▼双頭の龍▼

 

 平家物語には様々な系統本がある。うち、「剣巻」と呼ばれる部分を含むものがある。此の剣巻は、源氏の宝剣である鬚切・膝切に就いて語り、刀を改名したことにより源氏は一旦衰えるが、八幡神の示現を受け、旧名に復したため平家を滅ぼすことが出来たと決め付ける。しかし平家討伐の立役者だった源義経は、膝切{膝丸}を「薄緑」と改名し、剰つさえ鎌倉に戻る途中で手放す。義経は、背後でコソコソしてたぐらいで顔が大きいだけの源頼朝に妬まれ、遠ざけられる。此の場合、剣巻は明らかに、義経を日本武尊に重ね合わせている。日本書紀に於いて、倭姫命から天叢雲剣を与えられた日本武尊は、東征途中で焼き殺されそうになったとき天叢雲剣で草を薙いで助かった。このため天叢雲剣は、草薙剣と呼ばれるようになった。改名である。尊は東征の帰途、愛人宅に草薙剣を遺して去る。聖剣を手放したのだ。その後、尊は大蛇に毒気を当てられ、野垂れ死ぬ。剣巻でも、尊の愛人として「岩戸姫」が登場し同様の展開を見る。天照太神の加護を受け一旦は大蛇の毒を免れたと思しい素盞嗚尊が、岩戸姫のもとに聖剣を置いてきたが故、再び出逢った大蛇の毒気に当てられて死ぬ。「岩戸」により天照太神が放つ加護の光が遮られた格好だ。

 剣巻は、神から与えられた聖剣が王を守護するものだと定義する。聖剣を軽んじ改名したり手放した王は、滅ぶ。上では最も有名な平家物語を挙げたが、実は「剣巻」、他に源平盛衰記、保元物語、平治物語、太平記にまで取り込まれている場合がある。内容は同様だ。プロローグやエピローグとして扱われたり、本文中に組み込まれている場合もあり、形は様々だが、当該書の筆写者もしくは編集者の判断によって、「剣巻」が添付されたり削除されたりしたようだ。則ち剣巻は、聖剣の性格を定義する伝説/神話ユニットとして存在し、各書の筆写者もしくは編集者が必要に応じて採用するものであった。

 保元・平治物語、平家物語、源平盛衰記、太平記は、何連も皇位を巡る武士の喧嘩神輿を描いている。武士が各々皇位継承者を担いで争い合う。剣巻では源氏や日本武尊など武人の活躍が目に付くが、指揮官としての能力を発揮しているのであり、聖剣を武器として揮う場面はない。日本武尊が草を薙ぐぐらいだ。聖剣の呪的な力を重視しているのである。聖剣は、存在するだけで、王を護る。揮う必要は、ない。日本武尊と天叢雲剣、源氏と鬚切・膝切の関係は、取りも直さず、天皇と草薙剣/天叢雲剣との呪的関係に置き換え得る。

 剣巻が採用されている軍記物語は、皇位を巡るものだ。三種神器が話題となる。そして、就中、平家物語と源平盛衰記は、壇ノ浦合戦を描く。安徳幼帝が神器と共に、海の藻屑となる。国史上、神器を保持した天皇が【敗死】するなぞという悲劇は、他にない。古代には暗殺された天皇もいたが、国史には、国家が動揺した記録すらない。「あ、そぉ」ぐらいの反応で済まされている。日本武尊の息子/仲哀帝は神罰を当てられて死ぬ。「{仲哀天皇}九年春二月癸卯朔丁未、天皇忽有痛身、而明日崩。時年五十二。即知、不用神言而早崩神罰」である。但し、註として「天皇親伐熊襲、中賊矢而崩」であって、国史上の天皇で唯一、敵の手に掛かって殺された可能性も残している。また、「{仲哀天皇八年}秋九月乙亥朔己卯……中略……然天皇猶不信、以強撃熊襲。不得勝而還之」であるから、戦況は悪かったようだ。とは云え、最終的に皇国は熊襲に勝利する。よって、仲哀帝は、【敗死】したとはいえない。

