◆「しっぺい太郎にゃ教えるな」

 お約束通りに「竹箆太郎怪談記」の続きである。色々あって金治郎を寺から出して式部太夫の息子だと名乗らせようとする家老の妻や姫たちに、住職は反対する。姫たちは、寵愛する小姓だから寺から出さないのだろうと極め付け、「未練だ、卑怯だ」と喚き散らす。しかし住職が反対する真の理由は、いま名乗り出れば、家の乗っ取りを企んでいる悪臣に暗殺されるというものだった。姫は改めて、暫く寺に匿い続けるよう住職に頼む。住職は、金治郎が太夫の息子と知っていたから自分は手を出していなかったし、これからは寺内の僧侶にも金治郎を犯らせないと約束する。どうも住職以外の僧らによって慰安夫/性処理奴隷にされていたらしい金治郎ではあったが、姫という婿入り先がほぼ確定したため、性奴からは解放されたらしい。一人前の男となり前髪を剃れば(いちおう建前上は)男色の対象にはならぬ作法であった。
 以上、要約お終い……では何のことだか解らないだろうから、続きを簡単に言うと、金治郎を暗殺しようとした太夫の後妻は、家宝を奪って質屋に置いていた(せ、せこい……)。寺を出た住職と金治郎は家宝を求めて旅に出た。しかし予て姫と逢瀬の約束を交わしていた金治郎が城に忍び込み、姫と同衾した……ところを家の乗っ取りを企む一派に斬り付けられ首を落とされた。が、何時の間にやら生首は、姫の可愛がっていた三毛猫のものと変ずる。三毛猫が金治郎に化けて、姫を犯したのだ。実は三毛猫、太夫に殺された後妻が、土岐家に仇なそうと化生したものであった。色々あって家を乗っ取ろうとした悪臣の企みは、勅使によって暴かれ落着した。が、今度は、太夫の後妻が太夫に嫁ぐ前に里で産み残していた男が家老となって、もう一人の家老(善玉)を失脚させようと謀るが逆に見破られて失脚した。報復のため悪家老が山奥で善家老を殺したとき、母すなわち太夫の後妻の幽霊が現れた。赤岩一角の幽霊を思い出させる名場面だが、実は悪家老の名前こそ「大学」だったりする。後妻は切られた化け猫としての自分の首を大学に渡し、妖術を使うためのアイテムだと教えた。幽霊は土岐家を乗っ取り自分の恨みを息子に晴らすよう言い残して消えた。消えゆく時に一言、「ただし竹箆太郎にだけは術を破られるから注意せよ」。
 この一言を近くに隠れていた忠臣・十内が聞いてしまった。十内は竹箆太郎を探し出すが、猟師が連れていた犬だった。猟師は若い頃に遊女に入れあげ善玉家老から勘当された陪臣・滝藏であった。滝藏は旧主の仇である悪玉家老を討つため、土岐家を守る十内と行動を共にする。
 十内は滝藏を連れ勅使となって土岐屋敷に乗り込む。瀧蔵は、小姓に化けて一足先に入り込んでいた元遊女の妻と偶々二人きりになり、激しく貪り合う。逞しい奴(やっこ)と美しい小姓の交歓は、近世男色文芸に於ける一つの典型である。この場面で犬神信仰の作法を仄めかせる会話があるが、略す。ひとしきり絡み合ったのち、妻は、大学が最近、自分の肉体を欲しがっており、何の彼のと逃げてはいたが、もう言い訳も思いつかないため、今夜辺り犯される筈だと伝える。滝蔵は、大学の秘密を探らせようと思ったのか喜んで、妻に大学とのアナルコイトスを勧める。妻は、女であることがバレるから駄目だと反対する。滝藏は、刀の柄を魔羅の在るべき場所に添えて、其れらしく演じるようにと頼むが、妻は諾と云わない。言い争うところに悪役が来て、滝藏に毒饅頭を食わそうとする。思わず妻が「気を付けて」と声をかけてしまう。