▼小乗から大乗へ▼

 

 再登場し改名した代四郎には、いつも連む相手がいる。結城大法会の準備段階で登場した直塚紀二六だ。不自然な程の老若コンビである。結城大法会から上洛を経て南関東大戦まで、一貫して行動を共にする……って云ぅか、殆どの箇所で「代四郎紀二六」と併記されているのだ。二人の仲は、紀二六にフケ専疑惑が浮上する程、凄まじく睦まじい。紀二六は蜑崎十一郎照文の娘山鳩の入り婿となる人物であるから、当然、「紀二」は雉を意味し、直塚は頓死……ではなく「頓使{ひたつかひ}」からの駄洒落だろう。雉の頓使とは、行ったっきり戻ってこない使者のことだ。古事記である{→▼}。何故に年齢の隔たりを超えて、代四郎と紀二六が仲睦まじいかといえば、代四郎が与四郎犬だからだ。二人は、昔馴染みであった。無論、此の紀二六は、蟇六もしくは亀篠・浜路に飼われていた紀二郎猫を人間に置き換えているのである。

 

 但し、実は紀二六、一時期だけ代四郎と行動を別にする。親兵衛の第一次上洛で、一行が海賊の化けた商人たちに毒酒を飲まされ危機に瀕する。青面獣楊志……ではなく頬に痣ある犬飼現八なら毒酒を飲みそうだが、親兵衛は用心して飲まない。飲まないが、水練が苦手な為に海賊に殺されそうになる。水練達者な代四郎の大活躍で危機を切り抜ける。此の事件を安房へ報告するため使いに出るのが、紀二六である。勿論、安房に到着すれば其のまま待機すべきであって、再び上洛する必要はない。現在とは交通事情が違う。親兵衛も当初は名詮自性っぽく、片道切符の使者、雉の頓使{ひたつかい}、として選んだのだ{いても役に立たないということか?}。しかし紀二六は安房に着くとTouch&Go、京都で代四郎・親兵衛らと合流する。雉の頓使どころか、旅の疲れも厭わぬ健気さを発揮した。雉の頓使の名詮自性を{例外的に}自ら裏切ることで、ヒタムキさを強調した直塚紀二六であった。

 

     ◆

故爾鳴女自天降到、居天若日子之門湯津楓上而、言委曲如天~之詔命、爾天佐具賣(此三字以音)聞此鳥言而、語天若日子言、此鳥者其鳴音甚悪、故可射殺云進、即天若日子持天~所賜天之波士弓、天之加久矢、射殺其雉、爾其矢自雉胸通而、逆射上、逮坐天安河之河原、天照大御~、高木~之御所、是高木~者、高御産巣日~之別名、故高木~取其矢見者 血箸其矢羽、於是高木~告之此矢者所賜天若日子之矢、即示諸~等詔者、或天若日子不誤命、爲射悪~之矢之至者、不中天若日子、或有邪心者、天若日子於此矢麻賀礼(此三字以音)云而、取其矢自其矢穴衝返下者、中天若日子、寝朝床之高胸坂、以死(此還矢之本也) 亦其雉不還、故於今諺曰雉之頓使本是也{古事記上巻}。

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 では何故に、与四郎犬に食い殺された紀二郎こと紀二六は、代四郎と仲睦まじいのか。紀二郎に怨みが無いからだ。故に代四郎も蟇六と、必要以上に絡む必要はない。猫が地面の上で犬に食い殺されることは仕方のないことであり、抑も犬が猫を食い殺すことは罪ではない、且つ犬が屋敷に上がって殺されても怨むべきではない、と考えれば、全く不思議はない。既に如斯き論理は第十八回に於いて、番作さんが開陳している。八犬伝に於いて、地面の上で犬に食い殺された猫が怨念を抱こう筈もない。しかも与四郎犬は、蟇六に致命傷を与えられており、紀二郎猫の復讐は果たされてもいる。免罪されているのだから代四郎は、心おきなく紀二六と交わって良い。また、与四郎犬による紀二郎殺しが無罪であることを読者に確認させるためにこそ、代四郎の相方として、紀二六が持ち出されているのだろう。裏返して考えれば、生を変えて与四郎・紀二郎が仲睦まじくする様を見ていると、殺し合う復讐が、人間の人倫/五常/八行ゆえの業とも思えてくるが……。

