第百三十二回}な義尚だ。非常識なほど天皇の意思を尊重する。しかし所詮は征夷大将軍である。存在自体が天皇を凌辱してしまっている。幾ら物分かりの良さそうな顔をしてみても、「君臣順逆の義」を貫徹し得ないのだ。
 広当がチラと漏らした「下風に立かたかり」との言葉は、関東公方・関東管領の「君臣順逆の義」を無視した関係を、厭でも思い出させる仕掛けとなっている。広当の仕掛けた地雷は、天皇と将軍の蜜月偽装を爆砕し、「君臣順逆の義」に悖っていることを思い出させる。則ち、成氏が臣下の両上杉家に劣等感を抱き安房からの出発を遅らせる記述と、勅使代広当が諚使直親の下風に立つわけにはいかないと帰洛を遅らせる表記は、関東公方・関東管領の関係と天皇・将軍の関係を対比し、共に「君臣順逆の義」に悖っていることを、馬琴は隠微に訴えている。
 
 また、勅使代すなわち天皇の代理の代理である広当と同じ素振りを見せる成氏は、足利家に下剋上を受け実権を奪われている天皇、ひいては追い落とされた後醍醐帝を映し出している……かもしれない。馬琴は、成氏の父持氏が上杉一族に弑逆された事件は、尊氏の下剋上を原因としていると断じた。後醍醐帝に下剋上を犯した尊氏の子孫が、上杉一族に下剋上を受けた。立場が逆転している。立場が逆転しているなら、足利家は、嘗て後醍醐帝が追い込まれた立場に、身を置いていることになる。下剋上を犯して政権を簒奪した者は、下剋上によって滅びる運命となる。
 成氏は、犬飼現八を追い出し犬塚信乃を受け容れなかった。佞臣横堀在村を重用し、本来ならば有力な支援者である里見家を遠ざけ、敵対するに至った。成氏の暗愚は、後醍醐帝の暗愚である。勿論、成氏は後醍醐帝本人ではない。だいたい成氏は天皇ではない。しかし後醍醐帝から皇位を剥奪し一個人として資質を見れば、彼は覇気こそあるが名君ではない。足利尊氏を繋ぎ止めておけなかった。天皇という金看板がありながら、多くの武士は後醍醐帝を見棄てた。里見家と疎遠になる成氏とドッコイだろう。
 
 八犬伝は、足利成氏を後醍醐帝に擬して暗愚を演じさせる一方、後醍醐帝に下剋上を犯した足利尊氏の末裔として筆誅を加えた。また、ヽ大を万里小路藤房に擬すことにより後醍醐帝個人の暗愚を、読者に確認させた。とはいえ八犬伝は、天皇一般の存在を決して否定していない。それどころか、伴人の多い諚使熊谷直親と同行することを嫌った勅使代秋篠広当の言葉は、優勢な幕府に対する朝廷の弱い立場に注意を促している。では、幕府の存在自体を八犬伝は否定していたか。それは、あり得ない。主人公を張る里見家は、徳川将軍家の虚花であった。やがて里見家は徳を喪い滅びるが、其れは実花たる徳川将軍家さえ永遠に持続するものではない、との可能性を示すのみであって、存在自体を否定するには至らない。尊氏の下剋上を責め暗愚な義政を辱めるが、京都将軍一般の存在を否定してはいない。将軍義尚は賢明である。ただし、関東管領は悪玉だし、京都でもバカ親父の義政が大御所として暗愚の限りを尽くしている。天皇・将軍ともに理想的なキャラクターであり得るが、取り巻き連中が悪であれば、如何仕様もない。偶々賢明な将軍が在位していても、京都幕府総体として、天に見離されつつある。八犬伝の後日談で、物語は史実に接続し、京都が争乱の巷になったと明かす。
 
 八犬伝が示す如く、天皇は姓を認定する主体である。姓は権力闘争/革命のプレイヤーたる資格要件である。天命の流転を示す易姓革命から遊離もしくは逃避した天皇は、象徴的存在になるしかない。北朝でも南朝でも、如何でもいい。ただ諱の一字まで貰った挙げ句に裏切って下剋上、後醍醐帝を京から追い払った足利尊氏の行為が、馬琴は許せなかった。また、足利尊氏の敵役として登場する新田義貞と縁続きだと主張する徳川家に里見家を繋ぐ以上、尊氏が悪役になる必要がある。必然として、対立した南朝武士が称揚されるに至る。八犬伝が必ずしも、後醍醐帝や南朝を贔屓しているとは決して云えない。もろ北朝系の後土御門帝を馬琴は、全く批判していない。馬琴が抱いていた後醍醐帝への真情は不明だが、八犬伝を読む限り、さほど積極的に肯定するものではなかったようだ。
 