滝蔵は食った振りをして奥に引っ込む。毒の効き方に不審を抱いた悪役は、小姓が内通して毒のことを知らせたと見抜く。二人の男に抑え付けさせ小姓の口に毒饅頭を押し込む。苦しみのたうち回る小姓の態が何やら女性っぽい。悪役は背後から小姓の胸を揉みしだき、女性だと気付く。滝藏を呼びつけ詮議となる。瀕死の小姓は、夫の滝藏に、田舎にいる父親の面倒を見てくれるようにと、頼み込む。差し出す肌守りを見て悪党驚く。小姓は、幼い頃に遊女として売った自分の娘であった。愁嘆場。
 同時進行で十内と大学が対決。色々あって十内が犬の首を取り出す。「猫魔を退治する討手の大将竹箆太郎。何と肝先へ堪へたか」。犬神信仰では、切り取った犬の首に願を掛ける。大学の術は破れ、いままで美しかった屋敷が草茫々の荒れ地になり、家臣たちが消え失せる。家臣や侍女たちは皆殺しになり、化け猫の眷属と入れ替わっていたのだ。其処に姫やら金治郎やら住職やら実は登場人物最強の女性なんかが登場する。敵わぬと悟った大学が、猫の髑髏と、十柄剣を差し出す。いや十柄剣は、日本征服のため皇居から盗み出しておいたのだ(って話膨らませ過ぎでは)。と、大学の妻が、いきなり息子を抱き締め、二段重ねの切腹。これに免じて大学を許してほしいと嘆願する。十内は許す。大学、竹箆太郎の首に近寄り踏みにじって「母の仇」。十内は一言「畜生には畜生が相応」……って、土岐家を守るため人身御供ならぬ犬身御供になった竹箆太郎に失礼だろうが。
 犬神信仰では、人に知られず、しかも相手の犬に知られずに首を切る。準備としては、まず犬の首から下を土に埋め、まるで河豚に当たった者の治療みたいで間抜けだが、餌は犬の口が届かない所に置く。十分に飢えさせ、食いたい食いたいとの執念が絶好調に達したとき、首を切る。此の首に、憎い者の呪殺を願ったり色々頼むと効験あらたかだという。ちょっと西洋のマンドラゴラの抜き方に似ている。……そう言えば、【自ら切った犬の首に魔なる者を討つ手助けをされる】話が椿説弓張月にある。

     ◆
八郎冠者為朝は一たび八町礫紀平治太夫に面あはせしより、ふかくこれを愛よろこび常にその家に交加て彼とともに狩くらし、更に外を求給はず。その山に遊ぶ日は、彼二頭の狼のうち、かならず一頭を牽て行給ひしが、おのづから猟犬のごとく、よく猪鹿を追出し多くは主に手を下させず。おのれはまづこれを噛ころして献らせけり。あるとき須藤重季主を諫て稟すやう、君は正しく清和源氏の嫡流として大国の守ともなり給ふべき身の、一旦大殿の勘当を受給ひたればとて、忽地武道を忘却し猟夫の業を事とし給ふこそこ丶ろ得ね、人は氏より育にしたがひ朱にまじはるものは朱くなるという、常言にも恥給へかしと、面を犯して申せしかば、為朝含笑て、汝がいふ所理りなり、しかはあれど、われは今さすらへ人となるといへども志を移すにあらず、権守季遠はその器量狭く賢を狷みて己に勝れるを諱もの也、われかく彼が養ひを得て嫌忌の月日をおくり、もし遠き慮なきときは、禍蕭牆の下より起らん、こ丶をもて終日山に狩くらし、外を求ざるの状を示すものは、季遠が心を安めん為なり、見よわが獲たる獣をば、みな紀平治にとらせて彼が生活の助とす、これにてもわが小利を貪り山猟をもて身の楽とせざる事をしるべしと私語給へば、重季大に感激し、ある事とも思ひわきまへず、賢ぶりて諫まゐらせよしなき事申つるこそ越度あんれとかしこみて、いと娯し気に見えにける。この下に話なし。