 

 ところで神功皇后は仲哀の死を秘す。国内の動揺を防ぐためであった。殯に安置された仲哀帝の屍は、暫く放っとかれる。仲哀の死は、新羅を侵略せよと神が勧めたのに、「新羅? そんな国は知らん。だいたい、神様ってったて、お前なんか知らん」と、無礼な答えを返したためであった。此の辺り、父の日本武尊そっくりだ。因みに仲哀帝を見放した神の名は、天疎向津媛{恐らく天照太神}であった。皇后は土蜘蛛の女性指導者を殺戮した後、釣りをする。食事を摂ったとき、恐らくは米粒だったろうが、餌を鉤針に付けて川に放り込んだ。オカズにしようとしたのかもしれない。「投鈎祈之曰、朕西欲求財國、若有成事者、河魚飮鉤」。新羅征服が成功するなら魚が釣れる、と勝手に占いした。鯉ではなく、鮎{細鱗魚}が釣れた。皇后は「希見物也」と云っている。鮎ぐらい何処にでもいたと思うが、目黒の秋刀魚、堅魚やら鮑やら高級品しか喰ったことなかったのかもしれぬ。魚が釣れた以上、日本は新羅征服を約束されたことになる。皇后は、天疎向津媛の託宣を信じ、媛神に献ずる田を整備した。雷が邪魔な岩を打ち砕いたため、用水路工事も捗った。海に出て皇后は再び占いをする。神功皇后も、なかなか疑り深い。一度で信用してやれよ。まぁ道の国/新羅を攻めようってんだから、兵の動揺を鎮めようとしたのか。皇后は、髪を解いて宣言する。新羅征服が成功するならば洗った髪が二つに分かれる、と。海水で髪を洗った。ベタついたんぢゃないかと心配だが、きっとムッチムチムンムンの豊満美熟女であった皇后が下着を濡らし透かせた光景は、特に濡れはだけた胸の深い谷間が、神を悩殺するにも充分だったであろう。何たって相手は天照太神だ。天照太神は、天鈿女命の裸踊りを夢中で凝視しているうち天岩戸から引き摺り出された前科がある如く、女好きであったに違いない{但し、神功皇后を天照太神と同一視するむきもあるので、此は同性愛ではなく自己愛であったかもしれない}。とにかく天照太神は、神功皇后の髪を二つ分けにするには飽きたらず、左右それぞれ髻まで結ってやった。美熟女が美熟女に戯れ掛かり、まるで乙女同士の如く、相手の髪をネットリと愛撫しながら結ってやるのだ。二人が構成する濃厚で凄艶な空間は、第三者の容喙を許さない……

 とか云いたいわけではなく、神功皇后の行った二度の占いが共に水に関わっている点に着目すれば、且つ神田開発に於いて邪魔な岩を雷が打ち砕き手助けしてやったことをも勘案すれば、天照太神が龍に関係づけられる御膳立てが整っていることに気付く。実際、日本書紀で新羅侵略の軍船は、順風満帆に進んだ。風向きは偶然としても、「{仲哀天皇九年}冬十月己亥朔辛丑。従和珥津発之……中略……海中大魚、悉浮扶船」は偶然とか人智では説明できない。お魚さんが集まってきて、エッサホッサと軍船を担いでくれたのだ。龍宮の関与が暗示されているだろう。後の八幡愚童訓などでは、あからさまに龍王が登場し、神功皇后に干満玉を貸与する。但し皇后の妹が色仕掛けで交渉に赴き、皇后が孕んだ胎児の肉体と引き替えに借りたため、胎児/応神帝は後に「竜の宮媛」と性交渉をもたねばならなくなった。余りの鮫肌に、玉体が傷付かなかったか心配である。

 