 但し、後醍醐帝個人は時勢によって君主たる資質を否定されたわけだが、皇統は存続した。継体帝とか壬申乱とか色々と問題があるが、南朝だとか北朝だとか云ったところで、天皇は天皇だ。万世一系でなくても、いいぢゃないか。そんなもん、自慢にしかならん。天皇という連続した体裁を一応は取り繕ってきた者が存在するだけで十分ではないか。社会の一機関として職能を分担している所の「天皇」は、大きく性格を変えながらも、馬琴の時代まで、取り敢えず存続していることになっていたのだ。後醍醐帝一個人に疑問を投げ掛けたとて、馬琴が天皇一般の存在を否定したことにはならない。天皇の存在意義は勿論、馬琴も認めていただろう。天皇は、犬士の金碗宿祢姓継承を勅許し、里見家および犬士に官位官職を授与し、丶大を大禅師に叙し、伏姫を神だと認定する。神をも人をも世界に配置する権限を有している。また、天皇は、縷々述べてきた如く、天を象徴する。そして、各種存在の在るべき位置を指し示す。但し実権はない。礼の主宰者である。世界{/「日本」社会}の基準点と云える。【天】でもあろうか。
 
 八犬伝の中で、偶々将軍は賢明な義尚であったし、後土御門帝も理想化されて善良な天皇として描かれている。里見家は安心して義尚に敬意を払い、後土御門帝の勅命を喜んで受ける。将軍にも天皇にも文句を付ける隙がないから、文句を言わなくて済んでいる。将軍・天皇・里見家は、蜜月関係にある。馬琴は、将軍へも天皇へも、態度を鮮明とせずに済んでいる。
 帝から与えられた官位官職を犬士に配当する里見家は、既に将軍と同格である。同格ではあるが実のところ里見家は、徳川将軍家の虚花でしかない。天也命也、である。馬琴は八犬伝で、里見家の正当性が足利家より上回ることを示そうとしている。言い換えると、徳川家の治世は、足利家より優れているとの主張である。如斯き所説は、読史余論にも庶い。
 但し、勅使代秋篠広当が呟いた「他{/諚使熊谷直親}が下風に立かたかり」は、隠微に朝幕関係の矛盾、臣下である筈の征夷大将軍が天皇を凌駕している眼前の状況に、馬琴が吐きかけた疑問符と思える。
 
 しかし幕府の存在抜きで現実的な社会像を馬琴は持ち得たか? 脆弱な朝廷が、いきなり強大たり得ようか? 社会の秩序治安を安定させるだけの力量があろうか? 八犬伝刊行時、現実的に考えれば考える程、天皇独裁親政こそ絵空事であったに違いない。天皇を天と同一視してしまえば、即ち政治道徳の権化としてしまえば、天皇は実力なき礼の主宰者として象徴制を採るしかない。元より「天」には実体がない。実体が無い者と同一視されるには、象徴となるしかないのだ。天皇を象徴としてしまえば、現実に対処する政治機関が別に必要となる。当時の発想として、其れは幕府しかなかっただろう。「君臣順逆の義」を純化すれば幕府の存在が否定され、天皇の存在を純化していけば幕府の存在が不可欠となる。此の大いなる矛盾から逃避するため、理想化された朝幕関係、幕府に依存しつつも儒教道徳に基づき安房里見家を賞賛し幕府から独立させる天皇と、其の天皇の意思を貫徹させつつ関東管領を制御し圧倒的な実力を見せつける征夷大将軍……あり得ぬ矛盾を孕んだ関係までしか、馬琴は提示できていない。
 但し、勿論、当時は公刊物で、天皇さえをも制御していた幕藩体制を否定できよう筈もない。しかし、馬琴は、征夷大将軍さえ天皇の臣下である事までは、改めて明示した。朝廷の意思により、犬士の改姓さえ里見家に配当させる形で許可した。里見家は、儀礼の上で幕府と同格となっている。伏姫神号およびヽ大への大禅師号授与は、朝廷単独で決した。南総七十万石の里見領域は、幕府の統制下から離れた。将軍義尚も認めた上でだ。天皇が将軍より上位にあることが明示されている。即ち将軍は、天皇によって自らの支配権の一部を剥奪されても、文句を云わない。此の事は、将軍の支配権が天皇に委任されたものに過ぎないことを暴露している。大政委任論である。秋篠広当の言葉から、幕府の方が朝廷より強大な力をもっていることが窺えるものの、当の幕府が里見家および犬士の位置付けに於いて天皇を従順に補佐する態度しかとっていない。如斯く八犬伝に見えた所の者が、恐らく馬琴にとって、朝幕関係の理念型であったろう。
 徳川将軍家の虚花/里見家という特殊な存在ではあるが、八犬伝は、京都幕府のうちに新たな幕府の無精卵/里見家を胚胎させている。足利尊氏の子孫であることを殊更に強調された足利成氏が南関東大戦で里見家に敗れたことにより、足利尊氏の子孫である京都将軍家の滅亡は予言されている。あくまで京都幕府に関する物語ではあるが、果たして近世読者は眼前の「幕府」と全く無関係に八犬伝を読み得たであろうか。
 