かくてその年もくれて春も弥生のはじめになりつ。為朝既に十六歳、今は一個の壮夫になり給へば、重季はこれを見て、もし都にましまさば除目行る丶序に、官人の数にも入り給ふべきに、この辺邑にさすらひて、家はやうやく数間に過ず、住むは主従二人也、懲し給はん為なりとも、四年が程に只一たび、家信も聞え給はぬ、大殿お御こ丶ろつよしと侘しきま丶に世をうらむ、誠心の程こそ有がたけれ。かくて為朝はある日、朝まだきより弓矢を携、山雄と呼べる一頭の狼を牽て、木綿山に趣んとし給へば、須藤重季主の袖を引て、それがし前夜夢見もあしく、覚て後も何とやらん胸うち騒ぎえt、心持穏ならず、願くはけふの山猟を止給へかし、といひもをはざるに、為朝うち笑ひて、夢は五臓の労に成といへり、か丶る事を諱んは婦人のうへにあるべし、汝心を安くして、よく留守せよと宣へば、重季又稟やす、いにしへの人も事に臨ては懼よといへり、されど止り給はじとならば、重季をも召倶し給へかし、としばしば請て已ざりし程に、かくまで思はば何か拒ん、われとと丶もに来よ、と仰て出給へば、重季よろこび蕉火に路をてらし、主の倶をして立出けり。
さて為朝主従は木綿山の麓なる、紀平治が家に立よりて、彼をも伴ひゆくべしとて音なひ給へば、八代立出てまづ湯を進らせ、夫紀平治はこの暁に山へとて出ぬ、されど出てより程もあらぬに、追蒐給は丶山の半腹にては追つき給はんといふ。さらば急げとて、主従其処を走り去り、足に信せつ丶山ふかくわけ入り給ふに、いまだ夜もあけざれば、ゆくさき暗くして、遂に紀平治を見ず。あまりに疾走りて疲労給ひしかば、ふりたる楠の下に立より、主従株に尻をかけて、明はなる丶をまち給ふに、只顧睡をもよほして、もろともに目睦み給ふと、やがて彼山雄、一声高く吼、主の行縢のはしを銜て引にければ、為朝も重季もおどろき覚て、四方を見かへり給うへど、眼に遮るものもなし。こは山雄が戯る丶よとおぼして、又睡り給ふに、復いたく吼か丶りて、嚼もつくべき気色なれば、為朝佶と臠して、虎狼は狎たりといへども畜がたしといふぞ宜あんる、この畜生、わが睡れる間を窺ひて、啖んとするこそ、さもあらばあれ、目に物見せじといきまきて、刀の柄を握りもち、しばし睨つめておはしける。重季もこ丶ろ緩さず、すはといはば刺留んと、■(王に奉)くつろげて瞻居たるに、山雄はこの気色にも怕れず、なほ吼ること二声三声、忽地走りよらんとするを重季跳か丶りて丁と切れば、狼の首、躯をはなれ、楠の梢に閃き登ると見えつるが、鮮血さと溜りつ丶、頂の上より落る物ありて、大地に■(テヘンに堂)と響しかば、主従ふた丶び驚き怪み、押明がたの星の光りに、眼を定めて見給へば、太はこの楠の幹にも劣まじく、長いくばくとも量がたき、蟒蛇の吭へ狼の首嚼つきつ。蟒蛇はなほ半身は木にまつはりて蠢くを、主従刀を抜もちて、刺とほおし刺とほし、輙くこれを殺給ひしが、為朝ふかく慚愧して、この蟒蛇が梢よりわれを呑んとしたればこそ、山雄がしばしば吼か丶りて、裳を引てしらせしを、こは寇するかと一すじに、思ひたがへし愚さよ、彼今重季が一刀に、死するといへども、一念首にとどまりて、主を救へるぞ殊勝なる、われ過てり過てり、と宣へば、重季はなほ面なくて、頻に落涙に及びしが、且くしていへりけるは、それがし疇昔夢見のあしかりつるも、この事のあるべき祥なりし、そも狼すら恩義を感じ、身死して主の寇を殺す、われは獣にも及ずして、年来傅きまゐらせながら、なほ君恩を報ふに至らず、却て山雄を殺せし事、恥ても辱るにあまりあり、こは何とせんと悔うらめば、為朝はこれを勧、彼を哀みて已給はず。(「 椿説弓張月」前編巻之一第三回山雄首を喪ふて主を救ふ重季身を死して珠を全す)