 閑話休題。壇ノ浦合戦は、【天皇敗死】という未曾有の悲劇に結果した。しかも安徳帝は十歳にも満たず、長く艶やかな黒髪の天子……天使の如き美少年であった。義経千本桜などでは、美少女天皇と設定されてさえいる。源氏に捕らえれても決して殺されることはなかったであろう美しく幼く儚げな天皇が、平清盛の妻二位尼に抱かれ無理心中させられる。神器も道連れである。神璽は引き揚げられたが、宝剣は戻ってこなかった。二位尼は入水するとき謎の言葉を安徳帝に囁く。「今ぞしる身もすそ川の御ながれ 波の下にもみやこありとは」{長門本平家物語}。

 私釈すれば、伊勢神宮の五十鈴川を「御裳濯川{みすそかわ}」と別称する場合があるので、「すそ川の御ながれ」は川の流れと天照太神から続く血統すなわち皇統を意味しており、「身」を孫の安徳帝と読むか二位尼本人ととるかで解釈は分かれようが、差し当たって後者とすれば、同歌は【天照太神の血統に連なっている平家である自分にも今となって解ったことだが、海の底にも王城はあるのだ】ほどになろうか。

 平清盛は安芸の厳島神社を信仰していた。平家物語などでは、「厳島神社は、厳島大明神と申は、旅の神にまします。仏法興行のあるじ慈悲第一の明神なり。婆竭羅龍王の娘八歳の童女には妹、神宮皇后にも妹、淀姫には姉なり。百王を守護し、密教を渡さん謀に皇城をちかくとおぼして、九州より寄給へり」{長門本}とあって、龍王の第三姫である。清盛の妻である二位尼が龍王を信仰していたとて不思議はない。

 また、栗鼠の頬袋や本シリーズで以前から執拗に述べて来た如く、記紀に於いて、龍宮は皇統に大きな影響を与えている。初代神武帝からして、祖父と龍宮姫の間に出来た父と龍宮出身で叔母である姫が近親相姦して出来た。四分の三が、龍宮の血である。八幡愚童訓などによって流布した伝承では、八幡大菩薩でもある応神帝は、母神功皇后が勝手に龍王と交わした契約により、龍宮姫に肉体を捧げ奉仕せねばならなかった。「契あれば卯の葉葺ける浜屋にも竜の宮媛かよひてしかな」{八犬伝第一回}である。天照太神の子孫と龍宮との交渉は即ち、太陽/火と太陰/水、両極端の結合による宇宙全体の支配を目論む神話でもあろうし、漁労で比較的容易に蛋白質を摂取できるゆえ壮健で、且つ、細長い列島を侵略していく際に有利な水上運搬手段を有する海族/龍宮の存在も示唆しているだろう。平家物語には、

 

     ◆

其後天智天皇七年に新羅の沙門道鏡{道行カ}、是を盗み取て新羅へ渡る。波風荒くして忽に海底に没せんとす。是霊剱の崇也とて、彼剱を海中に投(没)つ。龍王是をのせて奉獻す。天智天皇朱鳥元年に、尾張国熱田社へ送り奉る。是のみならず、陽成院狂病にをかされ給て、宝剱をぬき給へりけるに、夜の御殿ひらひらとして雷のごとし、恐怖て宝剱を抛給たりければ、白旗となりてさやにさしにけり。世の世にて有る程はかうこそありけれ、平家取て都の外へ出給ひ、二位殿腰にさして海に入給とも、上古ならばなじかはうすべき。末代こそ心うけれ。かづきする海人に仰せて是を求させ、すゐれんするものをめしているれども見えず。天神地祇に幣帛を奉て、祈り大法秘法行はれけれども其験なし。竜神是を取て龍宮に納てければにや、つひに出来らざりけり。時の有職の申されけるは、八幡大菩薩百王鎮護の御誓あらたまらずして、石清水の御流つきざる上、天照御神月読尊、明かなる御光いまだ地に落給はず。末代澆季なり共、帝運の極る程の事あらじとぞ申給へりける。或儒士の申けるは、昔出雲国素盞烏尊に打殺され奉る大蛇、霊剱を惜む執心深くして八頭八尾標木として、人王八十代後八歳の帝となりて、霊剱を取返して、海底に入給ふ共申、九重の淵底の竜神の宝となりにければ、二たび人間に返らざるもことわりなりとぞ傾申ける{長門本}。