 

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畜生は五常をしらず、絶て法度を辨へず。弱きは強きに征せられ、小は大に服せらる。されば猫は鼠を食へど、犬には絶て勝ことなし。犬は猫に傷れども、豺狼と戦ふことかなはず。みな是力の足ざる所、形の小大によるもの也。もし犬を猫の仇とせば、猫を鼠の仇とせん。そを仇として死を貲ふは、人倫のうへにあり。畜生の為に律をたづね、報讐死刑の制度あるよしは、わがしらざる所也。且猫は畜れて席上にあり。今そのところを失ふて、漫に地上を奔走し、犬の為に命を隕すは、みづから死地に入るにあらずや。又犬は畜れて地上にあり。亦その所を失ひて、席上に起居せば、人見て是を許さんや。わが犬足下の宅地に赴き座席に到ることあらば、打殺さるゝとも怨なし。猫の死を貲ふ為には、つや/\犬を逓与がたし{第十八回}。

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 復讐心は、人倫/五常の裏返しである。人外の紀二郎猫に復讐心のあろう筈がない。では、人倫とは、八行とは、善とは……。人として愛し、愛する者を奪われたならば、人として憎しみ殺し合うしかないのか……。

 筆者は既に、八犬伝が、伏姫死後の成長もしくは変化をも重大なテーマにしている、と指摘してきた。伏姫は、里見家および犬士を擁護するが、当初の家族愛的守護神から、善なる者に普く与する観音菩薩へとハッテンしていく。ただ只管【敵】を憎み打ち倒すことのみを求めるのではなく、敵も味方も同じ地平に置き、救うべき者を救うようになる。

 富山で親兵衛が帰還したとき、里見家と、安西・麻呂そして神余までもが、【和解】する。とは言え、まだ普門化は一部に過ぎない。第一次館山攻略で、親兵衛は敵でさえ救う態度を見せ、足下を掬われた。【敵を殺す】の単純なリバース【敵を救う】では、仁も過ぎたものとなる。敵に於いては、救うべき者と救うべからざる者とを、峻別せねばならぬ。第一次館山攻略の失敗で、親兵衛は、一回り大きな【仁】となる。第百六十六回では、打ち倒した賊のうち、活間野目奴九郎にだけは蘇生薬を施さず、障害者として天寿を全うさせる。目奴九郎の場合は健常であれば必ず罪を犯す。健常な罪人でいさせるよりも、清純な障害者の位置に置くことが、親兵衛にとっての仁であった。上甘理弘世が健常ならば世俗の問題が色々と起こるが、同様の措置である。理解なき者から無能力者と見做されたとしても、其れは絶対に手放せない貴重な何かを保持するためである。何者にも代え難い尊い者を保持するため、引き替えに障害者とされるならば、甘んじて受ける。其れが親兵衛の立場である。何と云っても彼は、犬士である証すなわち玉を握り締めていた故に、片輪の大八車と、揶揄され迫害された経験を持つ。目奴九郎を諭せるのは、親兵衛だけである。

 南関東大戦を目前にして、里見家は、安西・麻呂そして神余とさえ和解し、外来のカミながら、足下の支配を強固なものとした。信乃は第一次五十子攻略で、民に食料を分かち与え賑わすことによって、扇谷上杉定正への復讐とした。則ち信乃は、殺されたから殺す、との解り易く且つ不毛な復讐サイクルに疑問符を突き付けた。南関東大戦終盤に於いて、親兵衛は敵味方の差別なく蘇生薬をバラ撒く。物語は、最終ステージ【仁】に移りつつある。毛野が指揮した第二次五十子攻略では、音音らが敵将定正の母や妻を保護し、毛野は自他の戦争犠牲者のため施餓饑を提案した。