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 まぁ犬神信仰と直接の関係があるとは思えないのだが、神社の狛犬や人身御供を求める悪神を倒すとの昔話やらなどから、犬に魔なる者を払う質の力があると、昔の人が思っていたことは、朧気ながら分かる。恐らく、人よりも敏感に異物の接近を感知する能力、時として地震など災害現象の予兆を嗅ぎ取る能力を見せるためだろう。犬は古来、人間の友人であり、時として衛士guardであった。此の能力は、貴人に侍る武士に期待されるものでもあった。妖怪退治専門家・源頼光が筆頭だろう。あはれ子犬の主を知りぬる。無私な犬に武士の理想型を見ても、あながち見当外れではあるまい。頼光と彼の四天王の如く、臆することなく魔物に襲いかかる英雄犬・しっぺい太郎は、(人間側の一方的な甘えた思い込みだろうけれども)まさしく犬の理想型であったろう。理想……実在する筈のない人々の願い……。
 さて此処で、【公認された、しっぺい太郎】が実は存在するとの、残念な御知らせをせねばならない。昔話は人々が連綿と語り継いできたものであって、【公認】も何もないってのが筆者の立場だ。が、「しっぺい太郎」は公認されちゃっているのである。
 霊犬神社なんていぅ、筆者が絶対に死ぬまでには行ってみたいと思っている神社が静岡県磐田市にある。其処の祭神が、「しっぺい太郎」なのだが、其れは良い、此を「公認」とは本稿では謂わない。佐倉惣五郎だろうが山家清兵衛だろうが、祀りたいと思った者がいれば祀って、神社は発生する。だいたい本来からすれば、前近代には神社庁なんてなかったんだし、祀ろうとするココロ自体が、神を産むのだ。「公認」すなわち朝廷からの贈位とかは、後からついてくるものだ。「公認」なくしても神は発生するわけなので、同様に、昔話も公認を必要条件とはしない。
 でもまぁ間が悪いことに、現在では最も有名な「しっぺい太郎」伝説の本拠地、遠州見附宿の西坂天神(矢奈比売神社/静岡県磐田市)に残る所では、竹箆太郎は「悉平太郎」であり、彼の犬は「信濃善光寺の悉平太郎」なのだ。西坂天神に出没する悪神が自ら「信濃善光寺の悉平太郎」が苦手だと歌っていたのを盗み聞きした僧が、悉平太郎を探すため旅に出る。悉平太郎は信濃の善光寺(ぜんこうじ)ではなく、実は「信濃赤穂村光前寺(こうぜんじ)」に棲んでいた。ゼンコージとコーゼンジで入れ替わってしまったのか、さっぱり解らないのだが、とにかく悉平太郎(もしくは早太郎)は、信濃光前寺と関わりがあると(現代では)されている。現地でも「悉平太郎」の表記は近代以後に定着したとも云われており、「悉平」の表記に拘る必要はなさそうだ。「早太郎」とも呼ぶことから考証家は「疾風太郎」が原義だとも考えているようだが、本稿では採らない。原義とは無関係に、馬琴の目に触れていたであろう江戸歌舞伎では「竹箆太郎」だからだ。