     ◆

 

 とあって、天智七年に草薙剣が盗まれ水没した時には龍王が返してくれたが、末代の今となっては宝剣も戻って来ないのだと語る。そして、水没した宝剣が戻ってこない理由は、「素盞嗚尊に殺され宝剣を奪われた八岐大蛇が執念深くも、人王八十代{一般には八十一代}八歳の帝となって取り戻した」からだと云う。興味深いことに、龍神の描写として「九重の淵底」とある。天皇の描写として「九重の雲」がある。此は八雲立つ……ではなくって、遙かの高み、天上世界を指し、天皇が太陽神の子孫であることを示す。ならば「九重の淵底」は全くの逆であり、遙かの深み、海底世界を指し、龍神が太陰神に連なる者であることを示していよう。

 素盞嗚尊に天叢雲剣を奪われた八岐大蛇が、美少年天皇となって取り返し、壇ノ浦で海に飛び込み龍宮に帰った……甚だ浪漫的だ。あり得べからざる【天皇敗死】を認めたくないココロが、如斯き珍妙な話をデッチ上げたのであろう。ある種の人々は、思いたいようにしか世界を認識できない。都合の良いストーリーに合った些末な事実のみを声高に言い募り、真実なぞ糞食らえ、一斑を以て全豹を卜するワイドショー万々歳と連呼する。偶々素盞嗚尊が八岐大蛇を退治し天叢雲剣を得た神話があったとて、どうせ嘘っぱちなのに、嘘っぱちの上に嘘っぱちを重ねてまで、【天皇敗死】を認めたがらない。天皇の絶対性を強弁しようとして、天皇に龍神/大蛇を紛れ込ませている。しかも安徳幼帝が神器と共に西海に逃れ退位していないにも拘わらず、都では後鳥羽帝が即位した。実は安徳帝の弟も二位尼に連れ去られていた。安徳帝が殺されるかした時のため、スペアの積もりだったのだろう。後鳥羽帝は、更に其の弟だ。天皇なら、代わりは幾らでもいるってだけのことだ。が、宝剣は、代わりが、そうはない。天叢雲剣は熱田神宮にあり、実は宮中にあった物はレプリカだが神威は同じである、といぅことになっていた。即ちレプリカではあるが、八岐大蛇から出てきた天叢雲剣そのものでないだけで、本物の聖剣なんである。天皇を守護すべき聖剣が、天皇と共に海に沈んだのだから、世話はない。此が八犬伝なら、水練達者な姥雪代四郎が海底から拾ってきてくれるのだが、世の中、そう旨くはない。平家物語では、上に引用した程度の簡単な話だが、源平盛衰記になると、やや詳しくなる{→▼}。

 

 豊満美熟女{?}の海女が龍宮まで宝剣を尋ね行けば、龍王らしき大蛇が口に宝剣を銜え八歳ほどの美少年を抱いていた。大蛇は豊満美熟女{?}の海女に向かって、「宝剣は龍宮の重宝だから返さない」と答えた。龍王の二男が出雲国で八岐大蛇となっていたとき、素盞嗚尊に切られて尻尾にあった宝剣を奪われた。日本武尊が宝剣を携え東征したとき、八岐大蛇は伊吹山で蜷局を巻いて待ちかまえたが、奪えなかった。そして安徳帝となって、源平の争乱を引き起こし、宝剣を奪い返して龍宮に戻った。豊満美熟女{?}の海女は虚しく戻り、帝に直接事情を報告した。