 

 洲崎沖大法会は、記述こそ短いが、八犬伝最大のスペクタクルである。丶大の用いた数珠は、役行者から伏姫に与えられたものであった。但し、数取り玉は犬士八玉ではなく、甕襲の玉が分裂した小八玉で代えた。洲崎大法会で数珠が海に落ちた瞬間、百千万の白小玉が奔出し西へと飛び去った。法会に先立つ施餓饑で「今戦世の暴虐の中に這活阿弥陀も在せしか」{第百七十八回下}とあるので、白小玉/冤鬼は、差し当たって、阿弥陀如来が主宰する西方浄土へ飛び去ったと理解するが穏当であろう。

 南関東大戦での戦死者は、ほぼ関東連合軍側が占めており、且つ洲崎沖海戦でのものだ。差し当たって表面上は、専ら敵兵の冥福を祈るため、洲崎沖法会は行われた。洲崎沖大法会の理念は、敵味方の差別なく死者を祀ることであった。既に伏姫は普門/観音として完成したようだ。自分だけでなく皆が救われることを願う態度を【大乗】と謂う。対して自己の覚醒を願う態度を【小乗】と謂う。

 洲崎沖大法会に上記の如き重要な意味を込めた馬琴は、結城大法会に如何な意味を込めたのか。この時、丶大の庵は、九尺四方すなわち方丈であった。親兵衛を除く七犬士と丶大が四方山話をしているところに蜑崎照文・直塚紀二六が加わり、十人が円座した。……かなり窮屈である。四畳半に十人というだけで窮屈だが、仏壇などで半畳を占め、更に囲炉裏が半畳{→▼第百二十三回}、残り三畳半に十人が犇めいたのである。人間が正座すれば概ね二尺四方が必要となる。一畳三人が限界であって、三畳半に十人が限界だ。

 

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坐席は才に九尺に過ぎず、前面に六尺許なる仏壇に笈仏あるのみ、中央に一個の地■火に亢/を開きて席薦五枚布儲け、庵主は仏壇の辺に端坐し犬塚犬山犬川犬阪犬田犬飼犬村の七賢士、面識りたるも識ざるも左右二側に坐を占て在り、閑談闌なりけん歟、倶に■口に自/們を見かへりて、こは珍しや、とばかりに片寄て席を譲られたり{第百二十三回}。

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 立って半畳、寝て一畳。正座では窮屈で済むものの、十人が寝るに三畳半は、確かに狭い。其処で如何にすれば十人が三畳半に寝られるかを考える。収納術の基本は、垂直方向を巧く利用することにあろう。仰向けに寝れば一畳に一人しか眠れないが、体を横向きに立てれば二人眠れる。しかし、まだ不十分だ。此だけでは三畳半には{半畳では一人も眠れないため}六人しか眠れない。限られた空間を有効に利用するためには、座位の者もいねばならない。まず仏壇と笈仏の配置を工夫し、畳の長辺に沿って置く。縦半分に仕切ることになる。此処に丶大が体を横向きに立て、腕を枕に眠る。庵主だから優遇する。残るは畳三枚。照文と紀二六も一畳のうち向かい合わせでも同じ方向を向いても良いが、丶大と同じ姿勢で眠る。残り二畳。

 七犬士を二畳に収納しなければならない。まず一番大きい小文吾が仰向けになり屈脚位をとる。信乃が俯きに重なる。信乃の背後から荘介が俯せにのしかかる。非常に安定感のある形だ。残り一畳。大角が頭を壁に凭せかけ屈脚し現八を股間に迎え入れる。現八は武芸者だから座位で眠らせる。残り半畳。現八と背中合わせに道節が座る。毛野が向かい合わせに跨り道節の頭を抱いて眠る。果たして七犬士が寝るには、二畳で充分であった。戦士たる犬士は、如何に苛酷な状況にあっても、合体ロボットではないが、緊密に結合し、問題を解決するのである。

