◆人寄せパンダの作り方◆

 

 論語でも褒めちぎられている周文公もしくは文王に、東夷を従わせる天命を伝えた者こそ、九尾狐であった。対して八犬伝中、里見義実に東海浜/安房支配を約する者は、白龍であった。殷を徳もて凌駕しつつも「王」とはならず、諸侯の地位に甘んじた「周公」は当然、最高の徳を保持しつつ僅かに南総のみを支配した里見家と無関係ではないだろう。

 抑も、上記「最高の徳を保持しつつ僅かに南総のみ支配」するとのキメツケは、九尾狐/政木狐が石狐となり政木大全の眼前に落下する場面で語られる。また一方で八犬伝中に頻出するセオリー【親が苦労したり横死したりすると子が報われる】に着目すれば、伝説上の禹を思い出す。

 禹は鯀の子だ。鯀は堯の重臣達に推挙される。堯は「あいつは厭な奴だからダメ」と主張するけれども重臣達に押し切られ結局、鯀に治水を任す。しかし九年経っても成果が上がらないため、堯は鯀を誅する。堯の跡を継いだ舜は、鯀の子である禹を抜擢し、治水を任せた。禹は十数年かかって成し遂げ、終には舜から禅定され帝位に就く。

 問題点は、天書を授かりカンニングした禹でさえ十三年かかった治水事業を、九年で果たせなかったため鯀が誅されたことだ。比較的マトモな成果主義から見れば甚だ理不尽であるが、鯀は成果主義みたいなものによって殺されている。元々九年で治水事業を行うことは不可能だったのである。元々不可能な事業を押し付けられた挙げ句に責任を問われたのだから、実は成果主義ではなく単なる嫌がらせなのだけれども、昔の中国人は不思議なことに、何となく納得しちゃったんだろう。堯は【悪辣な君主】どころか、偉大な帝王ってことになっているのである。もっとも、治水事業が進まないことで毎年多大な犠牲者が発生するのであるから、怨嗟の声に耐えきれず政治的必要から鯀を犠牲にしたとも考えられるけれども、何連にせよ、此の件に限って言えば、堯は暗愚に見える。まぁ穿って見れば、どうも堯には鯀の人間性に疑問をもっていた節があり、徳治を宗とする世界に於いては排除すべき対象であったため、理不尽にでも殺さねばならなかったとも思える。

 しかし堯に禅定を受けた舜は、同情を以て、鯀の子・禹を抜擢した。……そして結論から言えば、此の禅定、歴史的な大失敗であった。此の禹から、帝王の世襲なんて理不尽が始まったのだ。それまでも先代から親戚筋に禅譲したりしていたが、血脈のみが要件とはならなかった。実際、堯から舜、舜から禹は、直接に濃い血の繋がりはない。まぁ禹自身は舜の子に譲ろうとしたのだが、人民が禹の子を選び、結果として世襲制を採用、夏王朝になったよう説明されてきた。則ち、世襲制は発生の時点から、【舜ほどの偉人の息子だからといって優れているわけではない】と断じ、且つ、【禹の子が優れていたから選ばれた】と、世襲制そのものの絶対性を否定する論理を内包してしまっているのだ。更に言えば、禹の遺言が貫徹されなかったことから、【先代の意向が全く無視され別の者が継承し得る】ことまで明らかになっている。世襲制は、当初から矛盾点を明示されていたのだ。だいたい、こうでなくては、易姓革命は起こり得ない。簡単に言えば、世襲の帝王なんてものは、社会全体がソレを許している間だけ可愛がる家畜みたいなもんで、気に入らなくなったら屠り去り、別の可愛いペットにすげ替えるだけのものだと知れる。故に、世襲制のもととなった禹の正体は恐らく奇獣、熊猫(パンダ)/愛玩物ではなかったか。いや、マジで。

 とは言え筆者は、禹がパンダであったと断ずる根拠を持つ者ではないが、差し当たって禹が熊であったと伝える資料は持ち合わせている。繹史から列女伝の項にある随素子を見る(→▼随素子)。

 有名な話だが要約すれば、禹は塗山女を妻にしたが、元々世継ぎを生む機械としてしか女性を見ていない禹は、子が生まれると仕事をイーワケに家に寄りつかなくなった。父を慕って子が泣くので、妻は治水工事の現場を訪れた。夫の禹は、正体である熊の姿を現し働いていた。自分が熊と性交したと悟った塗山女は恥じて石になってしまった。気付いた禹は、「石になるならなるで別にいいけど、俺の子どもだけは返せ」。石から夏初代王となる啓のみ剥離した{若干合成}。

 