 また、上の引用部分よりも先にある記述に拠れば、国史にも載す新羅僧道行が熱田神宮から草薙剣を盗んだ事件も、八岐大蛇が新羅王に生まれ変わって命じたことであるという。「剣巻」は、道行が失敗した後、新羅王は生不動なる将軍に七本の剣を持たせて日本国尾張を攻めさせ宝剣を奪おうとしたけれども、熱田神宮が生不動を蹴殺し七本の剣を取り上げた、と書いている。生不動は蛸か何かで七本の剣を操ったか、剣が七支刀の如きものであったかは、知らぬ。しかし八岐大蛇/新羅王の眷属であれば、生不動は七岐大蛇でもあったか。とはいえ、抑も陰陽五行説を取り入れた記紀に於いて、八岐大蛇なる怪物が現れる意味は、八が【陰の最大数】である点に理由を求められよう。七岐では恰好がつかぬ。

 剣巻・平家物語・源平盛衰記といった物語群は、美しく儚げな安徳幼帝の悲劇を事実上拒絶するため、新たな神話を捏造した。安徳幼帝は、祖母と無理心中させられた哀れな美少年ではなく、自らの意思で宝剣を龍宮に持ち帰ったのだ。軍記群は調子に乗って、日本武尊が伊吹山で毒蛇に絡まれたことも、新羅僧道行が草薙剣を盗み出した事件も、すべて八岐大蛇のせいにしてしまっている。或いは火気の王朝を標榜した天武帝が草薙剣に祟られて殺された事件も、太陰神八岐大蛇の干渉に依ると思えてくる。

 

 神武の即位は、素盞嗚尊が天降って日本に土着することを前提にしている。まず天津神である素盞嗚尊が日本に土着し、国津神の上位に立つ。国津神と交わって、大国主が生まれる。大国主は日本の原型となる国を建設する。天孫が、日本の原型となる国を譲られ、神武が東征し版図を広げ初代天皇となる。筆者個人としては、八岐大蛇は自然災害の象徴であり素盞嗚尊の映し身だろうと思っているけれども、服{まつ}ろわぬ国津神/原住民部族を意味していると見るむきもあろう。しかし、とにかく天津神側の日本支配は、素盞嗚尊による八岐大蛇退治を第一歩としている。

 例えば、中国古代には治水が重要案件であり、禹なぞは黄河を御して帝となった。簸川の河上で蜷局を巻く大蛇は即ち水神であろうし、素盞嗚尊が大蛇を寸断する場面は、治水・灌漑工事を暗示していよう。文明が伝わり、王化が始まる。また素盞嗚尊が、太陽神天照太神を追い詰め世界を暗黒にする原因をつくったことや、泣くことにより暴風雨を起こしたと目せる神話から、やはり暴風雨などの天災を象徴していると思しい。天神に寄って集って全身の毛を毟られ爪を抜かれ、即ち男性性/暴力性を剥奪され女性化させられ辱められた素盞嗚尊は、和魂となって日本に降り立った。其処には荒魂としての素盞嗚尊が八岐大蛇という形で顕現していた。剥奪され素盞嗚尊本人から分離した暴力性が、出雲国簸川に降り蟠っていたと見える。素盞嗚尊の和魂は策略によって自らの荒魂を、制御し克服した。凄まじい暴風雨、太陰の力を精錬し制御可能な宝剣の形と成し、天照太神に献上した。則ち天照太神としては、嘗ては自分を凌辱し尽くした陰なる暴力を獲得したことになる。太陽にして太陰、最高神天照太神の誕生である。陰陽五行に拠る記紀に於いて、五行に依る易姓革命論を超克すべき詐術は、本来なら在り得ない、五行を統合した存在となることであった。五行統合を、天照太神は、太陰太陽兼備なる離れ業/反則技で成し遂げたのだ。日本書紀の目的は、あくまで当時の王朝に正当性を与え永続させるための理論武装であったから、当然の話ではある{天叢雲剣は元々天照太神のものであったが岩戸隠れの折に取り落として八岐大蛇が呑み込んだとの説話もあるが、後世に天照太神の聖性を更に高めようとして却って記紀神話の描く世界を否定してしまっており贔屓の引き倒しであろう}。