 八犬伝刊行時、異色の天皇兼仁により、朝廷の権威復興が次々目論まれていた。九百年ぶりとなる本格的な漢風諡号「光格天皇」が兼仁に贈られたのは、八犬伝刊行終了の前年、天保十二年のことであった。八犬伝は、絶対の存在と見せかけている「幕府」も、北極星の如く不動な天皇のもとで、取り替え可能な社会の部品であることを明らかにした。
 
 無窮の天を翔る龍は、時に応じて入れ替わる。天命を抱く龍もいれば、抱かぬ者もいる。白いのもいれば、狐みたいなのもいる。但し天空を雄飛する龍の寿命も無限ではない。
 やがて足利将軍家は滅び、織田信長・豊臣秀吉を経て、徳川将軍家に大政が委任された。八犬伝刊行当時も、徳川将軍家に大政は委任された侭であった。しかし、徳川将軍家の虚花であり理想化された里見家さえ、代を重ねるうちに徳を喪い、犬士に見離され、滅びていく。ならば、実花たる徳川将軍家も、徳が薄れたならば滅びる運命にあろう。其の時、深い御簾の裏から前面に迫り出してくる者こそ、天皇である。しかし一時的に迫り出して来ても、また次なる者に大政を委任するよう馬琴は夢想していたのではないか。
 
 八犬伝で、里見家に将軍同等の特権を認める者は、外ならぬ天皇であった。八犬伝に於いてはは、将軍の支配権を南総に限って里見家に移管しているが、延長線上には当然、大政の全面移管が想定し得る。新たに権を執る者を認証することが、天皇の機能である。八犬伝で天皇は、俗界・聖界の秩序づけを主たる機能としており、其れ以上のことはしない。あるべき位置を指し示すのみであり、権力の操作には関わらない。あくまで、礼の主宰者に過ぎない。更に言えば、犬山道節の大道芸が如き語り「貴きは将軍ばかり世に貴きものはなし。しかれども人なほその上に天子ゐませり。天子は無上至尊なれども、なほその上に宗廟在す。宗廟は是万物の父母、天津日月の神になん」{第四十四回}と、四六城木工作の死を悼む信乃の言葉「現天道は生を好して殺を憎ませ給ふこと、是日の神の御こゝろ也」{第七十回}を併せ読めば、馬琴が天皇を【仁】を表す宗教哲学的な偶像と捉えていた可能性も立ち上がる。近代絶対主義的な天皇像は、八犬伝の何処にも書いていない。天は法理であり環境であって、権力の操作主体であってはならない。偶像は、権力闘争ゲーム/革命のプレイヤーに、なるべきではない。それは一時的に理想のように見えても、里見家や徳川家の如く、滅びるべき存在へと転換することを意味する。
 
 とは言え、天皇を巡る八犬伝の言説は隠微に過ぎ、容易に尻尾を掴ませない。ただ取り敢えず、【理想的な朝幕関係に於いては、征夷大将軍が仁の偶像たる天皇の従順な臣下として振る舞う】、【天皇から大政を委任された徳川幕府とて何時かは滅びる運命にある】ぐらいのことは、断言できるだろう。
{お粗末様}

 
 
 

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