 禹は女嫌いだったらしく、妻が子を産むと家に寄り付かなくなった。男色家だったのだろうか。そういえば、現代日本語の隠語で熊、英語圏でBearといえば、男色対象となる豊満堅太りで毛深い男を指す。「熊」に建設労働者との設定は似合いそうだ。ならば禹が工事現場で熊になっていたとは、男色行為に耽っていたことを意味するのかもしれない。夫が男色家であれば、妻は驚き恥じ入るだろう。松浦佐用媛ではないが、心を閉ざし、石のようになってしまったとしても理解できる。心閉ざし離縁を望む妻に禹は、子どもだけは置いて行けと迫ったのだ。人間として最低であるが、熊ならば良いのか。

 

 冗談はさて措き、禹は何故に熊であったのか。……ほんなん、知ったこっちゃアルカイダ、禹は、元々熊だったから熊なんである。熊に向かって「何故、君は熊なのか」と問うほどナンセンスはない。結論から言えば、禹が人間であれば都合が悪かっただけだ。……余りにも無責任なので贅言すれば、禹が熊である理由は知らないが、熊である原因は分かっている。禹の父が熊(黄熊)であったことは、各種文献に載す過去の一般常識であるから、禹は熊でなければ逆にオカシイのだ。「各種文献」のうち呂氏春秋と楚辞を見る(→▼)。

 禹は治水工事の作業中ついつい正体である熊の姿を曝してしまった。だいたい彼の父、鯀からして熊だったのだから、実は何の不思議もない。蛙の子は、似ても似つかぬオタマジャクシではあるけれども、結局は蛙になる。因みに、屈原は楚辞で、「世継ぎを得るため妻を仕方なく得たって感じの禹だが、やることは姦ったわけで……、その性交は気持ちよかったんだろうか、……気持ち良かったんだろうかってば! はぁはぁ」と疑問を投げかけている。閑話休題。

 鯀は死ぬに当たって正体である熊の姿を現した。禹も懸命な作業中に熊になったし、どうも正体というのは、此処一番の時に現れてしまうものらしい。人間に化けるにも、集中力が必要なのか。此の法則は日本でも、油断して尻尾を現した狐とか猫俣とかに継承されている。政木狐は幼い大全に添い寝しているとき正体を現した。自分の子供を抱くように、親しみ油断しきっていたのだろう。

 さて父から正統に熊であることを継承した禹であるから、其の子孫すなわち夏王朝も一応は熊によって象徴されねばならなかったようだ(→▼春秋左氏伝・国語)。

 いや、実は夏王朝、単なる熊ではなかった。何故なら禹の妻は熊ではなかったのだから、如何したってハイブリッドである。前に挙げた呉越春秋にもある如く、禹の妻は九尾白狐であった。そして仏教でも禹は特殊な誕生をしたと認識されていた(→▼北山録)。

 此は、釈迦が摩耶夫人の脇から生まれたとの伝説を説明するため禹を引っ張り出しているだけだが、禹自身も、母が流星と相感して妊娠、且つ禹が三年間母の胎内に留まっている。まるで毛野だが、毛野は本質が女性であるので、禹の如き男色熊ではない。しかも禹は、母の背中を破って生まれたそうだ。女の股から生まれた人間には殺されることがないと約束されたマクベスは、帝王切開で生まれたダンカンの息子・マクダフに親の仇として殺されたが、禹も帝王切開の一種で生まれたか。とにかく自然分娩ではなさそうだ。

 

 世襲の王朝は、すげ替え可能な社会のペットである。筆者は、人が人をペットにすることは許されないと信ずるが、みんなのペット、愛玩物、弄びものたる世襲の帝王は、人外の者でなければならない。そうでなくては、他の人民を排除し帝位を継承することは出来ない。夏王朝は熊と狐のハイブリッド、人ではなく、人の姿をした霊獣の子孫であった。

 

 まぁ、神話作者にとっては、禅譲から世襲制へと移り変わったカラクリ、特定血脈の差別化妄想を語ったに過ぎないのかもしれない。後の王朝始祖伝説でも、母が異種の気を受けたり夢に変な者が登場した後に妊娠したと騙るなどしている。とにかく、実際には有り得ない特定血脈の特殊性を強弁するためには、実際には有り得ない異種婚姻もしくは疑似異種婚姻を捏造せねばならなかったようだ。

 異種婚姻が日本神話の重要テーマだとは、縷々述べてきた通りだ。天皇家の二大始祖、神武と応神は共に、竜の宮媛と深く関わる。応神は、八幡神の一要素だ。劣悪な心性をもつ当人たちとしては或いは自然な感情であったかもしれないが、社会にとっては当時から、世襲制は甚だ不自然かつ理不尽なものであったため、異種婚姻のような甚だ不自然かつ理不尽な論理を導入せねばならなかっただけの話だろう。当然、異種婚姻したからと云って、世襲の必然とはならない。異種との交合により異種が発生する所までが、必然である。八犬伝では、人と犬が相感し、人に従い犬に従う異能者集団「犬士」が発生するが、「犬士」は里見家高官の立場を世襲したりはしない。世襲どころか、天命を失った里見家を、さっさと見限る。いや恐らく、「犬士」自体が天命を表現したものであったのだろう。(お粗末様)

 

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