 さて現地の西坂と信濃では、このあと、悉平太郎が深手を負いつつ光前寺に戻り、飼い主である住職に抱かれて死んだとか、妙に現代っぽいオマケがついている場合もあるが、とにかく竹箆太郎は信濃の犬とされている。それどころか西坂天神のある静岡県磐田市と「信濃国赤穂村」こと長野県駒ヶ根市は、竹箆太郎の縁で姉妹都市提携までしてしまっている。二つの自治体が、竹箆太郎の産地を長野県駒ヶ根市に比定してしまっているのだ。本稿では、此を以て「公認」としている。まぁ偶々駒ヶ根市の寺に大般若経があったか何かが典拠となっているのだろうけれども、大きな声では言えないが、空想上の話と考えられるものに証拠があっても、実は仕方がないのである。安房には伏姫が籠もったという洞窟が実在するが、伏姫が実在した証拠には決してならない。此は只、其の物語へ深い愛着を寄せている人々の存在を証明してはいても、残念ながら、伏姫は、八犬伝を愛する人の心の裡にのみ、美しく凛々しく、しかして儚く存在するのだ。
 二つの現行地方自治体が公認する、しっぺい太郎信濃産説であるが、八犬伝を読む上では採用することは出来ない。竹箆太郎は、丹波国を発端場面とする「独道中五十三駅」にある如く、やはり丹波と関わらせたい。何故と云うに、八犬伝には歴史上(?)有名な犬が二匹ほど登場する。一匹は一条帝の翁丸であり、もう一匹は丹波国桑田村の甕襲が飼っていた足往だ。翁丸は話のツイデに登場しているだけだが、狢を倒し八尺瓊の勾玉を得た伝説的英雄犬・足往は、八犬伝物語に影響を与えたと思われる。政木狐は語る。

     ◆
 他は甕襲の玉を持り。その玉は貉の腹より顕れ出たる宝貝也。上古垂仁天皇のおん時、丹波国桑田郡の人と聞えし、甕襲が家に飼ける犬の、名を足往と喚做すあり。這犬一日貉を見て、立地に噬殺ししに、その貉の腹内に八尺瓊の勾玉ありけり。甕襲このよしを訴稟して、玉を朝廷に献りぬ。這玉今は石上の神宮にありとなん、書紀垂仁紀に載られたる垂仁帝のおん時より、今(後土御門院の文明十五年)に至て千二百許年、世は戦国になりし悲しさよ、恁る珍奇の神宝も、馬蹄の塵に埋まれて、有と知る人稀なりしに、妙椿狸児が見出して、只顧愛玩秘蔵しつ。初甕襲が垂仁帝へ献りける東西なれば、名つけて甕襲の玉といふ。貉と狸は等類にて、穴居して雨を避け、よく風を知る者なれば、昔も今もその皮を鍛匠の吹革に用ひらる。風を出すの理によりて、妙椿件の玉をもて、咒文を唱て勁風を起すに極めて効験あり。遮莫那身は貉に等しき、狸児で侍るに、忌を忘れて、足往の犬に殺されける貉の腹より出し玉もて、賊徒を資け寄隊を破る宝貝にしぬるは、後竟に犬士に対治せらるべき兆なるを悟らずや。(第百十七回)
     ◆

 足往による狢退治が、犬士による妙椿退治と重ねられている。日本の昔話を集め引き再構成されたとの側面をもつ八犬伝ならば、犬士の出自(の一つ)は、昔話に隠されているのではないか。書紀も本稿に於ける「昔話」の範疇ではあるけれども、足往を当時の子どもが知っているか甚だ心許ない。ならば、より人口に膾炙した「昔話」、例えば竹箆太郎が丹波国桑田に何か関係があるのではないか。しかし現行地方自治体の二つが公認する説では、しっぺい太郎は信濃産だ。まぁ昔話を行政体が「公認」すること自体に問題なきにしもあらずなので(昔話の在るが侭に放っときゃいいやん)、実は気にしていないのだが、とにかく馬琴がアクセスし得る情報の中に、竹箆太郎と丹波国桑田を結びつける物を捜さねばならない。そこで筆者は、近世に於ける丹波国桑田に纏わる史料の海に漕ぎ出すことにした。(お粗末様)

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      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