 

 閑話休題。上で龍宮を意味する「九重の淵底」が天皇を意味する「九重の雲」と対称の関係にあると語った。且つ、神武帝に龍宮の血が濃く流れ、八幡大菩薩こと応神帝も龍宮姫と深く契りを結んでいたとも語った。しかも安徳帝は、龍王の次男坊が化けた者であった。剣巻・平家物語・源平盛衰記は、結果として、龍王は天皇と対称対極の存在であり、故に共通する要素を背景に持ち、置換可能だと主張している。動機は、単に安徳幼帝に対する同情ぐらいのものであったろうが、結果として、神話に新しい一頁を書き込んだのだ。記紀にも明記されている天皇と龍宮の関係を更に強化発展させ、安徳幼帝が八岐大蛇の化現であるとまで言い切った。特に剣巻は、中世半ばから近世にかけ、皇位を巡る争いの物語、平家物語や源平盛衰記、更に太平記にまでも博く採用され、確固たる神話の地位を保持した。

 

 如斯き情報空間の中で成立した我等が八犬伝にも、龍が登場する。八犬伝冒頭で、白龍の一部を見た里見義実が、日本の一部である南総を支配するに至る。狐龍に愛され祝福された政木大全/正木大膳家は、史実に於いて徳川家康の側室万を輩出し、八代から十四代までの征夷大将軍位を独占する紀州系に繋がっていく{但し正木家は里見家からの養子に接ぎ木された}。更に八犬伝で伏姫は、龍に最も縁の深い仏格である観音を正体としており、八歳龍女と無関係ではない。

 勿論、帝王を象徴する龍と、観音を象徴し得る龍は、取り敢えず別物と考えた方が良いだろう。里見家は、天命を示す龍と、観音を暗示する龍との、両者と関わる。全く別物の龍でありながら、共通させている点が、馬琴の手柄であろう。但し、二つの龍は別物ではあるが、龍である点に変わりはない。若しくは、馬琴の脳中で、天命を象徴する龍と日本民俗仏教に於ける龍が、さほど明確には分離していなかったかもしれない。当時、神仏は習合されていた。

 

 「輪法剣」で引用した天台神道の『渓嵐拾葉集』を再掲する。

 

     ◆

尋云天照大神天岩戸閉籠玉フ相貌如何○答凡天照大神者日神在上月輪形天岩戸籠給云也云々又相伝云天照大神●転訛玉フ■{欠/後カ}天岩戸籠給云者辰狐形籠玉ケリ諸畜類中辰狐者自身放光明神也故其形現玉ケル也云々

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尋云何故辰狐必放光明耶○答辰狐者如意輪観音化現也以如意宝珠為其体故辰陀摩尼王名也宝珠者必夜光故諸真言供養法時以摩尼為焼云旁々可思合也云々又云辰狐之尾有三鈷々々上如意宝珠アリ三鈷則是三角之火形也宝珠又摩尼焼火也故此神現成光明法界也云々又云一伝云未曾有経説云辰狐アカメテ成国王意是(天照大神以百皇元神習也今辰狐王以)天照大神之応現習合也(深可思之)

     ◆

 

 天照太神は天岩戸に籠もったとき、「辰狐」の形をとっていた。そして、辰狐は、如意輪観音の化現であった。以前にも天照が岩屋に籠もったときに白狐の姿を採ったと書いたが、其れは本地が如意輪だからなのだ。天/宇宙を支配する如意輪観音ならば、なるほど太陽を象徴する天照に垂迹することこそ、自然の流れだ。如意輪観音/天照大神は、伏姫にも政木狐にも分化して、それぞれに化現したようだ。八犬伝は里見家を廻る物語なので、伏姫に強いスポットライトが当たっているが、実は政木狐も相当な大物なんである。