 しかし筆者が折角苦労して収納したにも拘わらずゝ大は素っ気なく、「小庵多客を宿しかたかり、とく/\罷出給はずや、と出家気質の飾りなき示教に大家諾なひて告別しつ共侶に城下の町へ退りけり」{第百二十三回}。庵を七犬士と照文・紀二六は追い出されてしまう。丶大独りで眠るに三畳半は広すぎるが、或いは念戌を可愛がるため犬士らを追い出したのであろうか。丶大は、自分さえ良ければ良いのか。日本仏教の僧侶である以上、大乗の立場に立つべき丶大であるが、此処では、まるで、【小乗】である。

 追い出された犬士らが落ち着く先は、旅籠「小乗屋」であった。結城大法会は、里見家のことさえ考えていれば良い【小乗】段階の頂点に位置する。故に祭祀の対象は、里見季基等あくまで結城側に限られる。八犬伝は此処までに、個人的な怨恨を晴らすべく動いてきた。毛野は父一家の怨みを思うさま晴らし、道節は満足できていないようだが一応は扇谷上杉定正の兜を射落とし溜飲を下げた。信乃に至っては、理不尽な怨みを定正に向け、無理遣りに五十子城を陥落させ、早くも単純な復讐の限界を指摘している。大角・小文吾・荘介・現八に敵対した船虫は、牛角に劈かれて刑戮された。個人的事情を清算した七犬士は結城大法会に列して、里見側の冤鬼を慰撫する。里見および犬士側の怨みは晴れ、ステージの次元が上がる。自らのみを覚醒させるべき【小乗】のステージから、敵さえも覚醒させるべき【大乗】の次元へと進むことになる。味方のみ慰撫する結城大法会から、敵さえも懐に抱き締めようとする洲崎沖大法会への昇華が、八犬伝後半のテーマである。{お粗末様}

 

・・・・・・捕逸・・・・・・・

 

 結城大法会直後、悪僧徳用が一行に襲いかかったとき、姥雪代四郎与保は、信乃の分隊に配属された。軍師毛野の手配りである{→▼}。信乃は里見季基の遺骨を守る丶大を護衛するが、蜑崎照文と代四郎が付き添う。

 

 因みに小文吾・荘介・現八は雑兵を連れ、先鋒となる。毛野は、ちゃっかり道節と行動を共にするが、大角も一緒だ。毛野を軍師として、道節・大角が庵に火を放ち戦う作戦である。現八が小文吾と共に行動する点を除き、南関東大戦の縮図だ。毛野の仇討ちでは、小文吾・荘介、大角・現八の二隊に別れて援護する。四天王でペアとなる四人二組である。此れを基本形として、南関東大戦でも結城騒動でも都合によって現八が異動し陣形を整えている。中央土気の犬士たる故か。

 

 閑話休題。結城騒動で代四郎は信乃の分隊に配属された。毛野を通じて示された神慮であろう。愛犬と飼い主の再会である。しかし、照れてるのか、代四郎は異議を唱える。故主道節と共に戦いたいと希望する。代四郎本人の赤誠を疑う積もりはないが、馬琴は、あっさり却下する。

 

 道節は、じゃれつき離れようとしない代四郎を、「和老も今は里見の家臣、我們と朋輩なるものを私情を演るはその義に違へり」と振り払う。見事に体裁を整えているが、後に、代四郎は私情によって親兵衛の第一次上洛に密航までして勝手に随行する。道節の論理は、此の場限りのものだ。トリックスター道節は、いつも其の場その場で適当な事を云う。とにかく馬琴は、代四郎を道節から引き離し、然り気なく信乃の分隊に配属した。代四郎と信乃の縁を、隠微に示している{お粗末様}。

 

 

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