 また、龍は観音の下位レベルの眷属である。観音は龍の要素を含み込んでいる。また天照大神は観音の垂迹である以上、観音は天照大神の要素を含み込んでいる。一方で、八岐大蛇は龍王の王子であった。八岐大蛇は素盞嗚尊の荒魂であった。龍に素盞嗚尊荒魂を代入すれば則ち、観音は素盞嗚尊荒魂の要素も含み込んでいる。よって、観音は天照大神と素盞嗚尊荒魂の双方を含み込んでいることになる。

 ……いや、同じく「含み込んでいる」と言うと語弊がある。垂迹と眷属では質的に違う。垂迹は、垂迹する場所状況に合わせて本体の総体を表現し直した結果であるが、眷属は本体の特定部分を表現するに過ぎない。ならば、天照大神にも素盞嗚尊荒魂が含み込まれていることになる{天照大神が素盞嗚尊荒魂を含み込むのは、其の荒魂が天叢雲剣の形で天照大神に献上されてからである}。天照大神が素盞嗚尊荒魂を含むならば、天照大神とイメージをダブらせる伏姫も、素盞嗚尊荒魂、烈しいまでの陰気を含んでいることになる。いや寧ろ南関東大戦まで、身内には慈悲心を見せつつも敵対する者を容赦なく屠る烈しい陰気が前面に表れている。龍の要素をも含み、且つ天照大神ともダブる伏姫は、まさしく観音を本体としている{但し「聖なる一片」で述べた如く、第二次五十子攻略を経て、漸く伏姫神霊は観音として完成する}。

 

 印度で既に龍は河川と関連づけられていたわけだが、中国でも龍は雨を降らせる水神の側面をも有した。禹の例を挙げるまでもなく、古代には、水を制御する者が、権力を握った。故に水神なる龍が、皇帝を象徴することは、非常に解り易い。明治天皇さえ、即位礼で龍模様の中国式衣服を着したので、慶応四年までは中国風の思想が朝廷に根付いていたことは確かなのだが、近世までの一般読者にとっては、龍と天命を結び付ける発想の方が、ハイカラで新鮮ではなかったか。庶民に天命はじめ政治思想なんざ関係ない。知識人が有り難がっていた龍顔なんて、目つきの悪い馬面に泥鰌鬚を付けりゃぁ出来上がりだ。八犬伝でも言及されている三停九似である。多分、漢の劉邦なんかは馬面で眼付きが悪かったんだろう。そんな悪人じみた馬面野郎なんかより、農業国であった日本では、龍の雨を降らせる側面こそが、重要だったであろう。お寺に行って、雨雲と共に描かれている龍を目にする機会はあっただろうが、天皇の袞竜衣を見た者が如何ほどいたか。勿論、読書人であった馬琴は、中国民俗もしくは政治思想史に於いて、皇帝と龍が関係づけられていたことを知っていた。

 

 龍に伏姫観音の眷属としての性格があるため、政木狐は孝嗣を通じて里見側に寄り添っている。伏姫観音は天照大神とも重なるため、龍は此の時点で、実は政治権力の象徴たる性格を持っている。また、序盤で龍の尾と足のみを見た里見義実は日本の一部である南総の支配者に止まった。全体を見た政木孝嗣の系譜は、里見家から当主を迎え、紀州徳川家へと繋がり、吉宗以降家茂まで征夷大将軍職を独占した。八犬伝に於ける龍は、政治権力の象徴であり、一方では、観音の眷属と素盞嗚尊荒魂の実体化物の重ね合わせとして水を統べている。八犬伝の背後には、政治と宗教ファンタジーに顔を向けた双頭の龍が、蟠っているようだ{お粗末様}。

 

 

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